ビートルズのこと

 ビートルズの最後のシングルということで発表になった「Now and Then」、当然のごとく聴いた。ある時期のジョンのスローバラードを料理しましたっていう感じ。まあ演奏とMTV映像は懐かしくもあるけど、今一つ心動かない。ジョンの音源というか一種のスケッチをもとにAIとジャイルズ・マーティンがフォーマットを作り、それをポールが料理したみたいな感じだろうか。最後の新曲というよりも、曲作りのために録音したスケッチという音源を再構成という名のでっち上げた「最後の曲」というところか。なんかもうそろそろこういうのはいいかなと思ったりもする。

 

 

ナウ・アンド・ゼン (ジョン・レノンの曲) - Wikipedia (閲覧:2023年11月15日)

 

 ポールは21世紀になる前後あたりから、積極的にビートルズの楽曲の継承、伝承者としてビートルズ楽曲を中心としたライブを繰り広げてきた。それと同時に自らのアルバム作成とは別に、ビートルズの古い音源をもとにしたこうしたリミックスを超えた再構成プロジェクトも主導している。

 もはやビートルズはポールとリンゴしかいないけど、サウンドクリエイティブという意味ではポールが唯一の生き残りといっていいのかもしれない。ビートルズの遺産を総取している、独り占めと揶揄される部分もある。でも20世紀が生んだ希代のサウンドクリエイターだ。さらに彼はマルチミュージシャンとしても天才でもある。

 ポールのここ20年くらいのビートルズ楽曲中心のライブに行ったことがある人ならわかると思う。ポールのあのバンドの技術レベルの高さと圧倒的なステージパフォーマンスだ。単なる懐メロバンドではないのだ。ポールを含め、二人のギター(ラスティ・アンダーソンとブライアン・メイ)とドラム、キーボード(エイブ・ラボリエルJr、ポール・ウィッケンズ)の5人だけで毎回37曲前後演奏するのだから。

 自分は2013年に2回、2015年に1回と都合3回ドームに行ったけど、本当に演奏のクオリティは高かった。まさにビートルズの伝承者はこの人しかいないと実感したものだ。そのポールもすでに80歳。彼の年齢を考慮すれば「最後の新曲」というのも納得できるかもしれない。

 多分、今のスタジオの技術、AI、さらにCGなどを駆使すれば、永遠にビートルズサウンドを新たに再現することも可能かもしれない。いや多分できるに違いない。でも多分それはリアルなビートルズとは異なるのだろう。単なる音源、アーカイブされた音源ではないビートルズサウンドは、生き残った二人の肉体と対になっている部分が大だろう。そして単なる秀逸なドラマーであるリンゴではなく、サウンドクリエイターであるポール・マッカートニーに寄るところが大であると。

 

 ビートルズはなぜ再結成しなかったのだろう。1971年の解散以来、4人が一緒になることは一度もなかった。3人がレコーディングに参加するということはあったにしても。多分その一番の理由は、ジョンが1980年という早い段階で死んだことが大きかったかもしれない。70年代、ジョン、ポール、ジョージはそれぞれにソロとしての活動の幅を広げた。みんな独自でやりたいことを始め走り始めた。そういう時期に、後ろ向きともいえるような再結成などは多分考えることはなかったのだろう。

 ジョンの死んだ後も、ポールは80年代のヒットチャートで活躍した。そうした時期が一段落するのは90年代になってからだ。ジョンがもしも生きていたなら、その時期に再結成とかライブツアーみたいなプロジェクトが立ち上がったかもしれない。すべて歴史のイフの話だ。

 

 他にも再結成に至らなかった理由はあるだろうか。適当に思う。ビートルズは原則的にグループサウンドだ。4人が対等ではない。ただしジョンとポールという二人のフロントが対等にサウンドクリエイトしていく、そういうバンドだった。まさにレノン・マッカートニーのバンドだった。

 50年代、60年代に生まれたバンド、特にビートルズ以前に生まれたバンドは、たいてい一人のスター・プレイヤーとその他のメンバーで構成されていた。〇〇アンド〇〇ズみたいな感じだ。でもビートルズだけはメインボーカルを置かないスタイルだった。同時期にデビューし今現在も活動を続けているローリング・ストーンズは明らかにミック・ジャガー・アンド・ローリング・ストーンズだ。スーパースターのミックとその他みたいな感じである。キースにしてもミックの前では一歩引いた存在だし誰も同格だとは思っていない。

 それに対してビートルズはある意味4人のバンドだった。初期にはジョン・レノンが主導した。文字通りリーダー格だった。ジョンの最高傑作といわれる「 A Hard Day's Night」あたりはジョン・レノンザ・ビートルズという雰囲気さえあった。じょじょにポールは才能を開花され、ジョンを追い抜き追い越していった。「Revolver」あたりからはずっとそう。「 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」や「 Abbey Road」はポールのコンセプトアルバムの趣がある。

 映画「Let It Be」や「Get back session」あたりを見ていると、完全にポール主導のバンドである。ポールのアイデアにジョンはついていける。ポールもジョンには常に一目置いている。二人には阿吽の呼吸がある。だからいつスタジオに現れるかわからないジョンとヨーコをポールは許容できる。ジョージは二人の間に入っていくことはできない。ジョンは許容できてもポールはジョージには辛くあたることもある。

 ジョージの一時グループからの離脱はそういうことだったのだろう。「Get back session」を見ているとそれがよく判る。リンゴはどうか。彼はプロのミュージシャンだ。いつもスタジオに誰よりも早く来る。いつでも演奏できるようにスタンバイしている。誰かが来なくてセッションがキャンセルされても不平は言わない。彼はプロのドラマーなのだ。

 1968年以降のビートルズは才能を開花させたポール&アンド・ザ・ビートルズだったのかもしれない。解散したあとそれぞれの道を歩む。ジョージはもうポールの呪縛から解放された。スタジオで「ああせい、こうせい」と言われることもなく、自分の好きな曲を作り続けることができた。そしてジョンもヨーコとの共同生活と自分の曲作り、アルバム作りに専念する。

 70年代に再結成なり4人集まってのライブが行われなかったのは、大きくなりすぎたポールの存在があったのでは。まあ適当な想像である。ビートルズはジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人によるグループサウンズだ。それが崩れたことがビートルズの解散と再結成を阻んだということかもしれない。

 2000年代に4人がみんな生き残っていたら、1回や2回は4人で新アルバムを作り、ワールド・ツアーなどもあったかもしれない。ヤッパリ大きすぎるポールの存在があるから、ポール抜きの3人でのライブとかも。まああまり見たくはないような気もするが。

 21世紀になってから、ドサとは言わないがジーサンと化したオールドネームによる懐メロツアーがたくさん行われている。行けばそれなりに楽しめる。最盛期の記憶がよみがえるし、それに熱狂した自分たちのことも思い出す。また80代になっても過去にとらわれない、懐メロを享受したいファンにこびないディランみたいなアーティストもいる。

 とはいえビートルズの4人のグループサウンズは多分1980年12月に永遠に失われたのだろうとは思う。まもなくジョンが死んで43年、ジョージが死んで22年になる。