ポーラ美術館「ピカソ 青の時代を超えて」 (11月25日)

 ポーラ美術館で開催されている「ピカソ 青の時代を超えて」を観てきた。

 この企画展は9月17日から2023年1月15日まで開催されている。ほぼ同時期に上野西洋美術館で「ピカソとその時代」展(10月8日から2023年1月22日)が開かれている。同時期に国内で大掛かりな回顧展が開かれるのもピカソの国内での人気と受容によるものかと思われる。

 今回の企画展は、ポーラ美術館とひろしま美術館のコラボ企画のようで、制作のプロセスに焦点をあてピカソの初期作品から捉え直そうとする共同企画展である。両館はピカソ作品の国内有数のコレクションを持っており。ポーラ美術館が絵画19点と版画(挿絵本)8点を収蔵、ひろしま美術館は初期から晩年までの9点を収蔵している。これに加えて国内の収蔵作品(アーティゾン美術館、大山崎山荘美術館東京ステーションギャラリー、吉野石膏コレクションなど)、さらにバルセロナピカソ美術館、カタルーニャ美術館などからも出品され、合計81点が展示される大掛かりなものだ。

 西洋美術館「ピカソとその時代」展がベルリン国立ベルク美術館所蔵品を中心にして、ピカソの他にパウル・クレーマティスらの作品を含めて97点出品となっていることからすると、国内所蔵品中心で81点は遜色ないものといえる。あえていえば、今回の企画展は企画展名にあるようにピカソの青の時代にスポットをあてたうえで、晩年の作品も多く出品されているのに対して、西洋美術館のそれはキュビスムにスポットをあてているようにも感じられた。さらにいえばいずれの企画展ともに「バラ色の時代」のものは少ない印象もあった。

 また今回の図録は図版以外のテキストも充実していて、読み込みにけっこう時間がかかりそうである。なのでいつものように気になった作品の印象のみ。

 

展覧会概要

(閲覧:2022年11月29日)

・期間:2022年9月17日ー2023年1月15日

・出品作品:81点

「本展の特徴は、ピカソにおける「青の時代」とそれ以外の画業との間に、ある種の対比関係を確立させ、作品の進化やピカソの関心を際立たせることにある」(アドゥアル・バジェス・カタルーニャ美術館主任学芸員

・展示構成

プロローグ

Ⅰ章 青の時代-はじまりの絵画、塗り重ねられた鬼籍

Ⅱ章 キュビスム-造形の探求へ

Ⅲ章 古典への回帰と身体の変容

Ⅳ章 南のアトリエ-超えゆく絵画

作風の変遷

 ピカソの作風については「青の時代」、「バラ色の時代」などと変化していくことは有名だが、実は今一つ理解していない。試しにえらく大雑把に作風の変遷をまとめてみた。驚くことに「青の時代」は20歳から23歳までという時期にあたる。恐るべき早熟な天才だということだ。「青の時代」の前後には初めてパリを訪れて、ロートレックのポスターなどに影響を得た作品(習作?)も描いている。

 まら「青の時代」4年、「バラ色の時代」3年、このへんは習作とはいわないがある種の助走期間だったのかもしれない。そして20世紀の現代美術の母体とも転換点ともなったというキュビスムへと到達するのが20代後半から30代前半にかけてということになるわけだ。

 

作風 年代 年齢 主要作 恋人・妻
青の時代 1901-1904 20-23 海辺の母子像、人生  
バラ色の時代 1904-1906 23-25 サルタンバンクの家族 フェルナンド・オリヴィエ
アフリカ彫刻の時代 1906-1908 25-27    
プロトキュビスムの時代 1907-1908 24-27 アヴィニョンの娘  
分析キュビスムの時代 1908-1912 27-31 マンドリンをひく女 エヴァ・グエル
総合的キュビスムの時代 1912-1921 31-40 籐椅子のある静物 オルガ・コクローヴァ
新古典主義の時代 1917-1925 36-44 母と子  
シュルレアリスムの時代 1925-1936 44-55 夢、鏡の前の少女、読書

