大原美術館

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 大原美術館に来るのは4回目だ。コロナの影響で136日間休館し、8月から入場者を制限して再開したという。入場料収入に依拠する私設美術館としてかなり厳しい状況が続いているようだ。GoTo事業もいいがもっと直接的な公的支援策ができないのかと思ったりもする。観光事業者や飲食業者への支援も必要だし、雇用にも直結している。しかしそれとは別の意味でも、世界にも誇るコレクションを持つ私立美術館を国が直接的に援助することも文化教育行政の一貫として重要かと、そんなことを思ってしまう。

 今回は時間の関係もありもともと本館のみに行くつもりでいた。宿泊する南淡路のホテルまではナビで検索すると3時間近くかかるので、3時半過ぎには出発しなければならない。駐車場は大原美術館別館の前にある博物館、図書館共用の駐車場に止めた。ここには身障者用の駐車スペースが4台分用意されている。確か前回来た時に、倉敷、美観地区、身障者、駐車場みたいな検索をかけて見つけたところだ。

 車を止めてすぐに美観地区を少し回ってから大原美術館へ行く。ウィークデイということもあり、けっこう空いているが10分~15分単位で時間指定されて入場する。土日はこのへんがもっと厳格になり整理券も発行されるようだ。受付で案内されたのだが、現在は別館は休館中で、別館所蔵の日本美術の1室を設けて展示しているという。

 まずはいつものように西洋近代絵画の部屋。いつも思うことだが、もうここだけで一日過ごしていいと思える展示作品。シャヴァンヌ、モネ、ゴーギャンピサロルノワールなどなど。

 日頃から実践していることだが印象派の絵画は視覚混合の効果を確かめるため、絵を離れて観るようにしている。だいたい5メートルくらいは離れる。理想的には7メートルから10メートルだ。大原美術館ではお気に入りの人物を配した『積みわら』がある。それを5メートルくらい離れて観る。そして左に顔を向けると同じくらい離れたところに『睡蓮』がある。その美しい絵を交互に観ていると心が安らぐ思いがする。

 これは多分、偶然ではなく美術館側の狙った展示じゃないかと思っている。モネは離れて観る。そういうある種の基本を心得た展示だ。こういうのはなかなか出来ることじゃない。スペースの問題などもあるが、モネの絵の3メートル後ろに平然と柱があるとか、割と至近にソファが置いてあるとか。そういう美術館に行くと、もう少し考えてくれてもいいかなどと思ったりもする。絵の収蔵や展示にも優れた美術館でも時折そういうことがあったりすると、ちょっとだけがっかりする。

 二階にあがるとすぐの部屋にはいつものドアの上にフレデリックの大作『万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん』が迎えてくれる。そして時計逆回りにマティス、モジリアニ、そしてピカソへと続く。フレデリックの大作とは逆の側の上部にはアマン・ジャンの大作『ヴェニスの祭』が展示してある。これは多分、今まで観たことがない。ちょっと見、多分言われなかったらボナールかと思うような作品だ。

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ヴェニスの祭』(アマン・ジャン)

 アマン・ジャンはスーラと同窓でその影響から点描表現の絵を描いており、新印象派の一人とされることが多いと思う。色彩表現が豊かな女性の肖像を多数描いている。ボナールとの関連があるのかどうかわからないけど、この絵に関してはそんな風に思えた。

 その後は大原美術館の至宝ともいうべきエル・グレコの『受胎告知』を横目でチラ見して別室へ。実はこの絵、個人的には今一つ。グレコの絵はどれを見てもなんとなく心に響いてこない。まあ低級な印象派好きなんで、まだこのへんの良さがわからないだけだと思う。

 次の間、建物的には別になるのかに行くと、そこに日本絵画の代表的な作品が多数展示されている。関根正二萬鉄五郎小出楢重古賀春江などなど。その中で今回気になったのはこの二つの作品。

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『緋毛氈』(満谷国四郎)

 日本画を思わせるような様式美、平面的な装飾性は洋画としては独特なスタイルを感じさせる。とにかく観るものを釘付けにさせるような魅力あふれる作品だと思う。さらにいえば裸婦を描きながら、エロティシズムを感じさせない。

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『外房風景』(安井曽太郎

 セザンヌ的題材をドラン、ヴラマンク風に仕上げたような作品。かといって習作、模倣を脱したオリジナリティを感じさせる。

 どうでもいいことだが、安井曽太郎梅原龍三郎は戦前の画壇をリードする二大巨頭と称されるらしい。その梅原龍三郎ルノワールに師事したフォロワーといわれているが、その作品の多くはルノワール以後の表現主義マティスフォーヴィズムの意匠を感じる作品が多い。まあ素人の個人的な感想だけど。

 最後に熊谷守一のこの作品。

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『陽の死んだ日』(熊谷守一

 貧困の中で4歳で死んだ次男陽の死に顔を描いた作品。これは確か近代美術館で開かれた熊谷守一の回顧展で観ている。大原美術館の図録の解説の中に、熊谷がこの絵を描いた動機が以下のように書かれている。

次男の陽が四歳で死んだときは、陽がこの世に残す何もないことを思って、陽の死顔を描きはじめましたが、描いているうちに”絵”を描いている自分に気がつき、嫌になって止めました。 

  愛する子どもの死を前にして、記憶しておきたいということで死顔を描いているうちに絵に没頭する悲しい画家の性。そういうものが垣間見える作品だ。子どもが死んだのに、それをモデルに作品を描いてしまう。酷薄な画家のプロフェッショナリズムとでもいって非難することも可能だ。しかしそれが画家なんだろう。

 たしかモネも死んだ愛妻の死顔を描いた作品があったと思う。絵筆を握ることで悲しみを紛らわせ、絶望から逃避するということもあるのかもしれない。しかし、それとは別に絵描きには、どうしても絵がかざるを得ない内なる衝動があるのだと思う。