日誌的ななにか年末年始

12月30日(土)

 子どもは29日から年末年始休暇。帰って来た子どもと妻の三人で買い物のハシゴ。翌日、妻の実家のある長野へ行くためお土産なども買う。夕食はすき焼き。

12月31日(日)

 長野の実家に一泊。妻は4人兄弟だが、兄弟とその子どもたちなど総勢12人が集まる。長野の実家近くでオードブル、酒なども購入。前日買って冷凍した刺身やカニなども持っていく。かなりの出費。まあいいか。

 妻の母親は87か88歳、妻の兄弟は長男が65歳、妻62歳、次男60歳、末弟が56くらい。子どもたちも一人を除いてみな成人している。コロナもあり数年ぶりに一同会したけれど、なんとなくみんな揃うのは最後かもしれないという予感もないでもない。自分も67歳とみんな等しく歳をとる。

 この日は二階に泊まったが、妻の階段の上り下りも大変あし、なにより三人分の布団の上げ下ろしもかなりシンドイ。次は近くに宿でもとらないと、妻のこともあるし、自分も年齢的に難しいかなどと思ったり。

1月1日(月)

 昼過ぎ、妻の母親が買い物に行きたいというので車に乗せて家族も連れて出かける。母親は何を買いたいのか、どこに行きたいのか、なかなか言い出さず、こっちの方へを連発。結局、ドラッグストアでマッチと人にあげるタバコを買いたかったという。ドラッグストアではタバコを売っていず、別のスーパーに。最初、タバコを2~3箱と言ってたのだが、値段をみて1箱でいいという。そこで2箱買ってあげる。自分も最近のタバコの値段知らなかったが、セブンスターが1箱600円もするのだとか。喫煙者も大変だ。

 その後、4人でファミレスでも行って昼食と思ったのだが、母親、早く帰りたいの一点張り。しかたなくスーパーで食べたいという稲荷ずしを買い、ついでにいらないと言っていたが、エビフライを買ってあげる。しかし高齢の母親と、きちんとコミュニケーションをとっていない妻に振り回されるのがちょっとキツイ。

 母親を送ってから家族三人で帰ることに。高速に乗る前にファミレスで昼食をとる。元旦だがファミレスは賑わっている。

 高速に乗ってから更埴を過ぎたあたりでスマホからあの不吉な緊急地震警報が流れる。車のスピードをやや落として身構えるが走っている限りでは揺れているのかどうかわからない。子どもがスマホを見ていて、北陸や日本海側で大地震らしいという。ナビ画面をテレビに切り替えると、緊急地震速報から津波注意報、そして津波警報が出て、アナウンサーが「津波が来ます、逃げて」とやや声を張り上げて繰り返している。

 そのまま車を走らせて軽井沢を抜け、横川のSAに入ってから小休憩。テレビで情報を見続けていた。震度6強津波の高さは3~5メートルという情報に、大事であることを確認する。あとで確認すると長野も震度4だったというのだが、高速で走っている限りではまったく揺れを感じなかった。

 帰宅後、一泊の荷物を片付けてからおもむろにカレーを作り出す。家族三人分の飯であまり買い置きもなかったので、カレーが一番かと思った。一応、候補として鳥大根とカレーのどちらかと考えたのだが、子どもに聞くとカレーというので即決。

 その後は深夜まで地震情報を見ていた。

1月2日(火)

 子どもを千葉まで送っていく。朝、昼はカレー。残った分は子どもにおもたせする。子どもの家でしばし休憩。子ども曰く、年末に友人たちと魚卵系の鍋、通称「痛風鍋」をやったので部屋が生臭いのだとか。ひたすら換気扇を回していた。

 その後、子どもの家の近くのファミレスースエヒロで三人で夕食。三人ともよく食べた。子どもは妻の食べっぷりに少々驚いていた。最近の妻は本当によく食べる。インシュリンの注射で血糖値が保たれているのをいいことにしている節がある。ちょっと問題ありかなと思ったりもした。

 千葉から戻ったのは12時近く。翌日からまた小旅行に出るというのに。

1月3日(水)

 この日から二泊三日で日光に小旅行。健保の保養所が日光しか空いていなかったからだが、なんだか年末年始出ずっぱりみたいな感じ。

 支度に時間がかかりあまり寝付けなかったとかがあり、出かけるのはかなり遅く、11時過ぎに出た。まあ日光は何度も行っているところだし、いまさら観光という気分でもない。ということで早めに宿に着ければいいかくらいの感じである。