マリー・テレーズ

ドラ・マール

戦争とゲルニカ 1937 56 ゲルニカ、泣く女  
ヴァロリス期(陶芸家の時代) 1947-1953 66-72 朝鮮虐殺

フランソワ・ジロー

ジャックリーン・ロック

晩年 1954-1973 73-91 画家とモデル  

青の時代の代表作

海辺の母子像

《海辺の母子像》 1902年 ポーラ美術館

 「青の時代」は1901年に親友のカサマジェスの自殺をきっかけにして、ピカソは酒場の人物像、母子像、物乞いの女、盲目の人物など、底辺にハードな生活を送る貧しき人々に目を向け、人間の悲惨さテーマにした作品群を青色を主調に描いていった。

 同時に自らも貧困にあえいでたピカソは、この時期画材、支持体を満足に買うことが出来ずに、一度描いたカンヴァスを再利用していたという。この絵も最下層に子どもの像があり、中間層に酒場の女性像と男性像からの《自画像》があり、その上にこの母子像が描かれている。それらが最新技術によるX線写真などによって明らかになっている。それを一室を使って、X線画像等を展示してみせる。これも今回の企画展の目玉であるようだ。

 さらにこの絵が青色を主調に平面的に描かれ、黒や暗い青色による輪郭線が用いられているが、

 またこの絵は、彫刻家の友人アミリ・フォンボナの兄で医師のジュゼップ・フォンボナに贈ったものだという。その理由はピカソが罹患した性病をフォンボナ医師が治したことの対価だったという。貧しき画家は自らの作品を様々なサービスの対価とすることがある。ある画家は飲み代の代わりに絵を描いてみせる。ピカソのこの絵が治療費代わりだったということだ。

酒場の二人の女

《酒場の二人の女》 1902年 ひろしま美術館

 たぶんこの作品がひろしま美術館所蔵のピカソの目玉的作品なのではないかと思う。と同時にポーラ美術館の《海辺の母子像》とともに国内にあるピカソ「青の時代」を代表する作品ではないかとも。

 この作品は明らかにゴーギャンの影響がある。最初にパリを訪れた際にロートレックだけでなくゴーギャンナビ派を学んだのだろうか。平面的な画面構成や輪郭線やナビ派そのものである。そうやってみると「青の時代」のピカソ象徴主義そのものだったのかもしれない。

 この二人の女は貧困と病気に苦しむ娼婦である。フランス語タイトルは《石切り場の女たち》と呼ばれていたとい。娼婦の中でも最下層にある、石切り場付近で作業員の男を客にとっていた娼婦たちなのだ。暗鬱な雰囲気の中で会話もなく俯く二人の女の間にはアブサンのグラスがある。ニガヨモギを原料とする強い酒で幻覚などを引き起こすため1990年代には販売中止となった危ない酒である。

 ランボーヴェルレーヌがこの酒を飲んで退廃に興じたという。学生時代にこの酒をしこたま飲んで吐きまくったことを覚えている。メチャクチャ強い酒だった。二人の娼婦はアブサンで一時現実逃避する以外にないのである。

新古典主義の時代

 ピカソの古典回帰、「新古典主義の時代」は1917年から1925年までとされている。その作例は1917-1918年頃には、ドミニク・アングルの影響が顕著な写実的、再現的な作例が制作される。この時期の代表作は最初の妻となったロシアのバレーダンサー、オルガを描いた《肘掛け椅子に座るオルガの肖像》など。

 その後1922-1923年頃には、古代ギリシア・ローマの彫刻から想起された、古代風の衣裳をまとい重量感のある、さらに手足が極端に誇張された女性像などが描かれる。さらに1923年あたりから息子パウロを線描を用いて写実的に描いた作品などが生み出される。

坐る女

《坐る女》 1921年 ポーラ美術館
母子像

《母子像》 1921年 ひろしま美術館
母子像

《母子像》 1921年 ポーラ美術館

 ギリシア・ローマ風の衣裳、彫刻のような造形とはいわれるが、この次第に巨大化していく手足はどういう影響なんだろうか。あたかもギリシアの神殿の列柱のように大地にそそりたつ巨大な足。モデルはオルガと生まれたばかりのパウロらしいのだが、そこには母性の強さみたいなものがあるとは何かで読んだことがある。

