白内障手術を受ける

  4月に予定を入れていた白内障の手術を受けた。

 白内障は加齢、傷病などにより目の中の水晶体が濁り、視力が低下する病気だ。印象派の巨匠クロード・モネが罹患したことでも有名。彼の晩年の作品が抽象度を増し、後年の抽象画家に影響を与えたとよくいわれているが、あれは白内障の進行が進んだため。政治家で友人だったクレマンソーに手術を勧められるエピソードなども有名だ。

 高齢者の病気というイメージが強いのだが、まさか自分が罹るとはあまりリアリティをもっていなかった。まあいつかはくらいの感じではいたのだが。とはいえ同い年の友人が数年前に両目とも手術をやっているから、まあまあ身近にもボチボチみたいなところもあり、自分もそのうちやってくるかくらいは思わないでもなかった。

 白内障について自覚をもったのは、前にも書いたのだが片目の視力がえらく低下したことに気がついたこと。ある時、目のかすみを自覚して片目ずつで回りを見てみたら、左目の視力が低下して、ほとんどぼやけて見える。右目だとくっきり見えるので、ようはずっと右目だけでものを見ていたことがわかった。

 もっとも老眼や乱視もありとっくの昔から遠近両用メガネをかけているのだから、それにしてもこの視力の差には驚いた。去年の9月だか10月に受けた健康診断の時に左目の視力は0.7くらいあったので、それ以後わずか半年足らずで急速に視力が低下したことがある。老いはある日突然、それも急にやってくる。

 手術は、濁った水晶体を取り除き、そこに人工のレンズ(アクリル樹脂、シリコン)を入れるのだとか、手術はレーザーを使いミリ単位で瞳を切開して術式を行う。眼科医というのも職人的な細かさを要求されるようだ。

 目の構造

白内障の術例

白内障手術について | 診療科・部門 | 浜松医療センター

白内障手術

 

 手術の予約は10時15分。手術を受けた眼科医では毎週木曜日を手術の日としている。個人医院で手術を行うところはだいたいこういう風に手術の日を決めている。定期通院している泌尿器科の医院では、手術を水曜日にやっていた。

 自分の前に二人手術の予定があり、その後の一人いるようなので午前中に4名の手術があるようだ。多分午後も同じくらいだろうか。週に1回8人の手術だと一ヶ月で32名、年間だと盆暮れの休みとかを勘案すれば350件程度の手術を行う。お医者さんとは凄いものだと思う。

 木曜日は一般の外来はないので、待合室にいるのは手術をうける患者とそのつきそいのみ。自分は一人だが、たいていは夫婦で来ている。最初に看護師に血圧や血糖値を計ってもらう。血糖値はホッチキスのような器具を使い、指先に針を刺して微量の血液を採取すると瞬時に数値がわかるようだ。針を刺すときにちょっとチクっとするくらい。

 それから5分置きくらいで瞳を大きくする目薬を挿す。最後に麻酔の目薬を挿す。その後何度か点眼の目薬を挿す。目が痺れてくるような感覚もないので、本当に麻酔が効いているのかわからない。

 そんな風にして45分くらいすると呼ばれて手術室の前の待機室で上半身だけ手術服に着替えて待機。手術室からは医師の声や器具の電子音とかが聞こえてくる。そこで15分程度待機して、手術室に入ったのは11時15分。医院に入ってからジャスト1時間後。

 手術室では医師、看護師2名がいて、手術用のリクライニングする椅子に座らさせられる。この椅子はリクライニングして完全に水平になりベッドになる。それから顔に、左目部分だけが開いたシートのようなもので覆い、左目をずっと開いた状態にするなんかの器具とテープで固定される。その間にも1~2回麻酔薬が点眼される。

 そして手術が始まる。目が開いた状態で、器具を使いレーザーで瞳を切開する。言葉と想像だけでもほぼ拷問に近いような印象がある。痛みがないとはいえ視覚的に無理みたいな感じなので、事前に医師に手術の間、どんな風に見えるのか聞いていたのだが、明るいライトをずっと照らしているので、手術の様子はよくわからないはずだという。

 実際、手術が始まるとずっとライトで照らされていて、医師からはそのライトを見ているようにと促される。そしてなにかしているようなのだが、その像はぼやけていて確認できない。ときおり医師から「水を」という声があり、溶液が注がれてさらに像がぼやける。

 手術中に何度も医師から「下を見て」「右上見て」「左下を見て」みたいに指示されるのだが、寝ていて視線を動かす、眼球を動かすというのがちょっと慣れていないので、きちんと向いているのかがわからない。一緒に顔が少し動きそうになるととたんに「動かさないで」といわれる。

 どのくらい経過したのかわからないが、途中で多分ここで水晶体取り除いているのかなと思えたりするのは感じられた。そして後半になって医師から「これからレンズ入れます。もう少しですよ」と声がかかり、なんとなくそういう感じがするのだが、いかんせん強烈な光があたっているので、なにかそういう処置に入ったのかなというぼやけた像の動きを感じるだけだ。

 そのようにして手術は終了。大きな眼帯で左目は塞いでもらいふたたび手術室から待機室に歩いて戻る。待合室には自分の後に手術を行う婦人が待機している。時計を確認すると12時10分過ぎ。看護師は20分くらい休んでから待合室に戻ってくださいと指示される。手術に入る前に首にかけたプレートに12時35分と書いた紙を入れてもらう。

 手術中もその後も痛みはまったく感じなかった。30分くらい経ったところで、手術着を脱いでロッカーにかけてあったシャツに着替えてから待合室に戻る。それから手術代5万円弱を払う。眼帯はつけたままで、翌日通院したときに医師にとってもらうのだとか。そしてまた約30分歩いて帰宅した。

 大きな眼帯を左目にしてその上から眼鏡をかけた老人の姿は、道行く人からは多少とも奇異に映るかもしれない。まあ白内障手術の経験者やその家族とかだと、「あっ、あの人手術してきたのね」みたいに思えたかもしれない。自分も多分、これからは町で大きな眼帯をつけた老人をみるたびにそう思うのだろう。ある種の経験をすると、世の中には見えていなかったことが見えてくる。

 家族が障害者となり車椅子生活者となったとたん、世の中には車椅子の人が沢山いるのだということが見えてくる。どちらかの腕が拘縮して内側に曲がったままで、同じ側の足に装具をして杖をつきながら歩く片麻痺の障害者。その存在も妻が同じ病気になるまでまったく気がつかないでいた。

 白内障という病気とその手術を経験することで、ずいぶんと身近な病気であることが実感させられた。町の眼科クリニックであっても年間数100の術例があるのだ。高齢化社会にあって白内障は当たり前の老人病の一つとして市中に溢れかえっているということなんだろうか。今回は左目なので、いずれどこかで右目も行うことになるのだろうと思う。それが1年後か、3年後か、あるいは10年後か、それは神のみぞ知るということだろう。

 とりあえず白内障の手術を受けてきた。