マレヴナ(マリー・ボロビエフ)
静岡市美術館「スイス プチ・パレ美術館展」で観たまったく初めての画家。自分的にはこの展覧会での最大の発見の一つ。
開催中の展覧会 一覧 | 静岡市美術館 (閲覧:20220427)
全体としてポップでオシャレなデザイン的要素が濃いキュビスム作品という感じ。オシャレ・キュビスムというと東郷青児を思い出すんだけど、ちょっと同じような匂いがする。
マレヴナ(1892-1984)ってどんな人なんだろうと図録の略歴を読む。以下引用。
ロシアの女優とポーランドの貴族の間にロシアで生まれた。1910年にモスクワの美術学校に入学し、イタリアの絵画、印象派、フォーヴィスムに触れた。1911年にカプリ島を訪れ、そこで出会ったマクシム・ゴーリキーに「海の小さな王女」の名前にちなんでマレヴナというニックネームをもらった。勉強を続けるために1912年にパリに移り、亡命芸術家が集まり住んだラ・リューシュに部屋を借りた。その後、アカデミー・リュスに通い、シャナ・オルロフ、リプシッツ、ザッキンと出会う。シャガール、キスリング、モディリアーニ、レジェ、ブラック、マティス、藤田といったモンパルナスの画家たちと親しく付き合うようになり、賞賛を惜しまなかったピカソは心を許せる友となった。1919年にサロン・ドートンヌに出展。メキシコの画家ディエゴ・リベラと出会い、2人の間にマリカという娘が誕生した。画家として生活を続けながらひとりで娘を育て、1942年にサン=ポール・ド・ヴァンスに移り、1949年マリカを追ってイギリスに渡った。マレヴナは、キュビスムを取り入れ、絵で生計を立てた最初の女性がだった。その生誕100年を記念して、ロンドンのウィルデンスタイン画廊では、オスカー・ゲイズのコレクションを元にして展覧会が開かれた。
『図録』P106
なんかすごい経歴。女優と貴族の間に生まれ、ゴーリキーにニックネームをつけられ、モンパルナスの画家と交流をもち、ピカソは友で、ディエゴ・リベラと同棲して一子をもうける。娘はマリカ・リベラといい、後にダンサー、女優になったという。
1910年代、ベルエポックのモンパルナスにこんな女性がいたのか。どんな人なんだろうか。ゴーリキーにニックネームをつけてもらう、モンパルナスの画家仲間の多分アイドルだっただろうから、すごい美人だったのか。検索をかけると彼女のポートレイトらしい画像が2枚見つかった。
この画像は多分、中年になってからのもの。もっと若い頃のものはというと、おそらくこれがそうではないかと思う。
Marie Marevna - Biography | Modern British & French Art Dealer(閲覧:20220428)
なかなかエキゾチックな顔立ち。このサイトによればロシアのチュヴァシ共和国の州都チェボクサルで生まれ、ジョージアのトビリシで子ども時代を過ごしたという。東欧系のエキゾチックなタイプということか。以下簡単な年表をにしてみる。
1892年 チェボクサルで生まれる。
母は女優マリアヴォロビョワ、父はポーランドの貴族ブロニスワフステベルスキ
1910年(18歳) モスクワストロガノフアートアカデミーに入学
1911年(19歳) イタリアに遊学。ゴーリキーにマレヴナと名付けられる
1912年(20歳) パリへ遊学、ラ・リューシュに下宿し画家として活動を始める。
画風は点描やキュビスムなど
1915年(25歳) ディエゴ・リベラと内縁関係になる。リベラは1909年にロシアの女流画家アンジェリー
ナ・ベロフと結婚していた。
1919年(29歳) リベラの子マリカ・リベラを出産
1942年(50歳) サン=ポール・ド・ヴァンスに移る
1949年(57歳) 娘マリカを追ってイギリスに渡る。
以後は、娘の結婚、離婚に伴い娘と共にアテルハンプトンハウス、イーリングなどに居住
した。また写真家アーニャ・テイシェイラの援助も受けている
1984年(92歳) 死去
マリー・ボロビエフ (閲覧:20220428)
Marie Vorobieff - Wikipedia (閲覧:20220428)
Marie Marevna - Biography | Modern British & French Art Dealer(閲覧:20220428)
Marie Vorobieff (February 14, 1892 — May 4, 1984), Russian artist | World Biographical Encyclopedia (閲覧:20220428)
イギリスに渡ってからのマレヴナは画業としてはあまり成功していないのかもしれない。絵もけっこう安く売られていたようだ。彼女の作品はオスカー・ゲーズのスイス プチ・パレ美術館にあるようで、ロンドンで行われた回顧展もそのコレクションを元にしている。
