ワクチンの3回目接種の予約を夕方5時半からだったので、その前にどこか美術館へ行こうと思った。アーティゾンか恵比寿の山種美術館の二択で考えたのだが、大手町の接種会場まで徒歩で行けるということでアーティゾンに行くことにする。ここは完全予約制なので、前夜のうちに12時半~13時半のところで予約する。今はスマホ一つでチケット購入まで全部出来てしまう。折り返しできたメールのQRコードを画像保存して、受付で提示するだけでOKという。ただし、こうやって予め予約して行くというのが実は苦手。出来ればなんの予約もせずに、ふらっと行きたいところだけど、まあこれは致し方ない。
アーティゾンで現在開かれている展覧会は「はじまりから、いま。1952-2022 アーティゾン美術館の軌跡-古代美術、印象派、そして現代へ」という長い長いタイトルのもの。
はじまりから、いま。 1952ー2022 アーティゾン美術館の軌跡—古代美術、印象派、そして現代へ | アーティゾン美術館
アーティゾン美術館は、5年間の休館と改名を経て、2020年に新たにオープンしました。前身となるブリヂストン美術館の創設者石橋正二郎は実業家として成功を収める一方、日本近代洋画や西洋近代美術を中心とするコレクションを築き、美術館を設立しました。1956年の石橋財団設立後、その収集と美術館運営は財団に引き継がれます。また正二郎の長男幹一郎は、財団運営をおこなうとともに、自ら戦後フランスを中心とした抽象絵画を収集しました。幹一郎の没後、それらは正二郎から引き継がれた日本東洋古美術などとともに遺族によって石橋財団に寄贈され、従来のコレクションに大きな発展をもたらしました。石橋財団の運営によるアーティゾン美術館は、これまでの活動とコレクションを引継ぎ、拡張するとともに、コレクションと現代美術家との共演による展覧会「ジャム・セッション」などの新たな企画にも挑戦しています。
本展では、1952年のブリヂストン美術館開館から70年の歴史を持つアーティゾン美術館の軌跡を、約170点の作品と資料とでご紹介いたします。また、これまで開催した展覧会のポスターや開館以来続く土曜講座の記録、美術映画シリーズ、正二郎の欧米外遊記録などさまざまな資料とともに、歴史を振り返ります。
展覧会の構成
展覧会構成 | はじまりから、いま。1952ー2022 アーティゾン美術館の軌跡—古代美術、印象派、そして現代へ | アーティゾン美術館
SECTION1:アーティゾン美術館の誕生
SECTION2:新地平の旅
SECTION3:ブリジストン美術館のあゆみ
そしてまず最初に展示されているのは、ブリジストン美術館でこれまで開かれてきた展覧会のポスター。これがまたけっこう壮観でもある。
そしてお馴染みの藤島武二から。
次は印象派の女流画家がマリー・ブラックモン、ベルト・モリゾ、エヴァ・ゴンザレスと続き、真打的にメアリー・カサットが2枚展示してある。その前のモリゾとゴンザレスはマネの弟子筋的な並びのようだ。
モデルの女性はモリゾの姉のエドマかイヴとされているとか。そしてイヴだとすれば小さな女の子はイヴの娘のポール・ゴビヤールかもしれないとも。ゴビヤールは後に自ら絵を描くようになる他、ルドンのモデルなどにもなっているという。ルドンのコレクションが充実している岐阜県美術館にあるこの絵がポール・ゴビヤールである。美人さんに成長されたということだ。
ここからは展示構成に関係なく気になった作品をいくつか。
いろいろな意味で森村泰昌のパロディ、自らモデルとなるオマージュ作品は凄いとは思うが、この二つの作品がオリジナルとは別のフロアに展示してあるのはちょっとした救いかもしれない。人によっては冒涜ととるかもしれないから。
アーティゾン美術館の目玉的作品だ。SECTION1の中にブリジストン美術館で開かれていた土曜講座のアーカイブビデオが流れていたが、その中に当時の館長による落札の思い出を語るものがあった。1980年、ニューヨークのサザビーズで当時の最高額(6億9000万円)で落札したものだという。40年前のオークションでの落札最高額である。今や名画の価格は高騰の一途をたどっている。ピカソの最高落札価格は、2021年にニューヨークのオークションで「アルジェの女たち(バージョンO」が1億7940万ドル(約215億円)で落札されているのだとか。
