ご近所の春を巡って (3月19日)

 まず我が家のねずみの額(猫ほどもない)のような狭小の庭の桜もようやく蕾をつけてきて、一輪、二輪と咲き始めようとしている。

 どこぞもそうだろうけど、今週末あたりはけっこう咲きそうな雰囲気である。

 毎年、一回だけ深夜に縁側に座って花を見ながら一人で一杯やる。ジイさんの小さな幸福みたいな感じである。

 多分、心情的には「歓酒」の井伏訳みたいなものだろうかね。

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 そしてもう一つ、竹内まりやの歌のごとく、この先あといくど、この花を見ることができるかと、桜は妙に感傷的にさせる。

 

 その後はいつものように妻と二人で車で15分くらいのところにある高麗川ビオトープを散歩する。ここのところ毎週、日曜日の日課みたいになってきている。

 そして一週間の間に景色はずいぶんと変わる。

 まず、昨日の雨のせいか、干上がっていた高麗川がだいぶ復活している。

 

 そして堤の菜の花が満開になりつつある。

 「いちめんなのはな」というフレーズを延々繰り返したのは山村暮鳥の「風景 純銀もざいく」だったっか。

風景 純銀もざいく 山村暮鳥

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

かすかなるむぎぶえ

いちめんのなのはな

 

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

ひばりのおしゃべり

いちめんのなのはな

 

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

やめるはひるのつき

いちめんのなのはな

 この詩にメロディをつけて歌ったのは山平和彦だったか。彼が死んでかれこれ20年が経つ。

 

 ビオトープ内の小さな小川もずっと干上がっていたのだが、やはり雨と少し放流でもあったのかやや大きめの池みたいになっている。そこにずっといついていたが、最近あまり見ていなかったダイサギがやってきている。たいていのダイサギは人の気配を感じるとすぐに飛んでいってしまうのだが、この一匹だけは警戒心が緩いというか、近づいてもあまり逃げない。密かに妻と二人でダイサギのダイちゃんと呼んでいる。

 

 その後は長宮橋を渡って対岸の堤を歩いた。そこには桜並木があるのだが、まだ蕾の状態だ。都内ではけっこう咲き始めているようだが、ディープ埼玉はやはり今週末あたりからだろうか。

 

 地面を見るとどうやらツクシなども見つかる。もう春はそこまで来ているというところか。

 

 その後、いつものようにスーパーで買い物をして帰る。スマホのアプリで確認するとこのくらい歩いたようだ。