日本美術をひも解く~藝大美術館 (9月15日)

 東京藝術大学大学美術館で開催中の「日本美術をひも解く-皇室、美の玉手箱」展に行って来た。三の丸尚蔵館、芸大美術館所蔵の名品、しかも国宝6点、重文1点が出品されているというだけあり、評判の高い企画展。

 土日は相当混むだろうということで、ウィークデイの木曜日に行ったのだが、メチャ込み状態。自分らと同じようなジジババが多数来館されていた。正直、人混みで疲れてしまうくらい。

 実際、作品の前には長蛇の列、しかも立ち止まってじっくり見る方も多数いて、滞ること滞ること。これに鑑賞ガイドの番号がついた作品はさらにさらに渋滞。これだけ混むのだから、立ち止まらないでくらいの案内をしてもいいのではないかと思ったくらい。そう、立ち止まって見るのなら、後ろに回るとかそういうやつだ。

 ウィークデイでもこれほどの集客力の理由ははっきりしている。人気の伊藤若冲の「動植綵絵」の30幅のうち10幅が一挙公開なのである。伊藤若冲だし、「動植綵絵」だし、これはしょうがないなとも。事前にこのへん調べて来ていたら、もう少し傾向と対策を考えたかもしれない。例えば、閉館が近い3時過ぎに入るとか。

 リタイヤ組の高齢者の行動は早い。ウィークデイの美術館は意外と午前中に混んだりする。そして午後の3時くらいまでには引けていく。友人に聞いたら、開館と同時に入って昼頃には出てどこかで昼食を食べて帰る。次は昼過ぎに来て3時頃に引ける。友人の半ば妄想的想像だと、その後はデパ近でそこそこの食品買って帰るのだそうだ。服装もけっこういいもの着ているのだとか。ジイサンはポロとか来ている確率高いとか、バッグはコーチの率がうんちゃらなんちゃらとどんどん展開する。自分も高齢者の一人で、普段着の半分くらいがラコステなのに言うわ言うわ。

 そのへんは余談として、こちらが今回行ったのは12時半頃で、ある意味一番混んでいる頃。会場内に入ってすぐに、これはもうじっくり鑑賞は諦めだなと思った。列の隙間が出来たところに入ってざっと見るみたいな感じ。

 展示は5章立てになっている。

特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」/2022年8月6日(土)~9月25日(日)/東京藝術大学大学美術館

序章 美の玉手箱を開けましょう

1章 文字からはじまる日本の美

2章 人と物語の共演

3章 生き物わくわく

4章 風景に心を寄せる

 そして国宝はというと以下のとおり。

絵因果経          奈良時代 1巻

屏風土代     小野道風 平安時代(928年)   1巻

蒙古襲来絵詞        鎌倉時代(13世紀)  2巻

春日権現験記絵  高階隆兼 鎌倉時代’(1309年頃) 20巻のうち2巻

唐獅子図屏風   (右隻)狩野永徳、(左隻)狩野常信 (16世紀~17世紀) 

動植綵絵     伊藤若冲 江戸時代(1757-1766) 30幅のうち10幅

 ただし「唐獅子図屏風」は8/28日までの前期展示。多分これが前期展示の目玉で、後期展示の目玉が伊藤若冲ということらしい。この手の前期展示、後期展示での名品出品があるので、本当はHPできちんとチェックしていくべきなのかもしれない。HPの出品目録をダウンロードして細かくチェックしておくのがいいのだろうけど、このへんもう少し親切な案内できないものだろうか。せめて目玉作品だけでも前期、後期を大きく案内してもらえないかと思ったりもする。

 春に東近美で開催された鏑木清方展は、作品ごとの展示期間がまちまちだったので、全部見るためには4回くらい足を運ばなければならない。あまりの判りずらさに自分で展示期間別のリスト作ったくらいだった。

