映画『薔薇の名前』を観た

 映画『薔薇の名前』を久々に観た。

 もちろん公開当初に劇場で観ている。その後、一度くらいはレンタルDVDで観ていたかもしれないが、それからでもだいぶ経つ。たぶん20年以上かそこらか。

 哲学者、記号論ウンベルト・エーコによる哲学・歴史小説の映画化である。

 中世末期の14世紀、北イタリアの修道院を訪れたフランシスコ会の修道士パスカヴィルのウィリアムとその弟子アドソが、修道院内で起きる奇妙な殺人事件に遭遇しその謎を解く。中世末期の修道院を舞台にしたミステリーであり、そこにフランシスコ会教皇庁との間で起こった「清貧論争」、そして異端者を悪魔の所業として火刑に処す過酷な異端審問官などが描かれる。さらに殺人事件の原因となるのは、修道院内に秘匿される様々な写本、その中で存在したかどうかがあやふやなアリストテレスの『詩論第二部喜劇について』がキーワードとなっていく。

 修道院内の図書室は立体迷路のようでもあり、それはさながらホルヘ・ルイス・ボルヘスの「迷宮図書館」を具象化・映像化させたかのようでもある。

 主人公のパスカヴィルのウィリアム、その弟子アドソは、それぞれコナン・ドイルシャーロック・ホームズとワトソンを連想させる。「パスカヴィル」は『パスカヴィルの犬』を、アドソのイタリア語の発音は「ワトソン」に似ている。そしてアリストテレスの『詩論』を隠匿する修道院の図書館長はホルヘ師という。まさにホルヘ・ルイス・ボルヘスを連想させる。

 この歴史小説的ミステリーはこうした様々な引用、インスパイアに溢れている。

薔薇の名前 - Wikipedia (閲覧:2023年11月7日)

 

 そしてこの小説のモチーフとなるのは中世修道院で連綿と続けられていた写本である。写字生でもある修道士たちは毎日写本制作を続ける。日のさす日中、祈祷の時間を除いて、ひたすら写字室で机に座り、白鳥の羽のペンを用いて羊皮紙に美しい書籍を写していく。中には挿絵係もいて美しい挿絵を独自の意匠により描いていく。

 この小説を読み、また映画を観ることで、初めて中世の写本作りというものを知ったのだと思う。グーテンベルク活版印刷が生まれるまで、本というものはこうして修道院の中で写本という形で作られ続けてきたのだ。何百年もの間。中世の文字文化はそうやって伝承されてきたのである。

 その多くはキリスト教にまつわるもので、聖書や教義書である。さらにはスコア派哲学によってキリスト教の教義とギリシア哲学が融合されたことにより、ソクラテスプラトンアリストテレスの著作やギリシアローマ神話もまたギリシア語原典、あるいはラテン語翻訳の形で写本として伝えられてきたのである。

 

 最近学習している西洋美術史の一コマでのレポート課題が「ギリシア・ローマの文学や思想が、後世ヨーロッパにどう影響を与えたか」についてだった。キーワードになるのは文献学である。その課題を目にしたときに、最初に思いついたのは、このウンベルト・エーコの『薔薇の名前』であり、中世修道院における写本制作だった。

 実際、ルネサンスにおける文芸復興は、文献学によって広がったともいえる。14世紀の人文主義者たち、ゲーテやペトラルカ、ボッカチオらは、写本にアプローチし、ある者は修道院から原典の写本を発見し、その中からラテン語訳を実現させていく。そのようにしてホメロス作品はラテン語訳化された。

 また14世紀後半には、ビザンティン帝国からクリュソロラス、プレトンといった文人たちがフィレンツェに招聘され、ギリシア語講義がさかんに行われるようになる。そこからポッジョによるキケロの演説原稿写本の発見、フィチーノによりプラトン全著作のラテン語訳が完成される。

 さらに15世紀半ばには、北方ドイツのマインツグーテンベルクが金属活字を開発し、ブドウ圧縮機を転用して活版印刷を実用化させる。そこから山深い修道院の中で秘儀として写本制作され継承されてきたギリシア・ローマの思想や文芸は、ルネサンス期ヨーロッパに広がっていった。

 レポートにはそんなことを書こうと思った。そして実際、内容的にはそんなことを展開した。そのために『薔薇の名前』を観てみたいと思った。もちろん上下巻の大著を読めばいいのだが、多分にそんな時間もなく、ジャン=ジャック・アノー監督による映画を観ておさらいすればいいかと思った。

 でも今、『薔薇の名前』はなかなか入手もできないし、サブスクの配信サービスでも見当たらない。AmazonプライムNetflixにもない。TSUTAYAのレンタルでもない。そのうち探すかと思っていたのだが、学習のため利用している市立図書館の貧弱なDVDの棚の中でそれを見つけた。つい数日前のことだ。小躍りして借りてきたようやく観たという次第だ。

 映画は重厚な哲学・歴史小説&ミステリーをいい意味で卑俗化している。最初に観たときにも、ウィリアム師を初代ジェームズ・ボンドショーン・コネリーがやるというのはミス・キャストではないかと思ったりもした。でも実際に観てみると、いい意味で人間臭い、インテリ修道士でありながら、どこか人間的で生臭坊主的な部分をも感じさせるところを、ショーン・コネリーを見事に演じていた。

 すでにジェームズ・ボンド色を抜け出そうと様々な役を演じていたが、この映画にいたってアクション俳優から渋い演技派、それでいて男の色気を感じさせる名優に見事に脱皮したのではないかとそんなことを思った。

 二十年ぶりくらいで観た今回もショーン・コネリーに対する見方はまったく変わらなかった。ときに陰惨で、猥雑、そういう中世的雰囲気の中で、ショーン・コネリーの軽みはある意味救いでもある。アカデミー主演男優賞あげてもよかったんじゃないかと思ったりもする。試しに1986年のアカデミー賞はというと男優賞はウィリアム・ハート(『蜘蛛女のキス』)、うむむむ。ちなみに翌年の1987年にショーン・コネリーは『アンタッチャブル』で助演男優賞を受賞している。余談である。

 ウィリアム師の弟子アドソを演じているどこかあどけない少年ぽい俳優はクリスチャン・スレーターだったのを改めて発見。当時はまったく意識もしてなかったし、その後はたとえば『ブローク・アロー』とかを観ても、あのアドソが・・・・・・、みたいなこともなかった。思えば80年代後半から90年代はあまり映画みていない時期ではあったのだけれど。

 とりあえずレポートとかそういうことで思い出した『薔薇の名前』だったが、今さらながら面白い映画だったとは思う。1986年公開、およそ37年前の作品。主演のショーン・コネリーも2020年に90歳で亡くなっている。