ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ

 

  友人から借りていたものをようやく昨日読み終わった。ずっとダラダラと読んでいたのだが、後半200ページくらいは一気に読みでほぼ徹夜して読んだ。もともと去年、友人が絶賛してたのと、書店員の間でやたら評判がいいという作品だった。動物行動学者だった著者ディーリア・オーウェンズが70歳にして初めて書いた小説で、処女作としては異例のベストセラーを続けているという作品だ。

 去年の秋くらいに友人から読んだらと勧められていたのだが、ここのところ小説を読む気力がないところで500ページを超えるのはちょっとと気おくれしていたのだが、書評とかがけっこう出ていたので借りてみた。

 内容的には訳者の後書きの中に要約されているのでそれを引用する。

 物語は、1969年、ノース・カロライナ州の湿地でチェイス・アンドルーズの死体が発見されるところから始まる。草藪と海に囲まれた小さな村での出来事である。大切に育てられ、高校ではアメフトのスター選手だった彼を殺そうとする人間など、この村にいるのだろうか?ほどなく疑惑の目は、村人から”湿地の少女”と呼ばれ、人語も解さぬ野蛮な者と噂されてきたカイアに向けられるようになる。

 カイアは幼いころに家族に置き去りにされ、それからはたったひとりで、未開の湿地に生きていた。偏見や好奇の目にさらされるせいで学校にも通えず、語りかける相手はカモメしかいない。ただ、燃料店を営む黒人夫婦のジャンピンとメイベル、それに、村の物静かな少年テイトだけはカイアの境遇に胸を痛め、手を差し伸べようとする。テイトに読み書きを教わったことでカイアの世界はみるみる広がっていった。しかし、別れや拒絶は宿命のように彼女につきまとう。圧倒的な孤独のなか、カイアは唯一近づいてきたチェイスに救いを見出すが、その先にはさらなる悲劇が待っていた。

 チェイス・アンドルーズを殺したのは誰なのか?物語は、捜査が行われる1969年と、カイアの成長を追う1952年以降の時代を行きつ戻りつしながら進み、やがて、思いがけない結末へと収束していく。

 著者が動物行動学者であるだけにその自然描写は細部にわたっており、それが本書の最大な魅力を支えている。そして自然の中で一人で生きていくことを強いられた少女の成長物語、これがメインテーマであり、そこに殺人事件という横軸が加わる。

 正直にいうとこの殺人事件については、もろもろ弱いと思う。後半には裁判の場面もあるが、殺人事件として立件されるにはあまり脆弱な傍証ばかりである。いくら南部という土地柄でもこれはあまりにも酷い。もっともこれ以上に酷い案件でも黒人が犯人とされる冤罪が多数あるという前提のうえでのことなのかもしれないけれど。

 そして最後のどんでん返し。これについてはアマゾンのレビューなどにも多数あるように、この結末はいらないのではないかと自分にも思えたし、そもそも事件として立件できるだけの事実性という点でいえば、どんでん返しがあろうがなかろうが回収できていない部分が多すぎる。

 ただし、そうした点を留意していても、この小説は南部湿地帯の自然描写とその過酷な状況の中で一人生きていく少女の成長譚としては読者を引き込む魅力に溢れている。そして自然の中で生きる少女の圧倒的な孤独。そのある意味根源的な現存在の孤独が、小説の中盤以降に引用される無名の女流詩人の詩とともにストレートに伝わってくる。  

 親や兄弟から見捨てられ、知り合えた友人からも去られ、たった一人自然の中で生きていく。自然は彼女にとっては過酷な現実でありながら一方では親和的な世界でもある。こうした自然の中に置かれた個人の成長を描いた物語はこれまでも沢山あったと思う。でも、この小説ほど孤独というものをメインに据えた物語はなかったかもしれない。

 最後のどんでん返しについてはあえて語ることはしないが、あれが成立するのであれば、この小説を支えている細部の自然描写におけるリアリティも減じるような気もしてしまう。そもそもアメリカ南部の湿地帯において、6~7歳の子どもがたった一人で生きていくことは可能なのかどうか。「湿地の少女」はそもそも実在していたのかどうか、それすらも薄らいでいくような気もしないでもない。

 「湿地の少女」は南部湿地帯における共同幻想の所産ではないか、あるいはもっと卑俗な幽霊譚なのではないかなどなど、ありふれた想像がもたげてくる。もしくは実在する「湿地の少女」の側の幻想、空想に起因する物語。カイアは実在していたのかどうか、もし実在していたとしたら、逆にテイトやジャンピンが彼女の想像の産物ではなかったのか、などなど。

 最後まで緊張感をもって読者を引き込み読ませる作者の力量は確かなものだと思う。自然描写、その細部にわたるリアルな表現により南部の湿地帯の魅力もダイレクトに伝わってくる。その湿地帯のある種擬人化された部分が、主人公カイアなのかもしれない。あるいは自然に関わる親和的な人物、あるいは自然に対して恣意的に関わり、自らの 欲望のままにそれを汚す者として、カイアの前に現れる人々は自然に対峙するものの擬人化された姿なのかもしれない。

 少女の単なる成長譚としてだけでいえば、コミックやラノベのようなやや安易な展開もないではないが、自然との関わりを細かく描いたという点では第一級の自然文学といるかもしれない。読みながらこの小説はおそらく映画化されるのだろうと思い少しググってみると、確かな情報かどうかはわからないがすでに映画化やカイアを演じる女優についても一部話が進んでいるようだ。

Daisy Edgar-Jones - IMDb

Daisy Edgar-Jones - Wikipedia