ジョン・レノンの命日 (12月8日)

 

 ホテルネムネムリゾート)の1階ロビーにはレコードとオーディオが置いてある。

 もう経営母体は変わってしまったが、もともと合歓の郷ヤマハが手掛けたリゾート地だった。もう音楽堂とかも無くなっているけど、なんとなくまだその時の雰囲気が残っている。エレベーターや廊下にもヤマハポプコンの写真、ナベサダなどジャズメンのモノクロ写真が飾ってある。

 そしてロビーにはディスプレイ的にレコードが多数置いてあり、オーディオセットもある。夜は6時くらいから9時くらいまでは備え付けのアルコール類でセルフでカクテルや水割り、ロックなどをワンコイン(500円)で楽しめ、フロントにいえば好きなレコードもかけてもらえる。

 夕食が終わったのが9時ちょうどくらい。ホテルに泊まる最終日ということもあり、もう少し飲むかと思い備え付けの酒をみると、カクテル用の酒にビフィーターとタンカレーがあった。そこで迷わずタンカレーをロックで飲むことにする。スリーフィンガーどころかファイブフィンガーともうセルフなので好き放題だ。

 美味い酒となると音楽が聴きたくなる。そういえば12月8日である。リメンバー・パールハーバーとともに、我々の世代には忘れたくても忘れることができない日でもある。レコードの棚を漁ると上のアルバムが見つかった。

 そこでもう9時過ぎでアウトかと思ったのだけれど、ダメもとでフロントに行きレコードをかけてもらえないかと聞くと「いいですよ」と。金曜日の夜であまり混んでいないということだったのだろう。

 そしてジョンの歌声に耳を傾けながらタンカレーで飲んだくれることにする。

 

 このアルバムは1972年にマディソン・スクエァ・ガーデンで行われた慈善コンサートにジョンが出演したときのもの。他にスティーヴィー・ワンダーロバータ・フラック、シャナナなども出演していたという。ビートルズ解散後のジョンによる数少ないライブ音源として、死後の1986年に発売された。リクエストは当然のごとくB面である。

"Mother" – 5:00
"Come Together" (Lennon–McCartney) – 4:21
"Imagine" (Lennon, Yoko Ono) – 3:17
"Cold Turkey" – 5:29
"Hound Dog" (Leiber/Stoller) – 3:09
"Give Peace a Chance" – 1:00

 ジョンが撃たれてから43年の月日が経った。思えば80年代はジョンの死とともに始まったんだったか。

 1995年に新婚旅行でニューヨークを訪れた時には、お上りさんよろしくダコタホテルの前にも行った。セントラル・パークのストロベリー・フィールズにも。

 この雑記にも以前書いたけど、ジョンが死んだという第一報を受けた時、自分は書店員だった。そして衝撃よりも先に自分はまず取次に電話して、2~3ヶ月前に出ていた写真雑誌『写楽』のバックナンバーを注文した。それはジョンとヨーコを特集した号で、表紙の写真は篠山紀信が撮ったジョンとヨーコだった。

 取次の雑誌担当に対して自分の注文はこんな感じだったか。

写楽のバックナンバーをありったけ集めてくれ。買切でもなんでもいいよ。」

 普通、雑誌は当然委託で返品自由だけど、バックナンバーの注文品は買切だった。

「どうしたんですか、いきなり『写楽』のバックナンバーなんて」と取次担当。

「ジョンが死んだんだよ、撃たれたらしい。」と私。

 雑誌は数日で50冊くらい入ってきた。そして当然のごとく完売した。

 その日、ジョンの死をまず商売にしたことになんとなく嫌悪を感じたりした。飯田橋から新宿まで一人で歩いた。途中、酒屋でポケットウィスキーを買い飲みながら歩いた。当時はコンビニなんてものはなかった。そして新宿の行きつけのバーで沈没した。

 それが自分の1980年12月8日だ。

 レコードを聴いているとホテルの女性が備え付けの酒類を片付けに来た。私には「そのまま寛いでいてください」とも。ちょうど「ハウンド・ドッグ」がかかる頃だ。

「このレコードお好きなんですか」と女性が聞いてくる。

ビートルズって知っている」

「はい、知っています」

「今日はビートルズのリーダーのジョン・レノンの命日なんだ。ニューヨークの自宅の前で撃たれたんだよ」

「え~っ、本当ですか。撃たれたって誰に」

「熱心なファンで、今でいえばストーカーみたいなやつ」

「ずっと後になってからだけど、ニューヨークのジョンが撃たれた場所に行ったことがある。ダコタホテルという高級マンションなんだけど」

 そんな会話をしていると、ちょうどレコードが終わった。

「女性は、じゃあ裏面もかけますね」とセットしてくれた。

「時間、大丈夫?」

「全然、ゆっくり聴いていてください。お酒は大丈夫ですか」

 タンカレーはまだ三分の一くらい残っていたんで、それはいいと応えた。

 そのようにして43年経ったジョン・レノンの命日を伊勢志摩のホテルで過ごした。