日本画の歴史 近代篇

 明治以降の日本画の流れを知るために購入。ざっと通読した後は、興味を惹く箇所や画家についての部分を再読している。近代日本画史にあたりをつけるような概説書、入門書が少ない中では割とポピュラーな一冊だと思っている。続編の『現代篇』はまだ読書中だが、こちらと合わせて手元に置いておきたい本でもある。

 とはいえ所詮は新書サイズの入門書である。近代日本画のすべてを俯瞰できるかというと、新書という器の問題もあり諸々限界がある。さらにいえば、その新書というパッケージの中に情報を詰め込み過ぎた恨みもあるように思う。著者の思いというのか、あれも入れたい、この画家についても触れたいという思いがあり、それが逆に中途半端で判りにくいものになっているような気がする。

 著者は長く山種美術館などで学芸員を40年以上続けてきた方で、現在は平塚市美術館の館長をされている。いわば学芸員の草分けのような存在だ。本書はもともと一般市民を対象にし平塚市美術館で行った館長講座をもとに、これに「明治・大正の南画」「幕末・明治の浮世絵」「忘れられた明治の日本画家たち」を加えたものだ。

 市民講座であれば口頭で補足説明ができる部分もあるのだが、文章だけだと今一つ説明不足というか舌足らずな部分が正直目立つ。例えば第一章の「明治・大正の南画」の冒頭の記述では、南画を説明するために中国の南宗画や北宗画について触れている。

北宗画とは唐の李思訓(653~718)・昭道(八世紀後半に活躍)父子に始まるとされ、郭熙(北宋)、李唐(北宋後期~何宋初期)や馬遠(南宋中期)などの職業画家たちの系譜です。山水画が中心でしたが、高度な技巧と形而力が要求され、斧劈皴などの堅い皴法、あるいは描く対象の輪郭を線描で括る鉤勒描法などを用い、彩色を施すものが多かったのです。  (P3)

 唐突に中国の画家名が出てくるのはいいとして、例えば「形而力」ってなんだ。形而上学や形而下といった哲学用語はなんとなくわかるが「形而力」とは初めて聞く言葉だ。「形而」=「形の」という意味あいなので「形の力」、形を描く技量みたいな意味合いなのかと思う。

 さらに「皴法」といきなり出てくるが、これは山水などの襞(ひだ)を描く画法のことである。その後に出てくる「鉤勒描法」のみ「線描で括る描法」という説明があるが、記述だけではまったくわからない。

 多分に著者は、伝えたい情報が多いため、その叙述については判りやすさよりもあれも入れたい、これも入れたいという気持ちが先走ってしまったのではないかと思う。これは著者の文章力とともに編集者の力が問われることだったのかもしれない。編集作業の上で「先生、この『皴法』ってどういうことですか」、「『形而力』はべつに言い換えられませんか」といったやりとりあっても良かったのではないかと、そんな気がする。

 さらにいえばこの本は新書サイズで224頁という小冊子的な薄いものだが、内容的にはその倍近い情報が盛り込まれているような気がする。何が言いたいというと、巻末に年表はついているが、この本には画家の人名索引や簡単な解説、語句の注釈が最低限必要だったのではないかと思う。それによって頁数が大量に増えたとしても、美術史を学びたい入門者には絶対に必要だったのではないかと、そんな気がする。

 人名解説や語句の注釈は著者がきちんと行うべきだし、人名索引は編集者の仕事だ。タイトはスケジュールの中で端折ったのかもしれないが、新書で入門概説書として出すうえではけっして軽んじてはいけないと思う。美術館に足を運び、日本画の魅力を感じ始めた初心者が、もっと日本画について知りたい、学びたいと思い本書を手にする、そういう読者が多いのではないかと思う。それを思うと、もう少し丁寧な解説や編集が必要だったのではないかと。

 何か批判めいたことばかり書いているが、近代日本画を俯瞰する本書の意義は大きいと思う。冒頭の南画についても、断髪の女流画家奥原晴湖のことなど、今ではほとんど忘れられた画家にスポットライトをあてていることも重要だ。奥原晴湖は晩年熊谷に隠棲したということで、ある意味埼玉県にとってはご当地の画家ということで埼玉県立近代美術館でこの人の作品は観たことがあったが、近代日本画史にとっても重要な画家の一人だったということなど再認識させられた。

 また本書では序の部分が、近代日本画史の簡単なダイジェストになっていて、この数頁を読むだけでも一定のあたりをつけることが出来重要だと思う。「日本画」とは明治になって国家意識が形成されるなかで生まれた言葉であり、それはお雇い外国人フェノロサによって「Japanese painting」の邦訳語として使われたものだという。そして「日本画」が成立することで「洋画」という概念も成立したのだという。

 そして明治期から出発した近代日本画とは、西洋絵画の描法を取り入れた立体空間を表現する写実化の試みだったという。

日本画の近代化とは西洋化、大雑把にいうと写実化だったのです。紙や絹という二次元の平面空間に三次元の立体空間を取り込もうともがき苦しむ道のりだったのです。

序2頁

 

何度もいうように、西洋化=写実というのは日本画家にとって重大な課題でした。彼らは二次元的な絵画空間に三次元的空間を入れ込もうと苦心惨憺しました。日本画近代化とは、結局この写実という一語に尽きるのではないかと思うくらいです。

序6頁

 そして近代化=写実化の苦闘の果てに、新たな地平として新しい表現、写実を離れた心理表現、抽象表現、西洋画がたどったキュビスム表現主義、抽象主義、シュールリアリズムなどの日本画的実践が始まることになるのかもしれない。