山種美術館「上村松園・松篁-美人画と花鳥画の世界」を観る 

 母校に書類を取りに行った後、恵比寿の山種美術館上村松園展を観る。

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開催概要

「開館55周年記念特別展上村松園・松篁-美人画花鳥画の世界-」

【開館55周年記念特別展】 上村松園・松篁 ―美人画と花鳥画の世界― - 山種美術館

会期:2022年2月5日(土)~4月17日(日)

みどころ:

1. 山種コレクションの上村松園・松篁作品を一挙公開!
 松園の代表作《砧》《牡丹雪》をはじめとする全18点、ならびに松篁の逸品《白孔雀》を含む全9点が一堂に会す展示は、今回が初めてです。ぜひこの機会にご堪能ください。
2. 松園、松篁、淳之の上村三代の作品を東京で観られる特別展!
 京都で活躍した松園、松篁、そして今も画壇を牽引する淳之の作品を一度に東京で観られる貴重な機会です。
3. 珠玉の美人画花鳥画の優品をご紹介!
 「西の松園、東の清方」と称された鏑木清方やその弟子・伊東深水、松篁と同時代に 活躍した山口蓬春らによる優品の数々もあわせてご紹介します。

上村松園の回顧展

 山種美術館上村松園コレクションの大規模な展覧会としては2017年に「上村松園-美人画の精華-」展が開かれているのでそれ以来となる。これも観に行ったのだが、もう5年も経つのかと思うと月日の経つのは早い。

「上村松園-美人画の精華-」 - トムジィの日常雑記

 その時に山種美術館の松園作を一通り観ている。代表作の「砧」、「蛍」、「新蛍」などなど。私が上村松園美人画を意識して観るようになったのは、この展覧会を通じてかもしれない。以来、芸大美術館で「序の舞」を観、去年はわざわざ一泊して京都市京セラ美術館での大規模な回顧展にも行った。

 今回の見どころの2番目に松園、松篁、淳之の上村三代の作品を東京で観られる特別展とあるが、ほぼ同時期に東京富士美術館でも松園、松篁、淳之の三代展が行われていた。こちらは2月11日から3月13日までのほぼ一ヶ月で終了したばかりである。奈良にある松伯美術館所蔵の作品がメインだが、その他にも吉野石膏所蔵品や長野の水野美術館の所蔵品なども揃い、質的にも出品作品も相当に多いもので見応えのあるものだった。

 なぜ同時期に東京で松園、松篁、淳之の三代作品展が開かれたのかはよくわからない。これは想像だが、山種美術館の企画展は開館55周年記念特別展として年間スケジュールとして決まっていたのだと思う。それに対して富士美の方というと、もともと2020年3月に企画されていてコロナ禍のためわずか数日で終了してしまったため、急遽再度企画展を行うということになったのかもしれない。とはいえ貸し出す松伯美術館や他の美術館の都合もある。それなりに準備はあったのだろうとは思う。

 鑑賞者としては同時期に沢山の松園作品を観ることができ、またふだんまとまって観ることが出来ない松篁や淳之の作品が観れるということで有難い反面、いいのか同時期にこれだけ似通った企画がと、ややも心配する部分もなきにしもというところだ。

松園の美人画と微細な表現

 松園の美人画は、基本的には肉筆浮世絵等の美人画の様式、フォーマットに依拠している。そのため着物や髪型、櫛、簪などの細部には細微な写実的な表現があるが、顔立ちについては似通った雰囲気になっている。10点以上のその作品を観ていると、ニワカの自分のような人間には、なんとなくみんな同じような顔に見えてこないでもない。

 これは浮世絵美人画が生まれた江戸時代の女性に対する美意識、女性観によるところが大きいのかもしれない。江戸時代の女性は歯を出して笑わないとか人前ではすました表情でいるなど、感情を表に出さない方が美人とされていたようだ。そのため女性の美しさを描くときには、無表情な顔つきとして理想化されることが多くなり、結果として似たような無表情な顔つきになったという。

 さらに浮世絵の歴史の中でも初期にはやまと絵的なややふっくらとした顔立ちから、じょじょに面長になり、目も細いつり目が主流となっている。こうした浮世絵の女性の描き方はそのまま明治期にも踏襲され、風俗画としての美人絵のある種の様式-フォーマットになっていったという理解でいいのではないかと思う。

 上村松園もまたその様式を踏襲している。そのフォーマットの中で風俗画としての卑俗な部分を捨象させ、精神性や真善美を作品に込めていったということなのだと思うが、一部では「お高くとまった」作品という影口もあったのではないかと、まあ適当に推測してみたりもする。

 松園作品の顔立ちもやや下ぶくれ的なふくよかな顔立ち、幾分かやまと絵的な線をもつものと、江戸後期の浮世絵的な面長、つり目楓のものと様々だ。個人的にはふくよかなそれよりも面長の方が好みかもしれない。

<ふくよかな顔立ち>

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「砧」一部   「娘」一部

<面長な顔立ち>

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「庭の雪」一部       「杜鵑を聴く」一部

 同じ顔といっても松園は様々な表現を凝らしている。特に目の表現については富士美の図録において学芸員の宮川謙一氏が詳細な解説を行っている*1。富士美の三代展の感想においても引用したが改めてその部分を書き出しておく。

明治時代は目元をぼかし、輪郭線にも広がりを持たせているのに対し、大正、昭和と移るに従って、その輪郭線がよりはっきりと描かれるようになり、能面にも似た、目頭を細く目尻に膨らみを持たせた独特な細い上弦形の眼の描写へと変化していく。

特に眼の描写について言えば、目頭や上瞼の膨らみの微細な違いにより、顔の表情や人間味を表現しようとする作意を感じさせる点が挙げられる。まず「青眉」(の眼を見ると、目頭の部分の涙丘と呼ばれる膨らみまで詳細に描かれているのが分かる。

 「明治時代は目元をぼかし、輪郭線に広がり」をという表現は例えば「蛍」などにその名残りがあるような気もする。

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「蛍」一部

上村松園の気になった作品

 5年前とほぼ同じような作品、やはり代表作のような作品が今回も気になった作品だ。

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「砧」 1938年
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「蛍」 1913年               「新蛍」 1929年

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「娘」 1942年

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「杜鵑を聴く」 1948年

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「庭の雪」 1948年

 「杜鵑を聴く」、「庭の雪」は最晩年の作だと思うが、この二作が今回の展覧会で一番気に入った作品だと思う。しかし至近でこれらの作品を観ていると、なんともその美しさに引き寄せられる。なんというか視線を逸らすことが出来なくなるような感じだ。はたから見ているとかなりヤバイジイさんのように思われたかもしれないが、魅入るというのはこういうことなのかもしれない。

*1:上村松園の画業とその魅力-『リアリティ』を一つのキーワードにして」(宮川謙一)