 この巨大な手足の表現は新古典主義の柔らかい表現から、じょじょにキュビスム的なカクカクとした形でデフォルメ化されていくようで、それは「ゲルニカ」などに昇華していくようだ。

仔羊を連れたパウロ、画家の息子、二歳

《仔羊を連れたパウロ、画家の息子、二歳》 1923年 ひろしま美術館
花束を持つピエロに扮したパウロ

《花束を持つピエロに扮したパウロ》 1929年 ポーラ美術館

 こ2点のうちポーラ美術館のものは、もう何度も観ている。ピカソらしくないというように感じていた。同じくひろしま美術館の作品も、多分何度か観ている気がする。制作年代とか意識していなかったので、なんとなく色味とかから「バラ色の時代」あたりと適当に思っていたのだが、これって「新古典主義の時代」だったのか。

 線描による輪郭線を強調した再現性、特に《仔羊を連れたパウロ》はなんとなくアーティゾン美術館の《腕を組んですわるサルタンバンク》と同じ雰囲気がある。制昨年はいずれも1923年だ。

シュルレアリスムとの接近

ギターとオレンジの果物

《ギターとオレンジの果物鉢》 1925年 新潟市美術館

 シュルレアリスムとの接近により、立体的な総合的キュビスムが平面的でベタっとした感じになってきている。そしてそれまでのカクカクとした直線的フォルムは柔らかい曲線に変わられるようになっている。

赤い枕で眠る女

《赤い枕で眠る女》 1932年 徳島県立近代美術館

 1925年頃からシュルレアリスムに接近したピカソはその表現を受容し、独自のキュビスム的表現との融合を図ったみたいな作品だろうか。モデルは1930年に知り合い愛人となったマリー=テレーズ。知り合った当時17歳の少女はスポーツが得意な健康的な肢体をもっていたという。若い女性の身体に魅了されるピカソの絵筆は柔らかい線描でこのデフォルメにはどこかマティスのそれを想起する部分もあるか。

ドラ・マールの肖像

《ドラ・マールの肖像》 1937年 徳島県立近代美術館
花売り

《花売り》 1937年 ポーラ美術館
黄色い背景の女

《黄色い背景の女》 1937年 東京ステーションギャラリー

 いずれも1937年、《ゲルニカ》制作と同じ年の肖像画作品。シュルレアリスムの受容とキュビスムの融合、さらに対象の外形的な形態面に着目して立体性の多視点的分割を総合するキュビスムから対象の内面性や画家の心象風景を投影した感覚の多面性を一つの画面に総合する内的キュビスムみたいな。まあ適当に思いついたのだが、この多面的な表現はモデルの内面、あるいはピカソ自身の内面の分裂した感覚を一つの画面に描き出しているようにも思える。まあニワカの適当な思いつき。

 当時、別居する妻オルガ、一児をもうけたマリー=テレーズ、さらに一緒に暮らすドラ・マールとの三角関係にあったピカソの内面性、分裂した思いみたいなものの心象風景があるかもしれない。離婚した場合に遺産の半分をとられるため離婚もできない妻オルガとの関係。優しき愛人マリー=テレーズと気性の激しいドラ・マールがアトリエで鉢合わせをし、ピカソの前で大げんかをするエピソードなど。

 同時期の《泣く女》はドラ・マールを描いた作品として有名のようだけど、実はあの泣く姿はピカソ自身の内面なのかもしれない。

 《黄色い背景の女》には立体感がなく、ベタっと平面的に描かれている。多視点キュビスムシュルレアリスムの受容。実は今回の企画展で一番気に入った作品がこれ。この絵はある意味では《ゲルニカ》と近似的で、「〇〇時代のピカソ」を抜け出した「普遍的なピカソ」が確立した作例ではないかと思う。この表現のバリエーションが戦後の所謂ピカソの絵となっていくみたいな。まあなんというか、これぞピカソみたいな作品だと思う。

