文庫も1000円超 値上げ続く紙の本

 今日の朝日新聞文化欄の記事。

digital.asahi.com  (閲覧:2023年3月26日)

 「本が高い」という読書家の嘆きの声をTwitterでも目にすることがある。

 10数年前あたりから、ちらほらと文庫で1000円超が出てきたが、今は当たり前の状況だと思う。刷り部数が相当絞ってある、地味目の文庫本。例えば講談社の学芸文庫や岩波現代文庫あたりは、普通に1200円、1500円あたりを目にする。

 出版科学研究所の1月の発表では、2022年の新刊の紙の書籍全体の平均本体価格は1268円、文庫本だけでみると748円。10年前と比べてそれぞれ、151円、112円高くなった。

 それでもまだ書籍全体の平均単価は1268円、文庫で748円くらいだという。自分は長く専門書系の仕事をしていたので、その感覚からいうとまだまだ安いなという感じだったか。10数年前だったか、売上シミュレーションとか諸々のためにジャンルごとの平均単価とかを年度でとったことがあったけど、単行本単体では1800円前後、文庫新書など並製品をいれても1400円前後あったような気がする。10数年前でもだ。

 なぜ本の値段は上がるか、記事にもあるとおりに押しなべてコスト高というのが理由となる。用紙代、印刷代、配送コストなどなど。でも記事では触れられていないが、本当の価格上昇の理由はなにかというと、これはまあ当たり前といってしまえばそれまでだが、紙の出版物全体の売上の急速な低下にある。

 初めて書籍の売上が雑誌の売上を上回ったのが2016年だったか。

日本経済新聞 2016年12月26日) 

http:// 出版科学研究所の1月の発表では、2022年の新刊の紙の書籍全体の平均本体価格は1268円、文庫本だけでみると748円。10年前と比べてそれぞれ、151円、112円高くなった。 (閲覧:2023年3月26日)

 これまでも何度か書いたことだけど、出版業界は戦後ずっと雑誌の売上に依拠してきた。雑誌は大量部数を刷り、大量に販売される。出版社は本誌の売上だけでなく、潤沢に広告売上を享受することができたし、途中から連載作品、当初は小説等の単行本、70年代以降はコミックなどの売上もあった。

 その儲かる雑誌によって実は儲からない書籍のコストを吸収してきた。ときにベストセラーがあるとはいえ、単行本、文庫、新書類は読書家の便宜を図るということから、ずっと価格が据え置かれていた。文庫・新書類はそれこそ岩波の☆一つ50円とか100円ではないが、だいたいにおいて100~300円くらいだったか。文庫の平均単価が500円台になった時にもけっこう反響は大きかった。

 文庫・新書はもともと薄利多売だったし、儲けがかつかつでも雑誌で利益が出ていれば十分それは補填できた。書店側でも大量に売れる雑誌があれば300円の文庫が数冊売れる程度でもかまわなかった。雑誌売上でコストが回収できたからである。さらにいえば、委託販売のため売れ残りは返品することで在庫過多となるリスクも軽減されていた。

 おまけに書籍に比べて雑誌の正味、仕入れ値は低かったので、儲からない書籍はある意味、ビジネスモデルとしてはあまり顧みられていなかったのかもしれない。書籍の品揃えの充実は、そういうものを求める消費者が、ついでに別のものも購入してくれるという点ではある種の人寄せ、宣伝的な意味合いもあったのではないか。

 かって地方の中小書店のなかで老舗といわれる書店では、例えば買切の高正味の岩波書店の文庫や新書を多く品揃えしていた。岩波を置いている本屋は、品揃えが良く他の堅い専門書類も充実しているというある種のイメージ戦略だったのではないか。

 しかしそうした牧歌的ともいう雑高書低の時代は次第に崩れていき、2016年に雑誌と書籍の売上が逆転した。なぜ雑誌の売れ行きが一気に下がったか。誰しもが思うことだろうけど、インターネットの普及である。それまで様々な情報は雑誌によって流通していた。もちろん商品情報もそうだ。それらはすべてのネットのビジネス・サイトに取って代わってしまった。