鏑木清方展 期間別展示リスト - トムジィの日常雑記

 個人的には若冲より狩野永徳の「唐獅子図屏風」が見たかったのだが、まあこれは言っても詮無い話。もっとも国宝ではないが宗達の「扇面散屏風」や応挙の「牡丹孔雀図」は後期展示なのでそれはそれでラッキーという気もする。芦雪や狙仙のかわいい系動物図は前期展示とか、このへんを言っていくときりがない。

 会場は1章、2章が3Fで、いきなりエレベーターで上階に向かう。そこで最初に経本系で長い列。経本系はあまり興味がないし、見ていてもわからないので早々に列から離脱。美術館では妻とはわりと別行動とること多いのだが、妻は音声ガイドを聴きながらゆっくりと列に並んでいる。

 そのあと、宗達の「扇面散屏風」で列の合間に入ってしばし鑑賞、それから「春日権現験記絵」「北野天神縁起絵巻」は、「おっ、これ教科書に載っているやつ」ということで割とじっくり鑑賞した。そう名品の蔵出しだと、日本美術史の教科書に図像が載っているものが多い。

 今、通信教育の大学で美術を受講しているのだが、ちょうど夏季に受講した日本美術史が鎌倉・室町・安土桃山・江戸あたりだったので、このへんの寺社縁起絵巻ものとかはお勉強したばかりなのである。さらにいえば丸山応挙の「牡丹孔雀図」も応挙40代の代表作として教科書に載っていた。実作を改めて見てみると、応挙の写生画の神髄に触れるようだった。

 ひととおり3Fの展示を見てからまだ途中のところにいた妻と合流。妻はガイドの番号のある展示品になかなかたどり着かないので、 

 そして3Fをあとにして第二会場のB2Fへ。まずエレベーターを降りて右側の「3章生き物わくわく」のコーナーに。こちらは目玉の伊藤若冲の「動植綵絵」10幅がどど~んと展示してあり長蛇列。目玉ですのでここでは律儀に並ぶ。正直にいうと若冲がここまで人気があるのが実はよくわからない。細密だし、奇想だし、でもそういう画家けっこういるし。

 自分はにわか美術趣味者なので、東京都美術館で2016年に開かれた「生誕300年記念 若冲展」には行っていない。ある程度まとめて見たのは同じ東美2019年の「奇想の系譜展」あたりだっただろうか。そして同じ年にたまたま訪れた福島県立美術館での「伊藤若冲展」を見た。あれはGWだったこともあり、えらい混み方で駐車場に車止めるのにも難儀した。

 伊藤若冲はもともと狩野派に学び、その後宗元画の模写に打ち込み、さらに博物学的関心から動植物の細密画にを描くようになり、さらに軽妙さやデフォルメ、ユニークな構図やユーモラスな表現など、いわゆる奇想の画風を形成させたという。

 鑑賞としては普通にその面白味を味わえばいいのだろうが、若冲を知るためには例えば南蘋派や黄檗僧・鶴亭などの長崎派などの知識を仕入れるとより楽しめるのかもしれない。今の段階では単なる印象での好き嫌いみたいな感じだ。もっともこれだけ沢山の画家、作品があるので、第一印象的な部分での好みに依拠しても仕方ないかとは思う。「動植綵絵」は細密で見事だとは思うのだが。

《向日葵雄鶏図》 (伊藤若冲) 1759年

《紫陽花双鶏図》 (伊藤若冲) 1759年

《梅花小禽図》 (伊藤若冲) 1758年

 その他、気になった作品をいくつか。

《牡丹孔雀図》 (円山応挙) 1776年

 奇岩の上に休む雌雄の孔雀という画題は、さらに手元の花なども含めて中国花鳥画的だが、実際の孔雀を観察し写生した細密な描写は応挙の独自性ということかもしれない。この実作はいつまでも記憶に残るような気がする。今回の展覧会は多分、この作品の記憶とともに残るような気がする。

 

