雑司ヶ谷霊園~墓巡り (7月3日)

 日本女子大から狭い路地のような道を歩いて行く。このへんは小さな家が多い。まあ小さいといっても道路付けさえよければ、都内の一等地だ。売ればもの凄い金額なんだろうなと適当に想像してみる。まあそれ以前に固定資産税がたいへんかなどと。

 そしてその日の最終目的地が近づいてくる。なんとなく次は漱石の墓かなあと思っていたので、雑司ヶ谷霊園を目指して歩いてきた。暑い日だったので、本当に休み休みだったけど。

 

 Googleマップでも雑司ヶ谷霊園夏目漱石墓所は目的地として設定できる。

 

 

雑司ヶ谷霊園 - Wikipedia (閲覧:2023年7月5日)

 

 雑司ヶ谷霊園も前回訪れた染井霊園と同じく都立の霊園だ。1874年(明治7年)に開設された古い霊園でもある。ここにはたくさんの著名人が埋葬されている。事前に調べていなかったので、とりあえず夏目漱石墓所を目指したが、霊園内の地図にも10数名の著名人の墓所が記されていた。

夏目漱石

 

 

 戒名は「文献院古道漱石居士」とある。亡くなったのは1916年、享年49歳。作家としての活動期間は1905年から1916年、わずか11年間なのだ。文豪として名をはせ、様々なポートレイトや千円札にも登場するあの人物は49歳という、今でいえば早世といえるような年齢で亡くなったのだ。

 そして作家としての活動期間は11年。それを思うと、たとえば現代の国民作家といわれる村上春樹が40年以上のキャリアにあること、今年亡くなった大江健三郎がデビュー以来60有余年になること、まあいちがいに比較するのは違うかもしれないが、諸々思うことはある。

羽仁五郎

羽仁五郎 - Wikipedia (閲覧:2023年7月5日) 

 

 霊園内の案内図に羽仁もと子の名前があったので、ひょっとしたらと思って探してみるとやや大きな羽仁家の墓(羽仁もと子、羽仁吉一)の隣に羽仁五郎、説子の墓がった。羽仁五郎、もとい羽仁五郎先生・・・・・・。『都市の論理』から様々な歴史叙述、歴史哲学の本を読んだ。講演会にも何度か足を運んだ。

 『都市の論理』あたりからの過激なアジテーターとして、また政治運動や社会運動にコミットする部分のイメージが強いが、戦後すぐには参議院議員としても活動され国会図書館創設にも尽力した。さらに戦前はまちがいなく岩波文化人として小林勇吉野源三郎をささえた人でもあった。戦前の岩波文化人、岩波茂雄と同じ漱石門下の多くが第一世代だとしたら、それに続くのが三木清羽仁五郎林達夫といった面々であった。

 岩波文庫岩波新書、さらに多くの講座ものや大思想家文庫などは、まちがいなく三木、羽仁、林らが支えたのではないか。
 羽仁五郎、説子の墓の裏には墓誌が綴られていて、まだ存命の子である映画監督の羽仁進の名も彫られている。そして進の子、五郎の孫にあたる羽仁未央がすでに2014年に亡くなっていることも記されていた。50歳、自分よりもはるかに若い人だったが。

小泉八雲

 小泉八雲 - Wikipedia (閲覧:2023年7月5日)

 羽仁家の墓のすぐ裏手に偶然見つけた。『怪談』の著者ラフカディオ・ハーンである。お雇い外国人として来日、東京帝国大学英文学の講師を務めていたが1903年に退職、翌年に54歳で亡くなっている。そして八雲の後任として英文学講師となったのが夏目漱石である。

泉鏡花

 泉鏡花 - Wikipedia

安部磯雄

安部磯雄 - Wikipedia (閲覧:2023年7月5日) 

 人道主義社会主義者社会党右派に位置する。今でいえばリベラル的な社会主義者。今は、政治的立場の位相がかなりズレていて、リベラル(自由主義)=左派みたいな扱いになってしまっているが、かっては反共的な社会主義というのが確かに存在したし、安部磯雄はまさにそれを体現するような人だったのではないかと思う。

ジョン万次郎

ジョン万次郎 - Wikipedia (閲覧:2023年7月5日) 

 幕末期、漂流民としてアメリカに渡り、正規の共育を受けて帰国。漁民の出ながら幕臣となり、通訳、航海術の教授などで活躍した人である。彼の名が有名になったのは井伏鱒二の小説によるところが大きい。

東郷青児

東郷青児 - Wikipedia (閲覧:2023年7月5日) 

 ジョン万次郎の隣には洋画家東郷青児の墓がある。ジョン万次郎の墓を探していて偶然見つけた。ジョン万次郎と東郷青児、なんの繋がりもなくたまたま隣り合わせたということなのだろうか。

竹久夢二

 

永井荷風

 

 

 このほかにも大川橋蔵、荻野吟子などの墓を見つけた。ただし12キロ近く歩いていて、暑さもあり、ほとんどへろへろの状態になった。その後、友人と約束もあったので5時前に墓地を後にした。あとで調べるとこの霊園には東条英機いずみたく、村山槐多、古川緑波金田一京助などなど、興味深い人たちが眠っていることもわかった。なのでまた機会を改めて、出来ればもう少し涼しくなった時期に訪れたいと思った。