先週、都内に出たときにたまたま入った書店に平積みされていた。
そういえば英国推理作家協会賞(ダガー賞)を日本人作家として初めて受賞したということで話題になっていたっけ。
手にとって久々ミステリー系読んでみようかと思ったが、なんとなく躊躇して買わずじまいだった。この手の本はたぶん読んでもすぐに捨ててしまう。だとしたら紙の本よりも電子書籍のほうがいいかと、そんなことを思ったりもした。
金曜日に友人と酒を飲んだときに、ちょうどこの本を読んだばかりということで、貸してくれるという。「あっという間」に読めるよとも。ということで有難く貸してもらう。そして本当に「あっという間」に読んだ。
ケンカ・暴力が唯一の趣味という大柄・赤毛の女新道依子が、関東有数の暴力団の組長の一人娘のボディガードを任される。そして組員との間の乱闘、人形のような一人娘の隠された凄惨な日々とヤクザ同士のつながりのための道具となる運命。そして依子と組長の娘とのじょじょに深まっていく関係性などなど。
スピーディな物語叙述により200P足らずの中編小説を本当に「あっという間」、一気呵成に読むことができる。その短い物語の中にトリックも仕組まれている。途中で、ルビ欲しいなと思う名前やらなにやらもどこか仕掛けめいていたりもする。
ということで久々に、本当に久しぶりにこの手のエンタメ系小説を読んだかもしれない。そして感想的にいえばまあまあ面白かった。さすがに諸手を上げて絶賛するほどではない。物語の仕掛け、内に秘められたテーマの重さからすると、ちょっと分量が足らないようにも思えた。本来なら多分最低でもこの分量の倍は必要かもしれない。1000ページくらいあれば、それこそ村上春樹あたりが得意な二つの物語を一章ごとに交互に進めることも可能だったかもしれない。でも著者はそんな温い作法は取らない、多分。
ダガー賞の選定理由はこう説明されているとか。
英国推理作家協会
「まるで漫画のように日本のヤクザを描いたこの作品は、登場人物たちの深い人間性を際立たせるために、容赦のない暴力描写に満ちている。むだのない展開で、独創的かつ、奇妙ではあるものの見事なラブストーリーを紡ぎ出している」王谷晶さん「ババヤガの夜」 ダガー賞翻訳部門受賞 日本人作家で初 “シスターフッド”に世界が共感 | NHK | WEB特集 | 文芸
「まるで漫画のように日本のヤクザを描いたこの作品」・・・・・・、なるほどなるほど。そうこのスピーディな物語とあふれる暴力描写はまさに漫画(マンガ)的だ。
文庫版の著者のあとがきにはこうある。
この小説は最初から「文藝」に掲載するために書き始めたが、プロットの段階でどう転んでもいわゆる「純文学」にはならないのが丸わかりだった。暴力、卑語、各党、そしてM・ナイト・シャマラン映画みたいなどんでん返し。でも「文藝」の編集部がOKを出したので、ならいいか、後は知らんからねとそのまま書いた。
なるほど、この小説は純文学文芸誌『文藝』が初出なのか。ひょっとしてこの小説はマンガ的、あるいはエンタメを装った「純文学」だったのではという気もしてきたりする。それをなんとなく解き明かすような解説を、解説深町秋生が書いていたりする。
自分はLGBTなど性的マイノリティに理解があり、我が国のジェンダーギャップ指数の絶望的な順位の低さに腹を立てている。社会的公平性や多様性を重んじるなかなかのリベラルだと思っていた。
だが、王谷作品を読んでいると、己のなかに潜む無自覚な偏見や女性に対する身勝手な幻想を抱いていたことに気づかされる。
そんな著者(王谷)が男尊女卑思想の牙城で、女性をシノギの道具と見なすヤクザ社会を描くのは必然だったのかもしれない。
それにしても、内樹會の暴力と脅しはえげつない。主人公をボコボコに殴打するだけでなく、ブス、ブタ、クソアマと言葉による暴力も相当なものだ。異物である新道が気に入らず、卑劣な罠まで仕掛けてくる。
血も涙もない野生の王国というべき世界だが、これは王谷を始めとして、世の女性たちが多かれ少なかれ日常的に遭遇していることでもある。学校で、家庭で、職場で、飲食店で、路上で、容姿をコケにされ、価値観を一方的に押しつけられ、あるいはしつこくつきまとわれ、立場を傘に着てやらせろと迫られ、抗おうとすれば集団で襲いかかられ、ドリンクに一服盛られたりする。内樹會とこの世界に果たしてどれだけの差があるというのか。
そうか、この『ババヤガの夜』という小説は実は女性による男性社会の呪詛を逆説的に現わしているのかもしれない。主人公が暴力を趣味としていること、またその出自として祖父からとんでもない虐待めいた暴力を仕込まれて育ったことなども、すべて男性的暴力社会への倒錯かもしれない。
ダガー賞受賞でマスコミに紹介される王谷昌は、一般的な男性的価値観からすればどこか異形な装いをしている。聞けばレズビアンを公表しているという。彼女の中には、不可視、あるいは顕在化された男性による女性への抑圧への絶望、あるいは忌避がモチベーション化されている。
本書はシスターフッド小説という形で紹介される。それは当たっている部分もあるし、自分的にはちょっと違うと思わせるところもある。そして個人的感想としては、きわめて先鋭なフェミニズム小説のようにも思える部分もある。
ただいずれにしろこのテーマ、このプロット、構想、それらからするとどこか物足りなさを感じる部分もある。もっと重厚長大な物語にしつらえることもできたかもしれない。でも逆にいえば、このテーマをスピーディな疾走感とともに200P足らずのエンタメ小説を装わせて読者に提示するところがこの作品の肝なのかもしれない。
まあなんていいうか、そんな感じの読書感想です。
最後に「ババヤガ」ってなんだ?
ということでちょっとだけおさらいを。
スラヴ民話のババヤガ(バーバ・ヤーガ)
森に住み、鶏の足の生えた家に住んでいるとされる魔女です。
子供を食べることで知られ、悪役として登場しますが、賢い女性の物語に登場するなど、善なる存在として描かれることもあります。(AIによる概要)