一応、国葬には反対しておく

 今日は安倍元首相の国葬儀が行われる。

 テレビは国葬報道一色の様相のようで、通常番組を見るならテレビ東京一択という状況のようだ。

 国葬については国論を二分するようで、とても故人を悼むような状況にはない。世論調査によれば、国葬に対して反対が6割もあるのだとか。

 国葬の実施の理由について、岸田首相があげたのは以下のようなものらしい。

① 安倍氏の首相在任期間が憲政史上最長

② 内政や外交、特に安倍外交の実績

③ 選挙中に凶弾に倒れ暗殺されたという経緯

 それに対して反対の主な理由として挙げられいるのは大きくはこんな感じ。

① 国葬についての法的根拠が不明のまま閣議決定のみで決めた

② 安倍元首相の政治家としての評価は定まっていない

③ 安倍氏と旧統一教会との関係が取り沙汰されている

 長期政権を築いた政治家だし、功罪諸々あるのだろうと思う。亡くなったばかりの政治家なので歴史的評価はもっと後になってから、それも学術的な立場で政治思想史や歴史家の手によって下されることになるのだろうとは思う。現時点の評価はある程度ジャーナリスティック、あるいは評価する人の政治的立ち位置に依拠することになるのだろうとは思う。世論調査の不支持の理由みたいなものだ。

 自分はどうか、基本的に反体制的立ち位置だし、自民党政権に対しては多分10代の頃から批判的立ち位置ということもあるので、当然のごとく国葬には反対である。世論調査的にいえば、「不支持の理由は自民党だから」みたいなことになる。なぜ自民党不支持かといえば、1955年体制移行短い期間を除いてずっと自民党を中心とした政権が続いていることが理由だと思う。

 民主主義国にあっては、政権交代が行われることによって暫時的によりましな政治が行われる。そんな風に思っている。政権交代が行われなければ権力は腐敗し、属人主義や人治主義、利権等が行われる。少なくとも民主主義を標榜する国にあって、何年かに一度は政権交代が行われる。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどなど、先進国はずっとそうやってきている。

 東アジアにおいても韓国や台湾では頻繁に政権交代が行わてきている。一党による長期政権が続いている国は、政治体制が異なるがお隣の中華人民共和国北朝鮮ベトナム、そして日本くらいだろうか。

 頻繁に政権交代が行われていれば、政党や政権には自浄努力が求められる。一党の長期政権が続けば権力は腐敗していく。もっとも自民党の政治はもともと派閥による合従連衡であり、派閥による疑似的政権交代が行われてきたともいえる。それも小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」以来変質してしまい、小選挙区制と相まって党機関を握った派閥とその長によるある種の独裁化が進んでしまった。

 安倍元首相の第一次政権、第二次政権はそうした文脈の中で10年近くの長期政権を続けてきたということだ。

 自民党政権を支持しない理由はそんなところだが、一方で故安倍元首相を国葬とすることに反対するもう一つの理由について。それはそもそも安倍元首相が国葬に値するような政治家なのかということだ。ここでは国葬についての是非や意義についてはあえて言及しない。あくまで安倍氏個人についてだ。

 安倍晋三氏は自民党内にあっても最も右寄りの政治家の一人だったと思っている。祖父たる岸信介への憧憬とともに、彼の心性は天皇制を中心とした国粋的なものだった。彼が第一次政権を放りだした時期に、国粋詩想をもつ歌人橘曙覧を読んでいたという話を誰かから聞いたことがある。割と純粋に日本古来の価値観、清貧の中で家庭生活を重んじるみたいなものに親和性をもっていたのかもしれない。

 そういう右寄りの安倍氏新自由主義的な政策を打ち出すというのは、極右=超保守的な人々を黙らせるみたいな効果があったのかもしれない。それを安倍氏が自覚的に担ったのか、彼を御輿に担いだ勢力の深謀遠慮なのかはわからない。

