たまたま車を走らせていて見つけた建物、以前から気になっていた小平市のガスミュージアムに行って来た。
ここは東京ガスの歴史と、人の暮らしとガスの関わりをガス器具や錦絵などから展示・紹介する歴史博物館。明治期からのガス器具約1200点、明治錦絵約400点などを所蔵している。
この2棟の展示館は、明治時代に建てられた東京ガスのレンガ造りの社屋を移設して復元したもの。
●利用案内
開館時間:午前10時から午後5時(入館は午後4時まで)
休館日 :月曜日/年末年始(月曜日が祝日及び振替休日の場合は翌日が休館)
入場料 :無料
駐車場 :30台(無料)● 現在開催中の企画展
「サクラが彩る 東京風景」展
会期:2022年2月1日(火)~3月27日(日)
会場:ガスミュージアム ガス灯館2階ギャラリー
ガスミュージアムが明治時代の錦絵(多色刷浮世絵版画)を多数収蔵していることは、去年府中市美術館で観た「映えるNIPPON 江戸~昭和名所を描く」展で知った。特に赤絵と呼ばれる「開化絵」を多数所蔵している。府中市美術館のその企画展でも、明治期の「開化絵」はほとんどがガスミュージアムの収蔵品だった。一度行ってみたいと思っていたところだ。
錦絵は多色刷の浮世絵版画の総称だ。年号が明治に改まり、江戸から東京へと名を変えた時代、急速な西洋化、近代化が進む中で、都市の景観も大きく変わった。洋風な建築物やガス灯が立ち並び、馬車や人力車行き交うなかで、人々の生活も日々変化していく。そうした世相、風俗、風景を描き出した錦絵を「開化絵」と呼ばれるようになった。その色彩には輸入されるようになったばかりの化学染料が用いられ、特に紅色や紫色がひときわ目をひく鮮やかさを見せ、ときにはどぎついとさえいわれた。そのため、この時代の「開化絵」を「赤絵」と揶揄して、江戸時代の浮世絵よりも低い評価を受けることもあったという。
現在開催中の企画展は「サクラが彩る東京風景」展と題して、文明開化を彩る街路樹の桜や新たな新名所での桜並木などを描いた錦絵を展示するというもの。お花見シーズンに即したものだが、こうした企画がうてるのも約400点からの所蔵品をもっているからこそかもしれない。
銀座は明治5年(1872年)の大火後に、アイルランド出身のお雇い外国人ウォートルス*1の設計により煉瓦造りの建屋による街づくりが進められた。煉瓦厓の通りは車道の両脇に歩道が設けられ、車道と歩道の間には街路樹が植えられた。街路樹は12メートルおきに148本が植えられ、種類は桜、楓、松などだったという。
ウォートルスは銀座の街づくりを終えた直後に解雇され、その後はニュージーランドで鉱山技術者として働き、その後アメリカに渡りコロラド銀山を発見して成功したという。19世紀、イギリスには海を渡るこうした技術者が多数いたという。なにか小説とか映画にでも出来そうな話だ。
1890年(明治23年)に浅草公園に建てられた展望塔浅草凌雲閣は当時日本で最も高い建物。10階までのレンガ造りの上に木造2階の展望塔がのる設計となっていたため、「十二階」と呼ばれるようになったという。関東大震災時に8階以上が崩落し、全体の損傷が激しかったため解体された*2。
明治23年(1890年)4月1日から7月31日まで開催された第三回内国勧業博覧会は、来場者が100万人を超えるほど盛況だったという。
ガスミュージアムには錦絵を展示するギャラリーのある「ガス灯館」とガスと人々の暮らしにまつわるガス器具などを展示する「くらし館」がある。「くらし館」には懐かしい昭和のガス器具が多数展示してあり、これを見るのもまた楽しい。
カニストーブとキャプションがあった。戦前にはこんな楽しいストーブがあったのか。
電気炊飯器に対抗して開発されたという。あまり普及しなかったようでガス炊飯器というのは自分の記憶でもあまり見たことがない。
ガス冷蔵庫である。冷媒にはアンモニアが使われていた。
団地などによくあったキッチンだ。ガス湯沸かし器からのお湯は、最初に使った時にはけっこう感動ものだった。延長ホースみたいなものをつけて使っていたような記憶がある。
これは戦前の文化住宅の模型だとか。二間だか三部屋のうちの一つを様式に使っていた。右の白いのは暖炉で、中にはガスストーブが設置されていt。あ
戦後の初期型の団地のダイニングキッチンである。この狭い空間で家族四人が日々食事をとっていたのだが、当時としてはかなり先進的なイメージだった。
「くらし館」も昭和生まれ昭和育ちの自分らからすると、けっこう懐かしいというかノスタルジックな思いにかられる。ここも偶に訪れると小1時間過ごせる。入場料は無料である。東京ガスの初代経営者は去年の大河ドラマ(だっけ)の渋沢栄一である。「ガス灯館」には彼のことについてもけっこう細かい説明があった。