彼女の娘マリカ・リベラもなかなか波乱万丈な人生を送ったようだ。彼女が最初にダンスを習ったのは、あのイサドラ・ダンカンだという。そういう話を聞くとなかなかに20世紀的だ。多分、当初はダンサーとして活動し、中年以降に女優としてのキャリアをスタートさせたのかもしれない。彼女が出演している映画、何本か観ているが当然、どこで出ているのかも判らない。かなり脇の脇みたいな役柄だったのではないか。
Marika Rivera - Wikipedia (閲覧:20220428)
話をマレヴナに戻す。彼女のモンパルナスの時代は、やはりディエゴ・リベラとの内縁関係が諸々影響していたのだと思う。リベラは劈画家として、画家としても天才レベルで、ひそかにピカソにも匹敵するくらいの画才のある人だと思っている。一方、無類の女好きで、見境なく手を出すような人でもあったという。まあ天才的な画才、エネルギッシュで政治的問題意識をもった社会主義者でもあり、あの異様な容貌でも女性には魅力的に映るのだろう。
1910年代のパリでも、彼はなかなか異彩を放つ存在だったのだろうが、こと女性関係では相当なクズっぷりだ。結婚したばかりのアンジェリーナ・ベロフとの間にも一子をもうけているが、すぐに亡くなっている。この時代、ほとんどの間ロクに収入もなく、ベロフに食わせてもらっていたという話もある。それでいて女性関係甚だしい。
マレヴナとの間でも相当な修羅場があったようで、マレヴナがナイフでリベラに切りつけ心中を図ろうとしたなんてエピソードもあるらしい。リベラは自伝の中でマレヴナが、生まれたばかりの子どもを周囲に、リベラの悪行の証のように見せつけたみたいなことを書いている。また死ぬ間際に、娘のマリカにメキシコに来るように頼んで断られたという話もあるとか。多分、母子ともにいろいろあったが、イギリスに移ってからは完全にリベラのことは吹っ切れていたのだろう。
リベラはマレヴナと別れ、ベロフとも離婚してメキシコに戻る。その後、フリーダ・カーロと知り合い、結婚と愛憎を繰り返すことになるわけだ。同じ漁色家でも、ピカソとリベラでは、なんとなくピカソの方がスマートな印象もないでもない。まあクズであることには変わりないかもしれない。
マレヴナの作品について。
今回のスイス プチ・パレ展に出品されている「静物のある大きな自画像」はポップなイラスト的だ。冒頭に書いたように、オシャレ・キュビスム作品だ。東郷青児も一時期キュビスム作品を多く描いているが、こういう雰囲気の女性像がある。まあこういう淡いライトな色遣いではないけれど。
この展覧会は7月に新宿のSOMPO美術館で開催予定だという。出来ればこの特別展とは別に常設展示コーナーに東郷青児のキュビスム作品を何点か展示してくれると、なんとなく気づきもあるんじゃないかと思ったりもする。ネームバリューからしても、この先マレヴナの回顧展みたいなものが、日本で開かれることはまずないとは思うけど、もしやるとしたらSOMPO美術館が一番あってそうな気もしないでもない。
しかし、マレヴナという女性。エコール・ド・パリ、モンパルナスの若い画家集団の中に咲いた一輪の花みたいな存在というところか。まあ当時でいえば、マリー・ローランサンもいたし、キュビスムということでいえば、今回の展覧会にも出品されているマリア・ブランシャールもいる。ブランシャールは1881年生まれだからマレヴナより11歳年上になる。彼女は身体に障害を抱えていたので、なんとなく同じ時代のパリにいても、マレヴナ、ブランシャールだと光と影みたいな感じもしないでもない。
この時代を小説、あるいは映画にするみたいなことないだろうか。普通だったら、ピカソ、モディリアニ、シャガール、キップリングあたりの群像劇、まあそこに藤田あたりも入ってくるんだろうけど、基本は男性画家中心になる。でも、マレヴナやブランシャール、ローランサンにスポットをあてるなんていうのもけっこうイケるんじゃないかと思ったりもした。
以前、1950年代ニューヨークを舞台にして、ユタ・ヒップ、秋吉敏子という異国から来た二人の女流ピアニストを主人公にしたジャズ映画出来ないかと夢想したことがある。ちょっとそういう気分で、マレヴナ、ブランシャールのことを思っている。
このへんのマレヴナは完全に点描。
これは点描とキュビスムが優雅に融合している。
リベラ、ピカソ、シャガールは判るんだが、後の2人は誰だろう。
多分、真ん中のパンイチはモディリアニかな。当時、前髪パッツンはキスリングと藤田あたりなんだけど、はて?
マレヴナはとにかく今回の静岡市美術館「スイス プチ・パレ展」の最大の発見かも。理知的ななかにも女性特有の柔らかい感覚、それを卓越した技術でキュビスムや点描技法で描く。こういう人がいたことを知るだけども、絵画の世界は奥が深い。