「上村松園」展

 急遽、「上村松園」展を観に行くことにした。

 上村松園 | 京都市京セラ美術館 公式ウェブサイト

  もともとお盆の間に行くつもりでいたのだが、コロナ禍緊急事態もあり延期。緊急事態宣言明けに予定を順延したら、9月12日に閉幕に間に合わないということになってしまた。諦めようかと思ったけど、これだけ大規模な回顧展もしばらくないだろうと思い急遽行くことにして宿をとった。まあ行き帰りとも車だし、他の観光をするつもりもないし、自分も妻もワクチン2回接種済みだということで。

 朝6時半過ぎに家を出て京都に着いたのは1時過ぎ。途中数回のトイレ休憩と軽食をとったくらい。岡崎公園駐車場は閉鎖されているのでみやこめっせの駐車場に止める。

 京都市京セラ美術館はリニューアルしてからは2回目。

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 総展示点数106点という大規模な回顧展だが、前期展示のみ38点、後期展示のみ43点、しかも前期、後期もさらに細かく展示期間が区切られていて10日足らずの展示となっているものも4点もある。最低でも2回来ないと全貌が観られないというのがちょっと。2ヶ月足らずで2回京都まで足を運ぶのはちょっとハードルが高い。一見すると後期展示のみ43点、おまけに『序の舞』の展示もあるということで、後期の方がお得な感もあるけど、『砧』も観れない、『焔』も観れない、『母子』も観れないというのが少し残念。『母子』は近代美術館収蔵だけど、これまで一度もお目にかかっていない。近代美術館にはもう20回くらい行っているはずなのに、こういうのは星廻りの悪さとしかいいようがない。重文『序の舞』は前に藝大美術館で観ているし。

 

 上村松園美人画は、表層的な女性らしさではなく、女性の内面性、内面の強い意思と気品といった理想型を描いたとされる。いわゆる内面性を重視した主観表現、心理描写を展開したという。風俗画としての美人画ではない緊張感をはらんだ絵は、男性が求めるような女性の柔らかさ、淑やかさとは異なる部分があり、それは例えば「凛とした」というような言葉で表される。

 若い娘を題材にした一見風俗画的絵でも、女性的な視点がつらぬかれ、男性的な視線からの覗き見的な部分がない。個人的な感想でいえば松園の美人画はエロくないのだと思っている。そこが鏑木清方伊東深水とは異なる部分ではないかと。鏑木や伊東の美人画には、女性の淑やかさ、弱弱しくて抱きしめたくなるようなそういう明らかに男が描く女性像を体現した部分がある。そういう部分が上村松園にはない。

 浮世絵の頃から美人画は、基本的に男性によって消費されてきた。男の目を楽しませる、欲望を満たすそういう商品だったのではないかと思う。今でいえばピンナップ・ガール、グラビアアイドルみたいな部分だ。当然、ポーズや姿態は男の欲望をそそるような幻惑的なものになる。

 画壇自体が基本男社会だったなかで、颯爽と現れた早熟な天才少女画家は、その画力によって時代を築いていった。生涯独身、母と姉と長く暮らしてきなかで彼女が女性に対して注ぐ視線は、あくまで女性としての親和性だった。そこから女性の内面や理想型の追求と、まあそういうことに繋がっていったのだと思う。

 キャバレー王として一世を風靡し、日本画のコレクターとしても名高い福富太郎は、美人画の中でも上村松園は苦手だと述べている。

「私はどうも松園の美人画にのめりこむことができない。江戸っ子の私には京女のはんなりとした美しさが理解できないだけなのかもしれないが」

「コレクター福富太郎の眼」展図録 P85

 自ら女好きを自称し、キャバレー経営者として沢山のホステスと接してきた福富太郎は女性の美もその裏にある実際的な肉体も知り尽くしている。そのうえで彼は男を幻惑する女性の美に惹かれていたのだと思う。しかし「女好き」福富には、上村松園の絵にそういうものを感じることができなかったのだと思う。平たくいえば福富太郎上村松園の絵に「萌える」ことがなかったのだと。

 

 

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『四季美人図』

 四季の移り変わりを女性の一生になぞらえた作品。この作品は1982年頃(松園17歳)に制作されたものだが、もともとは15歳の時に内国勧業博覧会に出品され一等を受賞、英国皇子の買上げになったものと同じ画題である。当時、天才少女と話題になった作品だとか。そのためこの主題で依頼されることが多かったという。若々しさがありつつも、いわゆる習作の域を超えた作品だと思う。

 

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『姉妹之図』                『姉妹三人』

 1903年の作品、一冊の和綴じ本に見入る三姉妹の図。着物の柄や髷から年齢が描き分けられていて、奥から長女、次女、手前に三女ということがわかるようになっているという。一見して京都の裕福な家の三姉妹の優美さみたいなものが感じられる。

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『月影』 1908年

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『化粧の図』 1914年
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『月蝕の宵』 1916年

 かってな思い込みかもしれないが初期からこの頃までの上村松園の線は割と太いような気がする。輪郭線がくっきりはっきりしているような感じだ。ごく初期の頃は、最初の師匠でもあり、松園の人生にいろいろな意味で影響のあった鈴木松年の豪放な筆の影響もあったという話もきく。

 『月蝕の宵』の右隻の女性は松園の弟子でもあった九条武子をモデルにしていると伝えられている。九条武子は西本願寺法王の次女で、男爵九条良に嫁ぎ、後に歌人、教育家として知られた。松園は彼女の人柄や振る舞いに尊敬の念を抱き、理想の女性と考えていたという。その横顔は実際の九条武子に似ているといえば似ている。

九条武子 - Wikipedia

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『鼓の音』  1940年

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『志んし』 1941年

 多分、この2点が今回の回顧展で一番惹かれた作品かもしれない。円熟期にあって線は自在であり、細く繊細さを増しているような気がする。

 「しんし」とは、洗った布や染色した布を乾かすときに、織り幅が縮まるのを防いで布の幅を保つよう布を伸ばすため、布の両側にかけ渡して張る両端に針のついた竹製の細い棒のことと図録にある。ここではしんしに布を取り付ける作業「しんし張り」をする若い娘の真剣な姿が描かれている。戦時下の働く若い女性の姿を古典的な理想形としてとらえたものだ。

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『初夏の夕』 1949年

 1949年6月松坂屋現代美術巨匠作品鑑賞会展に出品された上村松園最後の作品。この二か月後の8月27日に肺癌のため松園は没している。

 

 この大回顧展は12日で終了する。これだけの大規模な上村松園展はこの先いつ観ることができるのかどうか。願わくばこの回顧展が東京でも行われると嬉しい。生きている間にもう一度この規模の回顧展、観ることできるだろうか。