金子勝彦氏死去

 新聞の訃報欄に金子勝彦氏が亡くなったことが報じられていた。

(閲覧:2023年8月29日)

 懐かしい名前である。テレビ東京で放映されていた海外サッカー試合を紹介する「三菱ダイヤモンド・サッカー」で岡野俊一郎氏とともに実況解説を行なっていたアナウンサーだ。

 この番組は当初はイングランド・リーグの試合を中心に紹介。前後半の二週にかけて放映していた。のちに奥寺康彦がドイツのFCケルンに移籍すると、ブンデスリーガの試合も放送した。さらに1974年の西ドイツワールドカップの決勝を実況し、その後主要な試合を放映した。

三菱ダイヤモンド・サッカー - Wikipedia (閲覧:2023年8月29日)

 自分が多分サッカー好きになったのは多分この番組の影響が大きい。そしてずっとイングランドを贔屓にしているのも。

 70年代、日本サッカーはずっと不毛な状態だった。日本代表はアジアでも韓国、北朝鮮、中国などの後塵を拝するレベル。年に何度かヨーロッパや南米のクラブチームが興行として来日して日本代表と試合をしても、まったく歯がたたなかった。ワールドカップに出場するなどというのは夢の夢のことだった。

 日本代表が今世紀中(20世紀)に出場するのは無理だろうし、多分自分が生きているうちに世界の舞台で活躍などは難しいと思っていた。20世紀のぎりぎりラスト、1998年のフランス大会にはなんとか出場したし、それ以降連続して出場する中堅サッカー国にまでなった。でも70年代にそんなことは想像もできなかった。

 そんな時代に「三菱ダイヤモンド・サッカー」は世界に開かれた窓みたいな番組だった。思えばテレビ東京は60年代にもアメリカのプロレスを放送する番組があったりと、海外スポーツを紹介することに力を入れていた。今思えば、多分安いコンテンツだったのかもしれないし、ある種のニッチ狙いだったともいえるだろうか。

 しかし日本リーグや代表のレベルの低いサッカーを見慣れた子どもにとって、海外サッカーはテクニック、戦術には毎回驚かされた。サッカーの面白さとかこういうことなんだみたいなことが植え付けられた。多分、当時この番組を観ていたサッカー小僧たちは、みんな同じような思いでいたのではないか。

 そしてハイレベルな海外リーグや代表チームの試合を実況解説するのが、金子勝彦氏であり岡野俊一郎氏だった。なにより二人にはインテリジェンスがあり、その後のスポーツ実況の主流となる熱狂型の声を張り上げたようなものとは異質だった。

 スーパープレイを目の当たりにしたときの岡野俊一郎氏の名セリフ。

This is Football!

 そして番組冒頭での金子氏のお馴染みの挨拶。

サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか。三菱ダイヤモンドサッカーの時間です

 金子氏は20日に肺炎で亡くなられたという。享年88歳。

 ご冥福をお祈りします。

 YouTubeでダイヤモンド・サッカーの動画を探してみた。以前は74年のワールドカップ勝戦もあったがちょっと見当たらなかった。そんななか、1978年のブラジル代表のヨーロッパ遠征の時の放送が残っていた。ブラジル代表対イングランド代表。ジーコがまだ10番ではなく、セレソンの10はリベリーノがつけている。そしてのちに鹿島で監督をしたトニーニョ・セレーゾも荒っぽいディフェンスをみせる。

 イングランドケビン・キーガン、フランシス、コッペル、バーンズなどこちらも懐かしい名前がいる。

 往年の名プレイヤーのプレイを岡野俊一郎金子勝彦の解説実況で酔いしれることにする。

(閲覧:2023年8月29日)