シルヴェット・ダヴィット

 シルヴェット・ダヴィットは1954年に南仏で出会い翌年までモデルを務めた。当時ピカソは73、シルヴェットは20。ピカソはシルヴェットをたいへん気に入ったようで、わずか三か月で彼女をモデルとした40点もの制作を行っているという。ボニーテールが魅力のスラっとした肢体の魅力ある女性だったが、彼女はこの時すでに婚約者がいて、彼女がモデルをしているときにも片時もそばを離れなかったという。

 すでに生きる伝説ともいうべき芸術における巨匠に見初められモデルになったとはいえ、その女性遍歴もすでに知れ渡っており、若い娘からすれば物凄く偉い画家ではあるけれど隙をみせれば何されるかわからないエロジジイだったかもしれない。

「なんか凄い有名な画家からモデルになってくれって言われたんだけど、どうしよう。お金にはなるみたいだけど」

「けっこう危ないジイさんみたいだし、俺がつきそうよ」

 みたいなやりとりがあったかどうか。

シルヴェット

《シルヴェット》 1954年 DIC川村記念美術館

 この絵は以前、川村記念美術館で観ている。戦後のピカソにしてはみょうに写実的でそれがえらく新鮮味があった気に入った作品だ。今年、久々に川村美術館を訪れた時には残念ながら展示がなかったが、箱根で再開することができた。

 顔の表情、ボニーテールの表現が写実的であるのに、裸体の部分はどこか表現的、腕や手はデフォルメされている。恋人同伴でやってくるシルヴェットはピカソの前でヌードになることはなく、ピカソは彼女の姿態を空想で描いているということだ。巨匠の妄想というところか。

シルヴェット・ダヴィット

《シルヴェット・ダヴィット》 1954年 ポーラ美術館

 この絵も何度も観ている。川村美術館のそれを知っているだけに、随分と抽象化されデフォルメ化されている。しかもキュビスム的に処理された顔の表情には生気がなく、どこか非人間的な雰囲気がある。

 まあ適当な思いつきだが、モデルに愛情や性的な対象としての親和性のあるエロオヤジのピカソにとっては、恋人同伴でやってくる「モノにできないモデル」は次第に再現的な人間性を失い、無機質な対象化されていくのではと。まあこの二つの作品どっちが先に描かれたのか判らないけれど。巨匠の内面としては下心が叶わむものとなったら、心象風景はこんな感じになるのではと。

 実際のシルヴェットはというとやはり美人であることはいうまでもない。

《シルヴェット・ダヴィット》

戦後の作品

ラ・ガループの海水浴場

《ラ・ガループの海水浴場》 1955年 東京国立近代美術館

 この作品は、ジョルジュ・クルーゾー監督が制作した『ミステリアス・ピカソ 天才の秘密』に登場する絵の一つである。ピカソの制作過程を裏側から撮影した映像が有名な映画だが、この作品ではピカソの絵具の重ね合わせを見せたいという要望により、制作過程を細切れに撮影したものが採用されている。今回の企画展ではこの絵を展示する裏側に小さな小部屋が設けられていて、そこで映画のこの絵の制作過程、何度も描いては消したり重ねたりを早送りで映すシーンが上映されていた。

肘かけ椅子に坐る裸婦

《肘かけ椅子に坐る裸婦》 1964年 国立国際美術館
すいかを食べる男と山羊

《すいかを食べる男と山羊》 1967年 ポーラ美術館
女の半身像

《女の半身像》 1970年 ひろしま美術館

 巨匠の最晩年、84歳、86歳、89歳のときの作品。実際に見ている対象をモチーフに、次から次と心に浮かんだものを描く。この時期も旺盛な制作意欲をもち「子どものように描きたい」という境地になっていたという。

 ジャクソン・ポロックが「全部あいつがやってしまった」と呟いたというピカソ。後から来るものにとっては高い壁、けっして追いつくことが出来ない巨匠は最後までピカソであり続けたんだと思う。子どもの頃から早熟な天才であり、模写した写実的な作品をいくつも描いていたピカソがたどり着いたのはここだったんだな。彼の画歴をとくに「青の時代」以後を辿る本企画の最後に観るのが子どもが描いたような《女の半身像》なのである。

 

 出来ればこの企画展、もう一度来たいけど箱根はまあまあ遠い。本企画展を観たうえでもう一度西洋美術館のピカソを観るのもいいかもしれない。