吹奏楽コンサートを聴いてきた (9月9日)

 

 子どもが入っている市民吹奏楽団の定期演奏会に行って来た。

 この楽団の演奏会は3回目。昨年二度の定演を行っているけど、2回目は子どもがのっていなかったので行かなかった。まあ会場がけっこう遠くだったこともあったけど。

 前回のときにも書いているけど、この市民楽団は子どもが参加していた大学のインカレ・サークルの卒業生を中心に結成されたものだ。音楽が好きでずっと吹奏楽を続けていた人たちも、大学を卒業すると音楽から遠ざかっていく。まあ普通吹奏楽部だと、だいたい高校で卒業が多い。それでも大学まで続け、出来ればずっと音楽をやっていきたい。そういう子たちが集って結成されたということらしい。

 まあなかなか楽団の運営は難しいとは思う。メンバー、練習場の確保、そしてこうした大会場での定期演奏会。相応に金もかかるだろう。ちなみに毎回の定期演奏会は入場無料である。みんな自腹で安くない会費を払って参加している。それを思うと本当にみんな音楽が好きなんだということがわかる。うちの子どももずっと吹奏楽続けているけど、レベルはあまり向上しない。でもやっぱり好きなんだね。以前もずっと音楽は続けていきたいとはいってたけど。

 楽団のメンバーは社会人と学生の混成だけど、練習時間は限られる。その中で6~8曲くらいの演奏をきちんと仕上げるのはたいへんなことだと思う。ずっと演奏を続けてきた人ばかりだから、技術もある程度高いのだろうけど、たいへんだと思う。以前にも書いたけど、一度一緒に来た妻の友人でずっとピアノを続けている人が、「1年でこのレベルで仕上げるのは凄い」と言っていたけど、本当にそう思う。

 

 今回のプログラムは6曲プラスアンコール1曲で、子どもがのったのは5曲。そのうち2曲は15分近くにもなる。音楽に関しては基本素人なのでよくわからないけれど、どれも破綻ない演奏。アマチュアで練習量も限られているので、技術的にはどうだろう高校のそこそこの強豪校レベルくらいだろうか。まあ高校でも超強豪校は、あれはもうプロみたいな感じもするし。そして当然だけど人数が多いパートはよく聴こえる。

 子どものいるパートも、かなり上手い人が二人くらいいて、その人たちを中心によくまとまっている印象だ。やはり人数が少ないパートはなんとなく粗がみえる、というか聴こえるか。

 

 大学の吹奏楽もそうだったけど、選曲された曲は自分たちにはあまり馴染のないものが多い。いまどきの流行りは久石譲の楽曲などが選ばれることもある。今回は「ハウル」が選曲されていた。

 その中で印象に残ったのは「サガ・キャンディダー」、「青葉のころに」、「空が地球にささやいている」の3曲。そのうちの2曲は13~14分くらいある長大な曲だけど、これがきちんと仕上がっているのが素晴らしい。「サガ・キャンディダー」はベルギーの作曲家ベルト・アッペルモントのもので、もともとはミュージカルの劇中歌を演奏会用の組曲に再構成したものだとか。作曲家は1973年生まれとまさに同時代の音楽。

 「空が地球にささやいている」は、この楽団が委託して作曲してもらった新曲だという。作曲家の清水大輔氏も1980年生とまさに現役バリバリの人だ。あとでウィキペディアをみるとジョン・ウィリアムスに憧れているとも。いわれてみるとそんな雰囲気もなきにしもか。

 一番気に入った曲は「青葉のころに」。これは河邊一彦氏の曲。曲目解説によると川邊氏が中学校への演奏指導のため旅行したときの印象をもとに書かれたという。なんとなく中学や高校での課題曲的な雰囲気がある。軽快なテンポのテーマと壮大でゆったりとしたテーマが交互にあらわれる。こういういかにも吹奏楽曲というのが、実はけっこう好き。というか子どもの中高での演奏に慣れ親しんでいるので、こういう吹奏楽曲に親和性があるというか。

 

 今回は、久々にビデオカメラを持って行って撮ってみた。このビデオはたぶん子どもが中学とか高校の頃に使っていたものだ。かなり年季の入ったものだけどきちんと撮影できた。まあ今はスマホで全部撮影しちゃうのが普通なんだろうけど。

 家に帰ってからmp4の動画ファイルを民生機で使えるように変換してビデオ機で観てみた。多少手ブレはあるがまあ問題なく観ることができた。相変わらずの親バカだな。

 その後、mp4の動画ファイルをmp3に変換。iTunesに入れたりCDに焼いてみた。まあ個人で楽しむ分には許されるだろう。今はそのCDをオーディオで聴いてみている。もともとがビデオカメラからの音源だからあまり音は良くないけど、演奏を振り返ってみることもできるし、こういう展開だったのかとか、後付けで曲理解も進む。

 演奏会はライブの一回性を楽しむのが基本だけど、こういう楽しみ方もあるんだな。

 まあ市民楽団の演奏、そしてそれを個人で楽しむということで、これは許されるだろうか。許されるよね。