 途中調べたところ小杉放菴記念日光美術館が三が日のみ開いていて、4日から6日まで休みというので寄ってみることにした。考えるてみると日光で正月を迎えるのは3年連続、そして美術館詣での初っ端をこの日光美術館で迎えるのも3年連続のこと。美術館のことは後日書きたい。

1月4日(木)

 一度でいいからどこにも出かけず、宿でグダグダしていたいものだと思いながら、妻のどこかへ行きたい、観光したいというのでやっぱり出かける。とりあえず鬼怒川方面に向かい、今まで行ったことがなかった鬼怒川盾岩大吊り橋に。

 

 

 

 風が強く、それだけで少し揺れるのに、子どもがわざと揺らしたりする。こういう悪乗りはちょっと勘弁だなと思った。車いす押していて揺れるのはちょっとシンドイ。思わず「おい、揺らすな」と声を出した。向こうからすればビビったおっさんと思ったかもしれないけど。

 それでも吊り橋が大好きな妻はけっこう満足していたみたい。

 

 その後、東武ワールドスクェアに行く。ここも何度も来ているところだけど、ここ1年くらい西洋美術史とかを学んでいるので、やっぱり建築とかそういうものへの興味も増している。そういう人間にはこのミニチュア公園はけっこう面白い。西洋の世界遺産建築、教会建築はやっぱりゴシック建築がメインだなと思ったりもした。このへんのことはおいおい書きたい。

 
1月5日(金)

 旅行最終日。4日までは休みという人が多いのか、前日は神橋前の交差点は滅茶混みで大渋滞していたけれど、5日の午前中はけっこう空いている。そのまま東照宮の駐車場まで登っていっても空きありの案内が。でも東照宮駐車場から東照宮に行くにはかなり急な坂道を登らなくていけない。何度も車いすでシンドイ思いをしているので、今回はそのまま通り過ぎて突き当りを左に曲がり輪王寺の駐車場に行く。駐車場はけっこう空いていて、車いすスペースもある。きちんと舗装された駐車場で、駐車料金も500円と比較的安い。ここは穴場だなと思ったりもしたが、まあ土日休日はすぐにうまってしまいそうだ。

 その後、実は一度もいったことがない輪王寺二荒山神社、大猷院に行ってみた。

 輪王寺の日光三所権現本地仏のスケールにはびっくり。さらに大猷院の見事さなど、これは東照宮よりも見事かもしれないと思ったり。このへんの感想も後日まとめたいと思ったりもした。

 

 最後に輪王寺、大猷院、二荒山神社でそれぞれ書置きの御朱印をもらった。

 

 

 

 その後、妻が今回の旅行で最初からずっと言っていた日光くじら食堂なるところへ行くことにした。しかし日光でくじらってなんだろうと思ったのだが、なんのことはない久次良町という地名のようだ。

 そのくじら食堂はというと神橋からもみじ坂方面に車を走らせて、田母沢御用邸記念公園を過ぎてさらに上る。日光市民病院の手前を入ると細い田舎の住宅街。これでいいのかと思いつつもナビの案内のままに進む。いよいよ道が狭くなる手前に舗装されていない駐車場があり、そこで狭い道を少し上ると突き当りがあり、さらに右へ行くとほぼ普通の民家のような家にくじら食堂の看板が。

 行ったのが2時過ぎだったのでお客もいない。ネットだと2時半までとあるが、お店の人に聞くとラストオーダー3時で4時近くまでは大丈夫というのでいったん戻り、妻を車いすに乗せてふたたびお店に。

 メニューをみると、オムライスのセットかパスタのセットでいくつかソースなどを選ぶことが出来るけれど、ドリンク付きで2200円。たぶん正月料金なんだろうけど、ランチとしてはなかなかなもの。妻はオムライスで自分はカルボナーラを頼んだけど、たしかに美味しい。カルボナーラのソースはかなり美味しくて、まあまあ来る価値ありとは思った。その後小学生くらいの二人のお子さん連れた家族が来たけど、セットを大盛りにして(+200円くらい)二人前にしていたみたい。4人前だと家計に優しくはないなとは思ったり。

こういう道を上る

なおも上る

突き当りに小さく看板が

そしてお店が

店内はこんな雰囲気

カルボナーラ

オムライス