《鮭》 (高橋由一) 1877年頃

 これは藝大美術館所蔵の重文作品だ。これも近代美術史の入門書や教科書でよく見かけるが、ここで実作にお目にかかるとは。ワーグマンやフォンタネージに学んだ高橋由一の写実的油絵の代表作といえる。この明治初期の洋画は、ほとんどが模倣と習作だと思う。いやぶっちゃけて言えば、明治期の洋画はみんなそうだろうとも。日本の西洋画の受容は、江戸時代の秋田蘭画司馬江漢、亜欧堂田善ら限られたものであり、本格的には明治期に入ってからである。短期間に油絵の技術を吸収するために模倣と習作を続けたというのが実情だと思う。日本で洋画=油絵がオリジナリティを獲得するのは、実は大正、昭和に入ってからではないかと、なんとなく思っている。

 

《ナイアガラ景図》 (五姓田義松》 1889年

 1889年(明治22年)に日本の画家がナイアガラの絵を描いている。なにかこれだけで楽しくなる。五姓田義松は1888年明治21年)に渡米し、三回ほどナイアガラを訪れて写生を行っていると図録解説にある。帰国後その写生と記憶をもとにこの大作を描いたのだという。

 

栗子山隧道》 (高橋由一) 1881年

 これは芸術というよりも記録画とでもいうべき作品。栗子山隧道は1876年(明治9年)に着工し1880年明治14年)に開通した当時は日本最長(864メートル)のトンネルで、山形と福島の県境にあったものだとか。その後栗子隧道として整備されたが後に落盤のため閉塞されているとか。

栗子隧道 - Wikipedia

 開通した当時、栗子山隧道は幅は7メートルあったが、高さはそれほどでもなかったという。高橋由一は人の姿を小さく描くことで、トンネルを誇張して描いたと伝えられている。

 

《柿置物》 (安藤緑山) 1920年

 牙彫(象牙の彫り物)である。本来牙彫は、材料である象牙の乳白色が特徴的であるのだが、安藤緑山は象牙に着色することでリアルな写実性を表現しているのだとか。キャプションの象牙というのを見て、現代ではこういう作品を作ることができないのだなと思ったりもした。しかしそもそも象牙はその乳白色に価値があるのに、着色しては意味がないのではと思ったりも。着色するなら木彫りでもなんでもいいのにとも。作品自体は見事だし、見ていると魅入ってしまう、そういう魅力的な作品ではある。でもなあ、象牙で着色はなあ。まるでブロンズや大理石の彫像を着色するなんて、あまりしないだろうにと思ったりも。

 

《秋茄子》 (西村五雲》 1932年

 西村五雲は、竹内栖鳳門下で動物画を得意とした人だったか。以前、山種美術館で《白熊》を見て覚えていた。この狐たちの姿はユーモラスかつ美しい写実性がある。

 

 今回の企画展は主に三の丸尚蔵館所蔵の名品を蔵出ししたものだ。尚蔵館自体は現在新博物館建設中のため休館となっている。来年秋に新館となる予定なので、それまで所蔵名品は地方巡回でもするのだろうか。図録を見ると藝大美術館単館での開催のようだ。しかし所蔵品は若冲以外でも名品揃いである。これまでは尚蔵館にあるとはいえ、いつ見れるのかがわからないこともあり、今回のように蔵出し企画は有難いところだ。

 しかしもともと皇室の財産とはいえ、たしか昭和天皇が亡くなったときの相続がらみで、現上皇が国に寄贈した美術品の保存、研究、公開施設として三の丸尚蔵館が出来たときく。そしてその所管は宮内庁だということだが、国に寄贈して国民の財産となったのであれば、文部省所管で東京国立博物館で所蔵するなり、新たな博物館を作れば良かったのではないかと思ったりもする。

 宮内庁所管といっても国費で運営されるのであれば、旧皇室財産とはいえ立憲君主制民主主義国家であれば、民主的な運営が為されてもいいのではないかと、ちょっとケチをつけたくなるのは、多分自分が根っからの共和制信奉者だからかもしれない。「皇室の至宝」といったキャプションで有難がるのではなく、広く国民共有の文化的遺産としてこれらの名品が保存、研究、公開されてもいいのではないかと。まあ宮内庁所管とはいえ、国民の財産であることは間違いないので、目くじら立てることではないのかもしれないけれど。