上原美術館 (11月26日)

 上原美術館を最初に訪れたのは去年の7月。それから数えて今回の訪問は4度目になる。リタイアしてから伊豆伊東の保養所を利用する頻度が増したので、伊豆旅行のたびに行くようになっているかもしれない。とはいえ伊豆の南端下田は遠い。

 しかしここに来るたびに思うが、よくこんな山深いところに美術館を建てたものだ。車ないとまず来れない。ここは大正製薬上原正吉と小枝夫妻の所有する仏像、正吉の次男が所有するフランス近代美術の名品のそれぞれ寄附を受けて建てられた。この地が選ばれたのは、小枝夫人の出身地だったからとか。いつも思うんだが、なんで正吉の出身である埼玉に建ててくれなかったのか。まあいいか。

上原美術館 - Wikipedia (閲覧:2022年12月2日)

上原美術館 伊豆下田の近代絵画・仏像美術館 (閲覧:2022年12月2日)

 今回行われている展覧会は、近代館が「まなざしをみる-画家とモデルの隠された視線」、仏教館「無冠の仏像-伊豆・静岡東部の無指定文化財」の二つ。「まなざしをみる」は、コレクションの中から57点が展示してある。

近代館~「まなざしをみる」

婦人像

《婦人像》 アンドレ・ドラン 1934年~39年頃

 今回の展示の多分目玉といえる作品。この他にもドラン作品は《画家の息子の肖像》、《太鼓をたたく画家の息子》、《室内の人々》など都合4点が展示してある。たしか上原昭二が最初に購入したのもドランの《裸婦》で、その他にも数点あるようで、上原にとっても思い入れのある作品なのかもしれない。

 ドランはアルベール・マルケとともにフォーヴィスムの画家とされるが、この二人がフォーヴィスム的な作品を描いた時期は短く、その後は印象派風、アカデミズム風の作品が多い。この作品は上原美術館に4度で初めてお目にかかる作品。印象派的なタッチで魅力的な女性の肖像画

鏡の前に立つ白いガウンを着た裸婦

《鏡の前に立つ白いガウンを着た裸婦》 アンリ・マティス 1937年

 この絵は何度か観ている。モデルはマティスの助手、秘書であり長くモデルを務めたリディア・デレクトルスカヤ。ロシアの医師の娘だったが12歳のときに相次いで両親を失い孤児となり叔母に育てられた。ロシア革命でフランスに亡命、ソルボンヌ大学の医学部に入学したが学費を払えず、無一文の状態にニースに来ていたときにマティスの一時的なスタジオ・アシスタントとなる。マティス65歳、リディアは22歳の時のこと。その後、まずはマティス家の家政婦となり、さらにモデル、秘書となり、マティスが亡くなる1954年までマティスに仕えた。マティスは妻と別居状態になっていたこともあり、彼女は愛人だったというのが定説のようだ。

Lydia Delectorskaya - Wikipedia (閲覧:2022年12月2日)

シベリアの女性がいかにしてマティスのミューズになったのか? - ロシア・ビヨンド

(閲覧:2022年12月2日)

 マティスには特定のモデルを専属モデルとして長く使うことで知られている。1920年から1927年と長くモデルを務めたのがアンリエット・ダリカレールが有名で、《オダリスク》などが彼女がモデルを務めた作品。

 リディア・デレクトルスカヤはそれ以上長きにモデルを務め、数々の有名な作品に登場する。女性のヌードを大胆にデフォルメした《ばら色の裸婦》も彼女だ。その後も秘書やマネージャーとして仕えたリディアだが、マティスが死去すると家族から解雇された。彼女はマティス生前に年に2点作品をプレゼントされていたが、それらのコレクションは売却することなく、彼女の祖国であるソ連の美術館に寄贈を続けたという。

 巨匠マティスを魅了し、秘書・マネージャーとして実務を取り仕切った知的な人物。彼女のことはマティスの絵の中でしか知らないが、残された写真からも彼女が美しい人だったことが判る。

 

