ピーター・ドイグ展の後は、まあこっちがお目当てともいえる常設展に。
近代美術館の常設展は多い時には月に1回くらいは通っていたのだが、ここのところはコロナで閉まっていたこともあるがとんとご無沙汰していて、調べるとその前に来たのは2月の初旬あたりだったようだ。
毎回、ここの常設展では日本の洋画、日本画の名作を来るたびに新しい発見みたいな感じで楽しんでいるのだが、今回についていえば2月の展示と割と同じような感じもした。4階の目玉ともいうべき部屋では、金沢に移転する工芸館の作品、陶器等が展示してあった。陶工品はなんか興味が薄いので割とスルー。きちんと見ていけば奥の深い世界なのかもしれないけど、まあ好き好きというか。
今回、興味を惹いた絵を幾つか。
見るからにピカソの新古典主義時代である。伊原宇三郎がピカソから影響を受けたことは有名らしく、ピカソに関する著述も残しているとか。
https://art.tokushima-ec.ed.jp//text/yomi/1100008_3.html
表現としてのピカソはそうなのだが、構図の安定感を含め観ていてどこか心に残る絵である。同じ部屋にあるどの絵よりも目をひき、見つめていると安心できるようなそんあ絵である。いろいろな意味で自分に良質な作品だと感じられる。
東郷青児が不思議な美人画の画家ではないこと、キュビズムをきちんとした消化したうえで独自の抒情性を作品世界を構築した優れた画家であることがわかる作品だ。キュビズムには情緒よりも理知的な、作画の方法論の怜悧を感じる作品が多いが、東郷青児にはそこに情緒的世界をきちんと取り込み、キュビズムに新たな地平を拓いたのではとか、まあ適当なことを考えている。この寂しげな世界はなんだろうな。
キュビズム作品でそうした情緒面が少なからず感じるのは、多分ピカソよりもブラックの方かもしれないなとか思う。同じ近代美術館収蔵のブラックの『女のトルソ』にはそんな雰囲気が感じられないでもない。
児島善三郎は、アンドレ・ドランなどフォーヴィズムの影響を受けた画家だというこおとらしいが、この絵の雰囲気はなんとなくエコール・ド・パリ風である。イメージ的にはモイズ・キプリングあたりか。日本でいえば田中保や国吉康雄的な感じがする。リアリズムとは異なる表現主義の世界のようだ。
太田喜二郎は新印象派の影響から点描による作画を続け、のちに写実的な印象派的作風に転じたという。その流れで田園風景をモチーフにした作品が多いというと、なんとなくピサロみたいなイメージでとらえることになる。
太田喜三郎の表現の変化がなんとなくわかるような感じで3つの作品が展示されている。こうやってみるとどうとってもカミーユ・ピサロのフォロワーという感じだ。
3階の和室の間はなんとなく朦朧祭りみたいな感じ。左にある2作は横山大観。
この部屋はいつも静謐なイメージが溢れていてけっこう好きである。