箱根、小田原の後は特に行くべきところとか決めていなかったので、横浜の方に向かってみた。お目当ては横浜美術館の「オランジュリー美術館コレクション展」。
印象派やエコール・ド・パリ系はどストライクなんで、東美の「コートールド美術館展」とともにこの秋の企画展の中では絶対に行きたいと思っていた。で、少なくとも埼玉から行くよりは同じ神奈川県、なんぼか近いだろうとナビへ入れてみた。
時間的には小田原からは1時間強くらいで、4時前には着ける。開館は6時までなので、そこそこのんびり観れるだろうし、遅い時間の方が空いているだろうと思い車をとばした。
小田原から西湘バイパス、平塚を過ぎたあたりからよく知らない有料道路を通り国道1号線に入る。藤沢から戸塚にかけてはいつものように渋滞しているが、保土ヶ谷から高速に入って横横から首都高へという道のり。まあ基本は横浜育ちなので土地勘はあるが、とにかくナビまかせにした。
さて、この企画展は、エコール・ド・パリ派の画家と交流があった画商ポール・ギヨームのコレクションをフランス政府が買い上げ、それがオランジュリー美術館のベースになったといわれている。そのギヨームのコレクションからの選ばれた作品が多数やってきたという。
冒頭にはギヨームと最も親交が深いアンドレ・ドランによるギヨームと夫人の肖像画。そして次にはモネとシスレーの風景画が2枚。この2枚で印象派は終了みたいなな感じだが、いずれの作品も美しくそれぞれの画家の良質な作品といる。
1875年の作品、印象派的技法を開花させた時期でもあり、中央の二組のボート、水面と水草、垂直に乱立するボートのマストが異彩を放っている。このへんは浮世絵の影響があるかもしれない。そして空の表現には、ブーダンの影響を脱したような印象をもつ。
シスレーの美しい風景画だ。遠近法を多用したシスレーの絵の中でもそれが際立っているような印象をもつ。画面中央の道は地平線の中央の消失点に向かっている。空、地平線、大地とその中央の道、見事な構図だと思う。
そしてこの印象派の2枚に続くのはというと、これが怒涛のインパクトというか、凄まじい展示である。まずセザンヌから始まり、マティス、アンリ・ルソー、ピカソと続くのである。それぞれ5点から7点の秀作が展示されている。
ある意味、近代西洋絵画の到達点ともいうべき画家たちである。印象派や新印象派の素晴らしい画家たちがいる。でも絵画的表現の可能性というか地平を切り開いたのは、実はこの4人かもしれないなどと、少なからず思えてくる。それほどこの作品群には目を奪われる。
この後に、この企画展の目玉であるルノワールの作品群が別の間に展示してあるんだけど、なんていうかルノワールも霞むようなインパクションがある。まあ個人的なあくまで個人的な印象ではあるんだが。そして自分はルノワールの作品をけっこう愛している。自宅の階段には安い額絵を買ってきては10点ほど飾っているのだが、2点を除いて全部ルノワールである。そういうルノワールファンであっても、セザンヌ、マティス、ルソー、ピカソと続く展示の印象は強い。
よくこの手の企画展を観るにつけ、結局なんだかんだいってもピカソが全部持っていくんだよなみたいな感想をもつことがある。画力、技術、着想、表現、あらゆる点でピカソは飛び抜けているように思えてることがある。
ジャクソン・ボロックがかって、「全部ピカソが先にやってしまった」と言ったとか言わなかったとか、そんなことを本で読んだことがあるのだが、そういう部分てなんかあるようなないような。ようは近代絵画はピカソ以前とピカソ以後で分けられ、ピカソ以後が現代絵画という括りになるみたいな。まあ適当な思いつきでしかないけど。
そのピカソに唯一対抗できるのは、実はアンリ・マティスじゃないかとこれもまた適当に思っている。あの緩やかな線、装飾的な色彩、パースを無視した構図などなど、マティスの表現は、理屈で構築されたピカソの絵画的世界とは真逆の位相にあるような気がしてならない。正直いうと、マティスの絵の理解という点ではけっこう浅いのだけど、なんていうかその絵の雰囲気から逃れることができないような感覚を覚えるのだ。
なのでセザンヌ、ルソー、ピカソという展示であれば、もうこれはある意味ピカソの一人勝ちみたいな感じになる。しかしセザンヌとルソーの間にマティスがいると、こうれは展示世界が異なってくるような気がする。
陳列順に気に入った作品を。
セザンヌ夫人、オルタンス・フィケの肖像である。忍耐強く、微動だにせずポーズをとることができたオルタンスの肖像を何枚も書いている。多分、代表作はデトロイト美術館のやつだと思うが、この絵も素晴らしい。塗り残しを多用した背景によって夫人の存在が際立っている。


「三姉妹」はマティスの代表作の一つといわれているとか。マティスにしては少しトーンを落とした、渋めの色彩表現だ。個人的には「ヴァイオリンを持つ女」の方がマティスらしくて好きだ。


今回のマティスの作品の中ではこの「ソファーの女たち」がベストだ。とにかく魅入る。魅力溢れる作品だ。俯瞰と窓と水平な視線との多視点、窓の向こうの水平線に多分あるのかもしれない消失点をもつ遠近法が意図的に歪んでいる。
さらにソファやチェストの位置は何度も書き直されている。マティスの絵が一気呵成に描かれた情動的な作品と思われがちだが、作者は何度も構図や装置を描きなおしながら、構成していく。しかもその過程をそのままにしていることがある。情動と感性、さらに豊かな色彩感覚は、理知的な精神に裏打ちされているのかもしれない。
そしてマティスに続くアンリ・ルソーである。絵画技法の教育を受けていないルソーはプリミティブ、ナイーブと括られるが、想像力に長け、時にシュール・リアリズムを思わせるその作品は、素朴派などという簡単なものではない。
ピカソ等がルソーを賞賛したのは、画力に欠けるが風変わりな作風をもつ偏屈なジイィさんを意図的に持ち上げて楽しんでいたのではないと思う。彼らはルソーの作品世界に近代絵画の限界を突き抜けた表現性を見出したのだと思う。
そして、そしてピカソである。オランジュリーのコレクションは彼の新古典主義時代の作品が多いようだ。例の重量感あふれる彫刻的な女性たちを描いた作品群だ。その中ではこの作品が一番美しく思えた。豊満な肢体とは別に頭部は、顔は写実的かつ抒情性を帯びている。白い大きな帽子が異彩を放っている。
その他ではこの企画展の目玉的作品、ルノワールの「ピアノを弾く少女たち」は、オルセーのものを観た記憶があるが、それに比べると背景や調度品が簡略化されている。どことなくオルセーの作品のためのデッサンのような雰囲気もあるが、その省略が逆に印象派的な感じもする。二つを比較するとオルセーの方が妙にくっきりとしており、妙な艶かしさがあり、ちょっと過剰かなと思ったりもする。
とはいえカーテンや花瓶に入った花やピアノを弾く少女のドレスの襞など、すべてが際立っていて作品としての完成度はやはりこのオランジュリー版よりは上だとは思う。
その他では多数アンドレ・ドランの作品があったが、ベストはというとこの二枚のいずれかだとは思う。


画像はいずれもGoogle Earth(美術館インデックス)から引用した。