ロスト・イン・トランスレーションを観た

 

 Amazonプライムで観た。予備知識はほとんどなし。スカーレット・ヨハンソンビル・マーレイが主演、舞台は東京、監督はソフィア・コッポラというくらい。

 2003年の映画で、スカーレット・ヨハンソンは売り出し中の若手女優で当時19歳かそこら。この年、この映画と『真珠の耳飾りの少女』でブレイクした。それから22年後にはマッチョな傭兵役で恐竜と闘うことになろうとは。

 この映画は東京を舞台に、やや落ち目の中年ハリウッド・スターのビル・マーレイが、サントリーのCMのために来日する。どのくらい落ち目かというと、エージェントはアメリカにいるし、マネージャーすらついていない。それでもCM出演は200万ドルという破格。すでにキャリア的には下り坂で本国ではろくな仕事がない。なので東京でのCM撮影のため一週間という短い滞在で東京のホテルに宿泊している。妻は子どもや自身のプライベートを優先しており、ホテルからの電話にもあまり気のない感じ。

 そう、ビル・マーレイは中年の危機という感じの落ち目のハリウッド・スターという姿を体現している。そしてホテルのラウンジで飲んだくれてばかり。

 一方、スカーレット・ヨハンソンは大学を出たばかりの人妻。夫はセレブリティ相手の売れっ子カメラマンで日本へは仕事できている。ヨハンソンは夫の仕事について東京へきたが、夫は仕事で日中は外出している。おまけにロケで九州に出張する。

 若い人妻はホテルで暇を持て余し、街へ繰り出す。渋谷、新宿などなど。でも、どこへ行っても孤独なまま。大学を卒業してすぐ結婚したため、仕事もない。自分がなにをしたいのかわからないまま、街をさまよっている。

 そんな二人は同じホテルに泊まっていたため、なんとなく知り合いとなり、二人で都内で遊ぶ。じょじょに心を打ちとけてくる。でも恋愛関係や肉体関係にということもなく、それでいて互いに話す相手もいないため、行動を共にする。でもハリウッド・スターもCMの仕事は数日で終わり彼は帰国する。

 二人が知り合い、都内で行動を共にするのはほんの数日。たぶんハリウッド・スターのCM撮影の仕事は一週間なので、その間のおそらく5日間くらいである。わずか数日、孤独な中年男と若い人妻の間に心の交流が生まれる。最後、リムジンで空港へ行く途中、雑踏の中に人妻を見つけたハリウッド・スターは車を止めさせ、彼女の姿を追う。ようやく追いつき、二人は抱き合いキスをする。それからハリウッド・スターは人妻に耳打ちをする。彼が何を言ったのかは判らないまま。そして二人は別れる。多分、永遠に。

ロスト・イン・トランスレーション - Wikipedia

 Wikipediaの記述では、この映画はわずか400万ドルの低予算で27日間で撮られた。それでいて1億ドル以上の興行収入をあげた、多くの映画賞を受賞した。アカデミー賞でも主演男優賞などにノミネートされ、ソフィア・コッポラ脚本賞を受賞した。

 当時、コッポラは34歳、若手監督として注目を浴びた。彼女の父親は誰もが知るフランシス・フォード・コッポラだ。親の七光りか、『ゴッド・ファーザーⅢ』ではゴッド・ファーザー、アル・パチーノの娘役に抜擢された。ちょっと悪目立ちな役柄、演技が不評だったのか、ゴールデン・ラズベリー賞で最低助演女優賞、最低新人賞という不名誉な評価を受けた。そのこともあり、早々に俳優業から足を洗い、父親と同じ監督業のキャリアに進み、デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』で注目を浴びる。

 この映画は実は観ていない。でも何度か予告編を観て、その不思議な映像感覚に、そのうち観ようと思いながらそのままになってしまった。ガーリー・カルチャーというかたちでこの映画が語られることが多いようだ。子どもでも大人の女でもない、少女という不思議な存在、それが成長を拒絶して死の誘惑にかられたまま、この世界から消滅する。そういう不思議な世界のようだ。まあこのへんは予告編から受けた印象。

 『ロスト・イン・トランスレーション』とはどんな意味か。ググるとAIがこんな風に答えてくれる。

Lost in Translation
直訳:翻訳の壁

Google検索・AIの解答
Lost in Translation」は、直訳すると「翻訳で失われる」という意味で、主に言葉や文化の違いによって、本来の意味やニュアンスが正確に伝わらない状況を指します。