ピカソの絵は100億円を超える(美術品オークション高額落札ランキング2021) - 銀座の絵画販売・買取の画廊- 翠波画廊
それを考えるとこの新古典主義時代の傑作とされる作品もゆうに100億はくだらないものになるのだろうと、まあそういう下世話なことを考えてみたりもして。
この作品にはもう一つ面白いエピソードがあるようで、この作品はオークションに出る以前にピアノの巨匠ウラジミール・ホロヴィッツが所有していたのだとか。この絵の飾られる部屋でホロヴィッツがピアノを弾いていたのかなどと想像するのも楽しい。
著名な画家にはカタログ・レゾネという「作品図版、タイトル、制作年、素材・技法、寸法、署名の有無、研究者による解題、作品記述、さらに所蔵歴(来歴)、展覧会歴、文献歴などの詳細データを収めたもの」があるのだという。その中の所蔵歴(来歴)だけを抜粋した目録があればけっこう楽しめるかもしれない。このへんはプライバシーや税金対策とかの壁もあるので、詳細不明ということが多いのかもしれないけれど。
さまざまな方向に向かう筆触を意図的に使うのはセザンヌが確立したとか聞いたことがある。多視点なども含めセザンヌを近代絵画の父と称させる一つの理由だ。とはいえこの絵の背景を見るとマネもおそらく意図的に方向の異なる筆触を多用している。おそらくこういうことを始めたのはマネが最初だったんだろうか。ゆえにマネは近代美術の父といわれると、まあそういう理解でいいのだろうか。
意図的な塗り残しに、余白もまたセザンヌの手法とされる。この絵にみられる塗り残しはどういう意図だったんだろう。凡人の自分にはただたんに絵具がなくなったとか、そういう形而下的理由だったんじゃないかとか下世話なことしか考えつかない。
以前にも書いたかもしれないが、数ある「サント=ヴィクトワール山」を描いた作品の中ではこれが一番好きだ。キュビスム的萌芽とかそういうのは置いとくとしてもこの色合いや構図、観ているととどこか心に触れるようなものがある。
シニャックの点描画は5メートル以上離れて観ると視覚混合の効果で美しく鑑賞できる。出来ればそれ以上、理想的には7~10メートル離れてみたい、というのが持論である。なので出来ればそれだけのスペースのある陳列をしてもらいたいと切に願っている。
点描が大きくなるとフォーヴィスムになる。ここ何年も適当に思っていることである。スーラ、シニャク、エドモン=クロスとだんだんと点描が大きくなる。そこにマティスである。フォーヴィスムは1905年サロン・ドートンヌに出品された一群の作品の強烈な色彩を評論家が「まるで野獣の檻の中にいるようだ」と揶揄したことで呼ばれるようになったという。このマティスの作品はそれに先立つ1899年に描かれている。試行錯誤を続けるマティスが点描表現からその先へと模索を続けているころの作品と、なんとなく思っている。
フォーヴィスムの喧騒をおさまり、様々な形で捨象され簡素簡略、形態化がすすみつつあるとか。大好きな作品である。
寒色系による寒々とした寒村の雪景色、緑青的な風景画に行く前の、フォーヴィスム絶好調の時期のヴラマンクである。この強烈な色彩とあの緑青の間にいったい何があったのかといろいろ想像してみたくなる。
明らかにパースがおかしい。というよりもルソーは確信犯的に遠近法を無視している。巨大な牛と人物、木の配置、構成。正規の絵画教育を受けていない故にナイーフ派などといわれるが、ルソーは狙っている。だからこそピカソらも評価していたのだろう。ただのヘタウマではない。でも、本当のところはどうなんだろう。
この二枚も離れて離れて鑑賞したい。やはり7メートルは必要だと思う。うっとりするほど普通の美しい絵になる。
この絵の風景は、東京新橋近くのゴミ処理場とそこを流れる汐留川にかかる蓬莱橋だと考えられている。1960年代に埋め立てられて「蓬莱橋」の地名だけが今も残っているとか。この作品は1943年の制作、埋め立て以前にまもなく空襲でこの辺りも焼け野原になってしまったのだろうか。
この作品は多分初めて観たかもしれない。アーティゾンで岡鹿之助というと「雪の発電所」を頭に浮かべる。ポーラ美術館の「掘割」とともに抒情性と静謐を感じさせる気に入った作品だ。残念ながら今回は「雪の発電所」の展示はないみたいだったが、この「群落B」もなかなかに美しい作品だと思った。