京都市京セラ美術館-特集「身体、装飾、ユーモラス」 (10月1日)

 午後は美術館巡りということで、ミヤコメッセの駐車場に車を止めてからまず京都市京セラ美術館へ行く。ここではアンディ・ウォーホルの回顧展「アンディ・ウォーホル・キョウト」をやっていたけれど、予約優先なのと土曜日ということもありけっこう混んでいたのでこちらはパスする。そもそもアンディ・ウォーホルにはあまり興味はないし(一応、キャンベル・スープのTシャツはもってたりはするけど)。

 ということで常設展示の方に行く。常設展示コレクションルームは秋期で特集「身体、装飾、ユーモラス」という。7章立てになっているのだけど、正直企画意図とかがうまくつかめない。まあこちらとしては、沢山の収蔵名品を観ることができればいいだけなんだけど。

 

 気になった作品を幾つか。

《少女》 菊池契月

 多分、菊池契月の中でも一番好きな作品かもしれない。そしてこの京セラ美術館の中でも好きな方の作品。この美術館を訪れたのはリニューアルされてからは三度目になると思うが、なかなか出会うことが出来ない作品が多数ある。丹羽阿樹子《遠矢》、太田聴雨《種痘》、中村大三郎《ピアノ》など。その中でこの作品は二度目になるだろうか。どこかの企画展でも一度観ているはずなので、多分三度目の遭遇である。

 美しい、ある種理想美のような容貌の少女である。どこか日本人離れした印象さえある。美人画のいわゆる浮世絵的な類型を脱した写実性に基づいた表現。でもこんな少女は実際にいるのかどうかとさえ思えてくる。

 この美少女像は徹底的にモダンである。1937年(昭和7年)の作であるが、このモダン性はちょっと時代を抜きんでている。今風のイラストや美人画がこの表現を踏襲しているような気がしてくる。今。「現代の美人画」みたいなキーワードで検索してでてくる、比較的若手の美人画の作品はみんなこんな雰囲気がある。様々な画風にチャレンジした菊池契月の一つの到達点ともいうべき作品のように勝手に思っている。しかしこのポーズ、緩やかな体育座りポーズだけど、長く同じ姿勢でいるのはちょっと大変かもしれない。

 この少女のモデルは誰か。『京都市美術館名品百選』の解説によると、菊池契月の二人の息子にはそれぞれ美しい妻がいたという。その初々しい二人の若妻に魅せられた契月が現代的女性像を連作した一作がこの《少女》だという。そういう点でいえば、この「少女」は少女というよりも若い女性なのかもしれない。不思議とエロティックな感じがしないのは息子の嫁という心理的な抑制が働いているから、というのは言い過ぎか。

 菊池契月は長野出身で中野市で生まれ湯田中で画業を学び始めたという。その後、京都に来て菊池芳文の婿養子となり、京都画壇の重鎮としてキャリアを深めていった。長野の画家というより京都画壇の人ということになるのだろう。多分、何度か回顧展が開かれているが、この先大掛かりな回顧展が開かれるとしたら多分この京セラ美術館になるのかもしれない。亡くなった時も、前身の京都市美術館で市民葬が行われている。

 ただ長野出身ということで、例えば長野県立美術館や水野美術館などで回顧展が開かれてもいいかなとも思う。どうでもいいことだが中野市湯田中は、妻の実家のすぐ近くでもある。まあ京都であれ長野であれ、菊池契月の回顧展が開かれたら、まあ元気なうちであれば出かけていきたいとは思う。

 

 その他気になった作品

 

《夏》 (伊藤小坡) 1920年大正9年

 『京都市美術館名品百選』によれば、当時登場し始めた「簡単服」を着て夏の暑さをしのいでいる女性だという。今はあまり使われないだろうが、「簡単服」はムームーとういうやつだろうか。さらに左端には画架に固定された絵や丸めた下絵、スケッチ帖が雑然と置かれていて、この女性が画家であることがわかる。絵の構想に悩む女性のように見えるとのこと。

 これが女性画家の日常を描いたものということでいえば、これは自画像なのかもしれない。ややもすれば弛緩した、くたびれた日常である。伊藤小坡は1877年生まれなのでこの作品の制作時は43歳くらい。14歳、10歳、6歳という三人の娘の子育て真っ最中の頃でもある。妻として母としての日常生活に追われながらその合間に作画を続ける。その中での倦怠感みたいなものの投影ということもいえるのかもしれない。

 

《青衣の女》(甲斐荘楠音) 1919(大正8年

 緑の単色の着物と帯や襟元、口紅の赤は補色関係にあるという。が、それが効果的かどうかは自分にはうまく感じられない。それよりも緑一色の着物と身体の線が妙にリアルな相として目に入ってくる。甲斐荘楠音は妖艶な女性を描く作風で知られるが、この作品ではさほどそういうのは感じられない。

 

 6章(厳密に章立てにはなっていないけど)「身体、装飾、ゆーもらす からっぽの『からだ』に福田美蘭の《誰ヶ袖図》があった。こういうやつ。

《誰ヶ袖図》 (福田美蘭)  2015年

 「誰が袖図」は江戸時代初期に流行った図案だという。

「誰が袖図屛風」とは「これは誰の着物?」という意味で、衣桁(いこう)や屛風に着物を掛けた様子を捉えた作品群を指します。基本的に部屋の主人公は登場せず、着物のデザインや周りの調度品などから持ち主の人となりを想像するという、機知的な主題です。

古美術はわかりにくい? 「誰が袖図屛風」を通して楽しむ「生活の中の美」

(2022年10月6日閲覧)

 一般的にはこういう絵のようだ。

 

 そして福田美蘭の「これ誰の着物?」はというと、この人またやってるっていう感じである。福田美蘭のディズニーと著作権ビジネスへの挑戦は続くというところだろうか。つい先日も東京国立近代美術館でも、福田美蘭のディズニー笑かし作品を観たばかり。偶然とはいえ東と西を代表する近代美術館で、福田美蘭のディズニーへの挑戦(笑かし)を観ることが出来る。