 そしてなかなか進まなかった電子書籍化もいち早くビジネスとして成り立ち、紙媒体の売上を一気に越したのはコミックだった。今、電車の中で雑誌を読む人がどれだけいるかどうか。

 蛇足的な話になるが、数年前に某大手出版社の倉庫を見学したことがある。その出版社はいち早く、サイトビジネスやコンテンツ販売に切り替えて、ここ数年最高益を更新している。いわゆる勝ち組の出版社でもある。その倉庫はかなり先端的な機械化が導入されていたが、驚いたことに倉庫の半分くらいがすでに出版物ではなく物販品だった。

 雑誌やサイトビジネスで紹介するファッション商品類をそのまま販売する。読者はサイトからそのまま注文すれば、その倉庫から商品が読者の元に出荷される。「これがもうバカにならない規模になってきてる」と案内してくれたお偉いさんがニコニコ顔で話してくれた。

 さらに蛇足的な話。先日もコンビニの雑誌のコーナーを見てビックリしたことがあった。まずはコーナー自体が縮小されている。かっては溢れかえっていたような週刊誌、コミック、情報誌類がえらく淘汰されてしまった。その象徴的な容貌として車雑誌のコーナー、ほとんどコーナーといえずに片手くらいの老舗雑誌があるだけだった。そして中古車情報の載った『カーセンサーはえらく薄いペラペラの雑誌になってしまっていた。かっては毎号、毎号、電話帳のようなサイズで販売されていたのに。

 それらはみんなネットのサイト情報に取って代わってしまった。

 雑誌が売れなくなり、もともと売れない、儲からない書籍で少しでも利益をあげるとなれば、単価を上げるだけとなる。印刷や紙、物流経費などを書籍単体で採算ベースに乗せるには単価を上げざるを得ない。

 かって最初に務めた書店の上司が宣った言葉。「売上を上げるには客数を稼ぐか単価を上げるかだ」である。客数を稼ぐには、安い雑誌や文庫・新書、コミックに力を入れる。マス販売的な方法だ。買上げ単価を上げるのは、単価の高い専門書を充実させる。まあ実際にはそんな単純な問題ではないし、様々な要素、要因が絡み合う。でも平たくいえばそういうことだ。

 出版業が紙の出版物で商売をしていくのであれば、それがきちんと採算ベースにかなうビジネスモデルとなるためには、単価はさらに上がり続けることになると思う。その先で出版業界が続いていくかどうか。これは神のみぞ知るという領域だが、いささか暗い気分にもなる。

 多分、紙の出版物はこの記事にあるとおり、著名作家の文学作品(そういえば村上春樹の新作が4月に出版される)やアイドルの写真集など高価でも所有したいファンが買うものにシフトしていくのだろう。

 本はニッチな嗜好品になっていく。それはこの収縮しきった市場でまだその先があるとすれば自明なことだ。

 先週、友人と会い久々酒を飲んだ。その前に比較的品揃えの良いという書店に入った。途中から定価当てゲームみたいになった。「こんな本があるんだ」「この本翻訳されたのか」などなど。そして判型、上製本、ページ数などから「これは9800円、これは12000円、これは14000円くらいかな」。自分が上げた価格はだいたいのところあっていたような気がする。しかし10000円強の書物を今自分が買うかというと、多分ノーだと思う。

 一応、通信教育のくたびれた学生身分なので、テキスト類にはそこそこ金を使う。256ページのA5判並製の本が3000円前後するが、これは毎度4~5冊買わなくてはならない。その他に電子化された書籍も同じくらいは買う。まあ学生のテキスト類、この市場は残り続けるだろうか。

 本は高い、でももっと上がらないと出版社は本を作れないし、書店も取次も生き残れない。残念だけどもはやそういう時代に来ている。