具体的には、以下の2つの意味合いで使われます。

1. 翻訳の過程で、原文の意味やニュアンスが失われること
例えば、英語の詩を日本語に訳すとき、韻律や言葉の響きが失われてしまうように、 言語や文化の違いによって、伝えたいニュアンスや感情が正確に伝わらないことがあります。

 2.コミュニケーションの過程で、誤解や認識のずれが生じること

 例えば、ある人が話した内容を、別の人が自分の解釈で理解してしまう場合や、文化的な背景の違いから、言葉の意味を正しく理解できない場合などです。

 映画「ロスト・イン・トランスレーション」は、この言葉をタイトルに冠し、異文化の中で孤独を感じる男女の姿を描いています。
つまり、「Lost in Translation」は、言語の壁だけでなく、文化や価値観の違いによって、コミュニケーションがうまくいかない状況全般を指す言葉として使われます。

 異国の地で言葉もわからず、片言の言葉でも意味が通じ合えない。そういう状況下でのコミュニケーションのずれや、伝えたいことが伝わらない状況。さらにもうひとひねりすれば、思っていることをうまく言語化できないまま、そういう不確かな思いをどう表出して理解してもらえるか。結局、理解してもらうこと、相手を理解することは難しく、自分の殻に閉じこもらざるを得ない状況、そういう多重な意味性が込められているのかもしれない。

 

 中年ハリウッド・スターも若い人妻もいろいろな思いを抱えている。でもそれを言語化できない。言葉にしたとしても陳腐で紋切型な憂鬱に終わってしまう。それが判っているから、なんとなく上辺だけで愛想をふりまいたりしてその場を濁す。そしてどこかぎこちなさを感じたまま。

 ソフィア・コッポラが描いたのはそういう言語化できないままの思いと、現実世界でのぎこちなさだったのかもしれない。それは前作で意味不明なまま自殺を遂げていく少女たちの外的世界との関わりの中で、少女という等身大がもつぎこちなさと通じるのかもしれない。

 

 この映画のキャッチコピーの中に中年ハリウッド・スターと若い人妻の風変りなラブ・コメディ、あるいは東京を舞台にした『ローマの休日』の現代版みたいなのがあったが、多分相当にずれている。たしかにこれは一風変わったコメディだけど、いわゆるラブ・コメディではない。ましてや『ローマの休日』とは違い過ぎる。これは映画恋愛ものというよりも心の交流を描いたものかもしれない。孤独な男と女が、異国の地で一時の間心を通わせ、そして別れていく。たぶんそういう物語なのかもしれない。

 最後にハリウッド・スターは人妻に何を告げたのか。皮相な理解ではいくらでも言葉にできそうだ。でもそれを観客に提示することもなく、暗示することもないままに終わらせるところが映画の質を高めているのかもしれない。

 予算400万ドルという低予算、ひょっとしたらその三分の一くらいはビル・マーレイがもっていったかもしれない。今だったらその10倍くらいの金を積まないとスカーレット・ヨハンソンは出演してくれなさそうだ。とはいえ低予算、オールロケによる演出は意外な効果をあげている。ソフィア・コッポラは監督としての力量を発揮したのだろう。

 いい映画だとは思った。人と人の交流の難しさ、意思を伝えあうことの困難さ、そうしたテーマの割には、映画は妙に軽く、皮相的。表面的な部分をさらっとなでるような感じである。それがまたテーマの難しさ、重さを軽減させているのかもしれない。

 しかしこの時スカーレット・ヨハンソンは19とか20とか。大人びた容姿から年齢よりも上の役柄を演じることが多く、そのギャップに悩んだともいうが、この映画でも少し上の役をきちんと演じている。

 この映画でビル・マーレイスカーレット・ヨハンソンの二人がオスカー取っても良かったのではないかとさえ思える。このくらいの軽みのある映画でこそオスカーダブル受賞があってもいいのではないかと、ちょっと思ったりもする。もっともスカーレット・ヨハンソンはノミネートもされていないようだけど。

 2004年のアカデミー賞はというと、『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』が作品賞。男優賞は『ミスティック・リバー』のショーン・ペンだとか。そして女優賞は『モンスター』でシャーリーズ・セロン。男優賞はビル・マーレイでもよかったような気もするが、女優賞はシャーリーズ・セロンの『モンスター』では、ちと勝ち目はなかったかと思ったりもする。

 特に予備知識もなく観たが、『ロスト・イン・トランスレーション』は意外に拾い物というか面白かった。比較的新しめの映画かと思いきや、これもすでに22年も前なのだというのが、ちょっとこれも驚き。同時代的に観ても、けっこう楽しめたのではと思うけど、その頃は仕事や子育てであまり映画とか観る機会がなかったかもしれないな。と、ここはちょっと遠い目の気分。