 
地蔵尊のある雪の山

地蔵尊のある雪の山》 岡鹿之助 1943年

 点描画を得意とした人。抒情性を感じるが、岡のこうした雪景色を描いた絵は例えばアーティゾン美術館の《雪の発電所》やポーラ美術館の《掘割》などがあり、どことなくアンリ・ルソーのような雰囲気がある。そしてこの作品から受ける印象はというと、どこかグランマ・モーザスのような印象を受ける。中学生の頃に岡田三郎助に学び、東京美術学校(現東京藝大)で専門教育を受けた岡鹿之助が、素朴派と近似性を感じさせるのはどうしてなんだろうか。

 ジョルジュ・スーラのような科学的性に基づいた視覚混合の効果を得るためだったが、岡のそれは同系色を点描で描く筆触の効果だったとか。あえて視覚混合をねらっていない部分がナイーブ派と通じる部分なんだろうかなどと、割と適当に考えている。

銀化する鯛

《銀化する鯛》 安井曾太郎 1953年

 正月にもらった鯛を最初鮮やかな色彩で描くも、鯛はそのままアトリエに放置。5月頃に再び描こうとしたときには、腐って干物状態になっていたが、安井はその鯛に美しさを感じたという。最終的に安井はその鯛を皿ごと山に埋葬したのだとか。面白い話だが、いくらなんでもアトリエは臭かっただろうと思ったりもする。

仏教館~無冠の仏像-伊豆・静岡東部の無指定文化財

 開催概要を引用する。

仏像ブーム、国宝ブームと言われて十数年。日本美術の人気は衰えを知りませんが、ブームの主役は国宝や重要文化財で、こうした指定文化財に多くの方の関心が集中しているようです。ところで、現在、文化財指定を受けている仏像は、過去に見いだされ、研究され、その価値が広く認知されることで、指定を受けるに至りましたが、実は今日でも日本各地には、その存在を知られることなく伝えられている貴重な文化財が多数存在しています。
上原美術館は開館以来39年にわたって継続して伊豆の仏像の調査を行い、伊豆に貴重な仏像が存在することを明らかにしてきました。その結果、文化財指定を受けた仏像もありますが、学術的な価値が高いものの、信仰上の理由などから指定を受けていないもの、評価が遅れている仏像も未だ多数にのぼります。また、当館は現在も仏像調査を継続中で、従来全く知られていなかった仏像が日々、見出されています。このような仏像は、現時点では文化財指定を受けていないものの、美術史上、あるいは地域の歴史を考えて行く上で、忘れてはならない、かけがえのない貴重な文化財です。
本展は、伊豆を中心に、静岡県の仏像・仏画の調査研究の最前線にあり続けている当館が独自の調査で見出した仏像に加え、過去に貴重な像であると評価されながら、文化財指定を受けてない、「無冠」の文化財を、厳選して展示するものです。知られざる仏像・神像の数々を是非ご覧ください。

 上原美術館仏教館のメイン展示は永平寺から引き取った近現代の130体の仏像だが、それ以外にも静岡、伊豆の寺社から見つかった仏像が多数展示されている。今回もそうした伊豆・静岡東部の寺社にある無指定文化財の仏像である。

 ここに来るたびになんで伊豆には古い仏像、平安や鎌倉時代の仏像が多数あるのだろうと不思議に思うことがあったのだが、これはようするに上原美術館が開館以来継続して伊豆の仏像調査を行ってきたことによってスポットライトがあたったということなんだろう。

 通常こうした仕事は通常自治体の教育委員会文化財保護係が担っている。でも予算や人員も限られており、なかなかきちんとした仕事ができているということではないのだろう。伊豆の寺社から多数の仏像が見つかっているのは、まさに上原美術館の続けてきた仕事の成果、そういうことなんだろうと思う。

 もし各県でも上原美術館のような仕事が行われていれば、まだ見つかっていない、あるいはスポットライトがあたっていない作品が多数あるのもしれない。もちろんなんとなくの感想なので、そうではないのかもしれない。

 個々の仏像については、これから少しずつ学習をしていこうかと思っているところなので、特別なにか感想を述べるだけの知識すらないというところだ。しかし西洋絵画を学ぶ際にはギリシアローマ神話キリスト教についての知識が必要になる。同様に仏像を学ぶには当然仏教についての知識が必要になる。学ぶということについてはリミットもなく、ほどほどということもない。老い先短い身にはこのへんがしんどいところだが、知識が少しでもついてくると見方も当然変わってくる。仏像を親しめるようになりたいとは思う。

 作品についてはとりあえず気になったものをアップする。