国立新美術館で開催されている「メトロポリタン美術館展-西洋絵画の500年」に行って来た。前々日の雪辱である。駐車場入り口まで行って係の人から、本日お休みですと言われたショックから立ち直るべくリベンジに来ました。しかし火曜日が定休日だとはね。日本の美術館はどこでも月曜が休みだと思っていました。なんなら博物館法で決まっているものかと(嘘です)。そのくらいどこでも月曜休みが多いのだけど、まさか火曜日とは。
これまで月曜に都内で用事があっても、美術館は全部休みだからとすごすご帰宅することが多かったのだけど、これからは六本木へ行けばいいのかとちょっと嬉しくもなったりする。とはいえリタイアしたジイさんは早々都内に出る用事もないし、まして六本木はちと気がひける。まあ30年くらい前は青山近辺の会社に勤めていたので、一時期は毎晩のように飲みに行ってたこともある。まあこれは別の話だ。
ネットとかで調べると国立新美術館は、都内の公立美術館にしては珍しく身障者用の駐車場が用意されているらしい。一般客は難しいが、駐車場入り口で係の人に言えば入れるという。今回初めて環状3号線六本木トンネル手前の西門で、係の人に「車椅子」ですと言うとすぐに門を開けてくれて入ることができた。スロープで2回に上がるとかなり広い駐車スペースがあり、身障者用には3台が用意されている。ということで先着3台分はあるということ。ウィークデイなので空いていたけど、これは土日だといっぱいになるだろうなとは思った。
これまで国立新美術館に車椅子の妻を連れてきたのは一回だけ、たしかルノワール展の時だったと思う。そのときは電車を乗り継いで来たような記憶がある。ディープ埼玉からだとけっこう電車の乗り継ぎも大変。とくに地下鉄は地上に出るまでがけっこう難儀で、エレベーターの位置とかをその都度確認しなければならないし、ようやく地上に出てもとんでもない所に出ることがあったり。まあこれも別の話だ。
駐車場からは直接会場入り口まで行けるので大変スムーズでよろしい。そしていよいよ本会場へ。
開催概要
本企画展は、ニューヨークのメトロポリタン美術館のヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品の中ら選ばれた名画65点(うち46点が日本初公開)を時代順に3章構成で展示している。
開催概要
大阪展:2021年11月13日(土)- 2022年1月15日(日)
東京展:2022年2月9日(水)- 2022年5月30日(月)
第Ⅰ章 信仰とルネサンス
第Ⅱ章 絶対主義と啓蒙主義の時代
第Ⅲ章 革命と人々のための芸術
メトロポリタン美術館所蔵西洋絵画の名品がこれだけ貸し出されのは、現在西洋絵画の展示ギャラリーが大規模な改修工事をしているからのようで、改修は2023年に終わり、その後はヨーロッパのオールドマスターの常設展を再開するということらしい。
しかし今回の企画展の出品作65点には有名どころだけでも、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、ホルバイン(子)、クラーナハ(父)、エル・グレコ、ティツィアーノ、ルーベンス、ベラスケス、ムリーリョ、カラヴァッジョ、ラ・トゥール、ブッサン、クロード・ロラン、ライスダール、フェルメール、レンブラント、シャルダン、ヴァトー、ブーシェ、フラゴナール、ジョシュア・レノルズ、ターナー、クールベ、コロー、ドーミエ、ゴヤ、マネ、モネ、ルノワール、シスレー、ドガ、セザンヌ、ゴーギャン、ファン・ゴッホなどなど粒ぞろいだ。
逆にいえば出品のない著名画家、人気画家って誰がいたっけって思えるくらいだ。試しにこの中にないビッグネームっていうと、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、デューラー、アングル、ダヴィッド、ドラクロワ、ミレーあたり。
まあそういう訳なので、もう次から次へとビッグネームの名品が目の前に現れてくるのである。ウィークデイでもけっこうな観覧客がいたけど、列を作って鑑賞にえらく時間がかかるという訳でもなく、そこそこ1点ごとゆっくりと時間かけて観ることもできるくらいだ。2日前に行った上野の東京都美術館(東美)のフェルメール展と比べるとどうかというと、だいたい同じくらいの人出だったけど、気持東美の方が混んでいたかもしれないなと思った。
あと展示の仕方がなんていうのか、広いスペースを小部屋のように仕切っていて、どこから観てもいいようになっているため、ゾロゾロと列を作って順番に観るという風にならない。このへんが壁伝いに順番に観て行くのと違うのかもしれない。