 そういう安倍晋三氏の政治思想や理念、あるいは第一次安倍政権、第二次安倍政権については、まだ自分の中では考えがまとまらないし、もっと文献を読み込まないと評価は出来ないと思う。今いえることは、もっと皮相というか表面的な部分だけだ。

 安倍晋三氏についての自分の皮相な部分での評価は、彼が政治家としての階梯を駆け上がるにあたって、虚偽、デマを駆使してきたのではないかということだ。もう多くの人が忘れているが、第一次政権を放うり出し自民党が野党になった時、東日本大震災のまさに渦中にあるときに、彼がデマをもとにして時の民主党政権を攻撃した。例の菅直人首相の原発への海水注入についてのデマだ。

菅首相指示による海水注入中断という安倍晋三の虚言 - トムジィの日常雑記

 未曾有の大災害にあって、挙国一致で被害に対応すべきときに、彼は災害対応をもとに政権を批判し政局に持ち込もうと動いた。多くの自民党の政治家が民主党政権に協力を申し出ていたその時にである。彼を中心にして読売や産経を中心とした民主党政権批判のキャンペーンは成功し、翌年政権に復帰する。その成功体験が、彼が延々と選挙の度にまくしたてた「悪夢の民主党政権」批判へと繋がっていった。

 そして比較的新しいところでは、森友・加計学園桜を見る会において、彼が隠匿し、改竄させ、さらに国会の場で虚偽を続けてきたことだ。

 

 憲政史上最長の政権を率いた宰相はまた、憲政史上初めてといっていい国会の場で「118回の虚偽答弁」を続けてきた人だったということだ。

 

 今年になって、イギリスのボリス・ジョンソンが首相の座を退いた。その理由は何かといえば、彼が嘘をついたということが明らかになったからだ。

ジョンソン英首相は「なぜ今」辞任するのか|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 ジョンソン氏の辞任のきっかけとなったのは二つの理由である。一つ目はいわゆるパーティーゲート問題。

コロナ禍で国民に厳しい外出規制を強いていた時期に、首相官邸でパーティーが開かれていたこと、そこにジョンソンも出席していたこと、それについて嘘をついていたことが、少しずつ明るみに出た。

そしてもう一つは彼が任命した保守党政治家の性的スキャンダルだ。

ジョンソンが党幹部に起用した人物が痴漢行為で辞任したことだ。ジョンソンが、この人物に関する懸念を事前に聞かされていたことが発覚して、ジョンソンの判断力だけでなく、支持者にも嘘をついているという疑念が広がり、党に見放されてしまった格好だ。

 「パーティに出ていたのに出ていないとした虚偽」、「性的スキャンダルについて事前に聞いていたのに知らなかったとした虚偽」、様々な要因はあるにせよ、直接の辞任の引き金になったのはこの二つの嘘の発覚である。

 一方で国葬儀の対象となるわが国の元首相は、議会の場において「結果として事実と異なる答弁をした」という詭弁のもと、「118回の虚偽答弁」を行った。

 民主主義国の建前として、政治家は国民に対して嘘をついてはいけないというのは前提だ。本音としては「嘘も方便」はあり得るかもしれない。しかし政治というのはどこまでいっても建前でのみ進められるものだ。虚偽答弁とかいろいろあったけど、いいこともあった訳で(どんな?)、取り合えず9年も政権を続けられた人なんだし、ああいう無念な死に方をされたのだから、国葬に処してもいいのでは。とは、ならないのである。

 安倍晋三氏の歴史的評価は外交面とか諸々ある(具体的には?)。とはならない。安倍晋三氏の功罪うんぬんよりも、政治は結果がすべてということでいえば、「公的な議会の場で118回の虚偽答弁をした総理大臣」として語られるべきだし、実際そのとおりなのだと思う。

 なので国葬については一応反対を表明しておく。その理由は、議会の場で118回虚偽答弁をした政治家は国葬に処すべきではないということだ。