「上村松園-美人画の精華-」

 業務強制終了したので気になっていた美術館へ行くことにする。まずは山種美術館の「上村松園-美人画の精華-」。
開催中の展覧会 - 山種美術館

 山種美術館日本画専門の美術館で、山種証券の創業者山崎種二が蒐集した作品をベースにしている。西洋美術館の松方コレクションやポーラ美術館、ブリジストン美術館などもそうだが、昔の経営者は崇高な趣味を持っている方が多かったんだな。そのお陰で後世の我々は美の恩恵にありつけるということだ。
 上村松園は女流画家で明治以後、近代日本画の世界では、特に美人画においては五指に入るような存在だ。美術館巡りをするようになり、特に竹橋の近代美術館に行くようになってからは、割と気に入っている画家の一人だ。とはいえまだまだ日本画については、ニワカもニワカで、正直なところ鏑木清方伊東深水上村松園の区別もつかなかったりもする。なんとなく松園の女性の表情は柔らかい感じがするかなと思ったりする程度だ。
 今回の企画展では山種美術館が収蔵する松園作品18点を一挙公開するという。日本画は傷みやすく、保存環境を維持するために大変な手間がかかるといわれている。特に長期間の展示が難しいため、休み休み展示していくことが多い。そのため収蔵作品を一挙公開するというのはなかなかないことをいわれてもいる。なので今回の企画展はちょっと得難い機会かもしれないことなのではと思ったりもした。
<蛍>             <新蛍>
  
<砧>

<娘>

<庭の雪>

 ずっと絵を観ているとなんとなく松園の個性みたいなものが少しだけわかったような気がしてきた。多分、多分ではあるが、松園と清方や深水の違いの一つは線かもしれないなという気がしてきた。よく絵画全般、あるいはイラストや漫画を含めても、誰それの線が真似できないみたいな言い方をすることがある。そういう時の線とは多分、単純な線、輪郭線とかを超えてタッチとか様々な部分を含んでいるかもしれない。今、自分が思っているのはそういう部分ではなく、単純に線、特に輪郭線のそれだ。
 多くの日本画で輪郭線は黒で細筆で描かれる。細い線の中に、画家によっては硬く正確な線であったり、柔らかいものだったりとする。それに対して上村松園の線は黒ではなく薄い灰色のよう感じがする。薄墨とでもいうのだろうか。さらにその太さも顔や皮膚の輪郭は細いが、時に顎の線などは少し太くなったりする。さらに着物に関してはかなり太い輪郭線になったりと、自在に太さを変えているように感じた。この辺が彼女のオリジナリティなのかなと、まあこれはニワカの勘違いかもしれないが、そんな風に思った。
 多分、これからも、もっと沢山の作品を鑑賞し、関連書や解説書に目を通して行けば、そういうことにも少しは明るくなるかもしれないが、それはまだまだ先のことだし、その前に寿命が尽きるかもしれないとも思う。とはいえ美しいものに触れ、それを享受するというのは幸福なことだと思う。上村松園美人画は美しいものの一つであるとだけは、自信を持って言える。
 上村松園自信も線の重要性をエッセイの中で語っているのを青空文庫で見つけた。
上村松園 日本画と線

前に申します通り、線なくしては日本画は成立ちません。彩色をしなくとも絵は画に成り得ますけれども、線なくしては画に成り得ません。成り得ない事はないとしても、線を全然無視する事は出来ないものであります。
 そればかりか、実を申しますと、線だけで最も巧妙に出来た日本画は、まず色彩を施す必要のない程その画が貴い価値のあるものであろうと思います。こういう画には却って色彩を施すことはむだな事だという外はございません。私などでも往々そういう場合がございます。自分でやや満足に線が描けたと思います時には、どうもそれに彩色するのが惜しくて堪らないことがございます。
 これほど私どもは線に重きをおいて居りますが、今の若い画家達……新進の人ばかりではございません、中には私等古参の方までが、とんとこの線ということに放縦になりまして、むやみとこてこて色を塗ることばかりを能事としている方が多くなったように見受けられます。