メトロポリタン美術館の思い出
気に入った作品について語る前に、メトロポリタン美術館の思い出について。
実は27年前にニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れている。新婚旅行でフロリダとニューヨークへ行った時だ。ニューヨークには2日半滞在したのだが、グリニッジ・ヴィレッジあたりをブラブラしたり、ブロードウェイでミュージカル観たりとか、エンパイア・ステートビルに登ったりとか、まあありきたりの観光をした。ミュージアムはアメリカ史自然博物館でほぼ1日費やしたおかげで、メトロポリタン美術館には最終日、午後にはもう帰るということで午前中の3時間しか滞在できなかった。
メトロポリタンで3時間なんていうのは、カタログ図録をパラパラめくるに等しい、ほとんど駆け足で観たのでもう今となってはほとんど覚えていない。唯一覚えているのはジャクソン・ポロックの「秋のリズム」だけという始末だ。これはもう大失敗だったといまだに悔いている。アメリカ自然史博物館はもちろん面白かったし、1日費やすには値するところだけど、今思うとメットを先にして1日観て回るべきだったと思ったりもする。
その後2度アメリカには行ったがいずれも西海岸だ。いつかもう一度ニューヨークに行ってメトロポリタンでリベンジしたいと思いつつも、もう年齢的にも財力的にも多分難しいのではないかと思う。27年前の教訓としては、語学出来ないと海外は面白くないということだった。とはいえ語学力はいっこうに改善されないまま年月は過ぎ、その後の海外旅行でもいつも、もう少し語学出来ればなあとため息つくばかりだ。2年前の旅行の時は、スマホでの予約やら決裁やら翻訳機能のおかげでなんとか乗り切った。
もう機会はないとは思うけど、もしチャンスがあっても今の語学力ではあまり楽しめないかなと思ったりもしている。
今回、粒ぞろいのオールドマスターを観ても27年前の記憶は当然蘇ることはなかった。逆にこの間、画集とかでお目にかかった名品が、メトロポリタンの所蔵品かと驚くことばかりだった。
「キリストの磔刑*1」(フラ・アンジェリコ)1420-23年頃
西洋絵画の500年ということでルネサンス初期の時代の宗教画、フラ・アンジェリコの作品。金地の板絵による美しい作品だ。この絵は長く作者不明のまま19世紀にようやく存在が知られるようになったが、その後も6名以上の画家に代わるがわる帰属された。1976年に美術史家マーヴィン・アイゼンバーグがこの作品と別の板絵の祈祷画を比較して二つの作品を同一の画家のものとし、それ以降この作品はフラ・アンジェリコに帰属することとなっている。つまりはフラ・アンジェリコの作品とされるようになってからまだ50年足らずということのようだ。
「聖母子」(カルロ・クリヴェッリ)1480年頃
この絵もしばしその前で釘付けなった。黄金色および黄色が目立つ独特の明るい色彩だ。幼いイエスが抱いているのは無垢を象徴するゴシキヒワ。イエスが見ている異様に大きいハエは罪の象徴なのだとか。
「パリスの審判」(ルーカス・クラーナハ) 1528年頃
「最も美しい者に」と記された黄金のリンゴを三人の女神(ユノ、ミネルヴァ、ヴィーナス)がそれぞれ自分が相応しいと主張する。そこでゼウスはトロイアの王子パリスに選ばせることする。パリスは右端のヴィーナスを選ぶ。なぜならヴィーナスは、パリスが絶世の美女ヘレネを妻にできよう協力すると約束したからだ。
この「パリスの審判」のテーマはギリシア神話に由来しローマ神話や様々な物語に脚色されていて、クラーナハは好んで描いた神話主題になっている。クラーナハの描くヴィーナスは一様に同じ顔をしている。
「音楽家たち」(カラヴァッジョ) 1597年
1952年にイギリスの個人コレクションの中から発見されるまでは忘れられていたという。つまりカラヴァッジョ作品として知られるようになったのは、たかだか70年かそこらだという。右から二番目の角笛をもつ人物は、研究者たちによってカラヴァッジョの自画像と考えられてきたという。一番左端のブドウを摘む羽の生えた人物はキューピッドで、この作品の主題が音楽と愛の寓意とされている。またリュートを抱えた人物は、その官能的な眼差しとふっくらとした唇を半開きにしているところから同性愛をほのめかすと解釈されてきた。その隣のカラヴァッジョの自画像もまた口を半開きいしているところから、彼自身もバイセクシュアルであったと考える人も多いという。
「聖母子」(バルトロメ・エステバン・ムリーリョ)1670年代
