プロミシング・ヤング・ウーマン

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プロミシング・ヤング・ウーマン-|PARCO MOVIE

 前から気になっていたキャリー・マリガンの「プロミシング・ヤング・ウーマン」を観た。レイプ・リベンジを扱った映画だが、いろいろな意味で観る者の期待、予想を裏切っていく。

 映画の紹介等でもよくいわれているが、重いテーマを扱っているのにそれに反比例するかのようなポップな雰囲気。妙に可愛げな色彩。まさに「ポップでキッチュ」である。それがまた次第に怖さにもつながっていく。

 この映画は社会派的なドラマ、サイコスリラー的要素なども含んでいるけれど、基本的にはダークなコメディ映画でもある。

 タイトルの「プロミシング・ヤング・ウーマン」は将来を約束された若い女性、前途有望な女性みたいな意味合いであるが、一般的には男性、優秀な男子学生などに使われる「プロミシング・ヤングマン」の裏返しである。

 主人公のキャシーは元優秀な医学生だが、ある事件をきっかけに大学を辞め実家に戻り、町のカフェでやる気のない店員として働いてる。年齢も30になるのに自立せず、実家では両親からも厄介者扱いを受けている。そんな彼女は、夜な夜な酒場で酔いつぶれた女性を演じ、女を性欲のはけ口としか見ていないようなお持ち帰り男に裁きを加える。いざことに及ぼうとする男の前で真顔で「あんた何をしているの」と問いかける。

 そうした行為自体危険なことではあるが彼女はそれを厭わない。彼女の精神はどこかで崩壊している。それは彼女が医学部を辞めることのきっかけとなった、レイプ事件が原因だった。映画は最初、彼女がレイプの被害者かと思わせるが、次第にそれが彼女の親友だった女性であり、彼女はレイプ被害を大学に訴えるがレイプではないと断じられ自殺してしまう。

 将来を約束された若き女子医学生がレイプ被害者となり将来を失う。そのことにショックを受けたキャシーもまた医学部を辞めてしまう。そして地元で酔いつぶれた女性を襲う男たちに問いかけ続けている。まちがいなくキャシーの心は歪み壊れている。

 ある日、キャシーが勤めるカフェに医学部で同級生だったライアンが現れる。ライアンは地元で小児科医として働いている。ライアンはキャシーを以前から好きだったと告白し、二人は交際を始める。キャシーの壊れた心はじょじょに平静を取り戻していく。

 しかしライアンから、レイプ事件の加害者だった男が医師として成功したうえに、結婚することを知らされる。さらにレイプ事件が大勢の男性学生がいる前で行われ、それが動画に取られていることを、さらにその現場にはライアンもいたことも知ることになる。キャシーの心は崩壊し、レイプ加害者への復讐を実行することになる。

 映画の中でいずれレイプのシーンが出てくるのだろうと惨憺たる思いでいるが、レイプシーンは出てこない。普通だと冒頭に持ってきたり、途中で主人公がなぜそういう奇行、この映画でいえば夜な夜な男たちにリベンジをしているのか、そのきっかけとなったレイプシーンをショッキングに挿入する。しかし女性にとっては忌まわしいレイプはあくまで言葉として出てくるだけ。このへんは新感覚というか女性映画らしい仕草だとは思った。

 例えばジョディ・フォスターがオスカーを得た「告発の行方」などは、レイプシーンが延々と繰り広げられる。そして観る者にとっては、ある者にとってはセンショーナルに、ある者には陰惨で鬱々としたものとして受け止められる。しかし21世紀の今、レイプシーンはNGかもしれないし、それを実際にスクリーン上で再現する必要がない演出がこの映画では為されている。

 この映画のスタッフは女性が中心になっている。監督はイギリスの女性監督エメラルド・フェネル。彼女はこの映画でアカデミー賞監督賞脚本賞にノミネートされ、脚本賞を受賞している。この映画が長編映画第一作になるが才気溢れる新感覚な演出、見事なストーリー展開、次回作が楽しみな監督である。フェネルは製作も兼ねているが、製作者の中には「スーサイド・スクワッド」でハーレイ・クインを演じたマーゴット・ロビーも加わっている。

 主演のキャリー・マリガンも監督のフェネルと同じ36歳。かっては「17歳の肖像」などで多感な少女役を演じていたが、最近作では例えばNetflix独占配信の「時の面影」では落ち着いた雰囲気の未亡人を演じていた。

 今回「プロミシング・ヤング・ウーマン」ではそれまでのちょっと童顔な可愛らしい雰囲気とはまったく正反対な役に挑戦している。酔ったふりをする女性でも様々なキャラクターを演じ分けるため、それこそコスプレのように、ある時はOL風、ある時はビッチっぽいタイトなボデコンに身を包み、最後はまさにコスプレ的な超ミニのナース姿になる。

 これがあのキャリー・マリガンと驚く一方、30歳の女性がメイクや衣裳により驚くほどの変身をしてみせるところをリアルに演じていて、少々その痛さすらもがリアルな演技として伝わってくる。

 マリガンは本作でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。結果は「ノマド・ランド」のフランシス・マクドーマンの3度目の受賞だったが、マリガンの受賞でも良かったのではないかと思えるくらいの熱演だったと思う。「ノマド・ランド」のマクドーマンは確かに素晴らしい。でもあの映画自体がちょっと掟破りみたいなところもあったし2度取ってるんだしと、ちょっと繰り言の一つも言いたくなる。それほどこの映画でのマリガンは、繰り返しになるけどコスプレ演技の痛さも含めて素晴らしかったと思う。

 この映画はデートレイプ、非合意での性交渉、そして酔った上での合意なき性交渉に対して、女性にも非があるというようなこれまでの男性中心的な社会でのエクスキューズに対して明確なノーを突きつける内容だ。泥酔している女性を「お持ち帰り」してセックスする。それに対して酔いつぶれるような女性にも非がある、酔っぱらえばそういう危険に晒されるのは判っているはずだ。お互い酔ったうえでのことだから。そうした理由付けは被害にあった女性に対するセカンドレイプに等しい。

 前述したようにこの映画には、主要なテーマでもあるレイプが実際に映像化されない。以前の映画であれば、扇情的かつ観客への訴求性を含めて必ず映像化されたはずだが、あえてそれを台詞などのテクストのみで観客に伝える。殺人、暴力、セックス、それらを見世物のようにしてスクリーン上に提示する。それもまた映画のもつ大きな効果だった。でもそれは本当に必要なものなのかどうか。

 映画が見せるリアリズム、ときにそれは観客に対する過度にセンセーショナルなインパクトを与える。しかしすべてを疑似的な事実として提示する必要はあるのか。リアルなおぞましさは、暗示的、比喩的、あるいはテクストだけで提示され、観客はそれを個々に頭の中で再現するなりすればいい。ある者には扇情的で好奇なものとして、ある者にはおぞましい考えたくもないものとして。

 セックス被害を主題にしながら、セックス行為を具体的に描かない。このへんがこの映画の新感覚ともいえるし、自分は評価する。

 この映画の主人公キャシーの精神は病んでいる。それが夜な夜な酒場に出向き、酔っぱらった好色な女を演じつつ「お持ち帰り男」を狩る。そして自分を壊した男、友人をレイプして自殺に追いやった男への大胆な復讐を実行しようとする。これはすべて崩壊した精神によって引き起こされる。あるいはすべてが妄想の類かもしれない。レイプは被害者の、あるいは被害者の知人、友人の精神すら壊してしまう。レイプは心の殺人なのである。