わずかな期間をのぞいてそのキャリアのほとんどを生地であるスペイン南部セビーリャですごした画家である。活発な動きを見せるイエスを優しく見つめるマリア。全体としてこの画家の特徴でもある優しい雰囲気、まなざしを思わせる。構図も安定していた落ち着いた雰囲気もある。実はこの作品が今回の展覧会で一番気に入った作品かもしれない。
「女占い師」(ジョルジュ・ド・ラトゥール) 1630年代頃
17世紀初頭に活躍したラ・トォールはその後忘れ去られ、脚光を浴びたのは20世紀に入ってからであるという。まず1915年にドイツの研究者がナント美術館にあった作品をラ・トゥールの作品と確認し、1934年にパリで開催されたそれまで一般に知られていなかった地方画家の作品展でラ・トゥールが注目された。さらに1972年にパリで大規模なラ・トゥール展が開催されて以降、彼の作品と同定されたものが増えた。それでも彼の真作とされる作品は現在でも多くとも60点前後とされている。
ラ・トゥールというと夜の室内の風景、ロウソクの光の中に映し出された人物を描いた作品が多いため、「夜の画家」と称されることが多いため、そういう認識でいた。なのでこの「女占い師」のような明るい色調の風俗画は初めてみることが多い。ラ・トゥール=「夜の画家」という認識を改めないといけない。
「フローラ」(レンブラント・ファン・レイン) 1654年頃
フローラとはローマ神話に登場する花と春と豊穣を司る女神、花の精。陰影表現を得意とするレンブラントには何となくそぐわないような気もしないでもない。2日前に東美で観た愛妻を描いた「若きサスキアの肖像」にも通じるものがないでもないが、この横顔の表現はなんとなくレンブラント的ではないような気もする。
「マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ」
(マリー・ドニーズ・ヴィレール)1801年
ひょっとすると今回の企画展でも人気の作品になるのではないかと密かに思っている。観者をまっすぐ見つめる眼差し、なんとなく現代風なドレスに身を包んだ少女の細身の姿。19世紀初頭、新古典主義の範疇にはいる作品だが、どこかシュールな雰囲気もする。要するにこの作品には古典的なものとは異なる現代的な感覚がある。構図やモデルの眼差し、ひび割れたガラスの向こうの風景と室内の無をも想起させる真っ黒な壁との対比。
作者のマリー・ドニーズ・ヴィレールはサロンにも出展していた女流画家だが、真筆とされる作品は3点しか現存していないという。この作品も長く新古典主義の巨匠ダヴィッドの作品とされていたが、1950年代に美術史家によって異なる推論が出て、その後は作者不詳となっていた。1996年に美術史家マーガレット・オッペンハイマーが、この絵をマリー・ドニーズ・ヴィレールと同定し、メトロポリタン美術館も多少の不確かさを残しつつも彼女の帰属とすることにしたという。
いずれにしろ自分にはどこかシュールリアリズムを思わせる作品だ。
「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む」
(ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナ) 1835年頃
ターナーの代表作の一つだと思う。均衡のとれた構図と遠近法。水彩を思わせる鮮やかな光彩をとらえた色彩感覚。この絵には見覚えがあるのだが、昔、東美で観たターナー展か、あるいは大塚国際美術館での複製画だろうか。
「ヒナギクを持つ少女」(オーギュスト・ルノワール) 1889年
美しいルノワールの絵だ。これは例えばポーラ美術館「レースの帽子の少女」などとほぼ同時期の作品で、輪郭線のない様々な色の濃淡が溶け合った美しい表現。印象派的なタッチから新たな表現へと移行する時期の、多分ルノワールの代表作の一つだと思う。
「ガルダンヌ」(ポール・セザンヌ) 1885-86年
ガルダンヌはセザンヌの生まれたエクス=アン=プロヴァンスの南方にある町で、1885年から1年間、セザンヌはここで暮らした。セザンヌにしては珍しい縦長の風景画であることが目をひく。形態を意識した構成と意図したのかどうかは不明な塗り残し、セザンヌはこの作品を10年間手元に置いていたというが、彼にとってこの作品は未完成だったのだろうか。
「ヴィルヌーヴ=ラ=ガレーヌの橋」(アルフレッド・シスレー)1872年
美しい、これぞ印象派というべき作品。シスレーこそ印象派の中心かつ代表的な画家ではないかと密かに思っている。どの展覧会においても思うのだが、出品作の中で1点だけ持ち帰っていいよといわれれば、たいていの場合にシスレーを選ぶ。もちろん今回の「メトロポリタン美術館展」においても1点お持ち帰りとなれば、この作品だ。
*1:たっけい