陽だまりの彼女

 山下達郎の「光と君へのレクイエム」を聴いていて、この曲が主題歌だったこの映画が無性に観たくなった。2013年の映画である。

 この映画は観ていないけれど一応知っている。原作小説も知っている。確か買った記憶もないでもない。でも読まず仕舞だったか。お話はなんとなく知っている。猫の話だね。

 さらに記憶をたどれば高校一年だった子どもに本はあげた。子どもは嵐のファンだという友だちと一緒に映画を観に行った。友だちは主演の男優のファンだったから大満足だったけれど、子どもには今一つだったとかなんとか、そんな感想を聞かせてくれた。リアリティに欠けるし、ファンタジーとしては今一つみたいな感じだったか。

 今回、ひょっとしてと思いAmazonプライムで検索すると簡単に出てきた。便利な時代だ。映画的には可もなく不可もなく、多少のダレ場もあるもまあ普通に観ることができた。上野樹里はキレイだし、松本潤もチャーミングだった。こういう映画は主人公の美男美女がきちんとキレイ、生き生きと活写されていればいい。そういう映画だ。

 映画はとことんお伽話である。甘いしすきも、突っ込みどころもある。それがどうした。誰も死なない(人間は)。男と女が寝ない(そういうシーンはない)。それだけで青春映画として成立している。上野樹里松本潤の表情がいい。それだけで多分成立する映画だ。もう別にネタバレだのとかそういうものも必要がない。そういう映画じゃない。

 ラストは新たなハッピーエンドを予感させて終わる。そしてまた哀しい別れが訪れる予感。でも、また新たな出会いが。多分そのストックはあと7回くらい予定されている。

 映画のラストでこの映画のテーマ曲でもあるビーチ・ボーイズの「Wouldn’t It Be Nice」が流れる。画面には歌詞が字幕入りで映し出される。そこで終わりかと思いきやエピローグが挿入され上野樹里らしき人物が猫を抱いて登場する。スクリーンプロセスからすれば顔は映さないで終わるはずなのだが、きちんと彼女のアップが映される。これだから今時の映画は・・・・・・。でも、上野樹里のアップはとびきり美しいからとりあえず許す。と、カメラはカットバックして松本潤のアップを映す。彼のちょっとはにかんだような表情。そこで終わる。そう、この映画は松本潤の映画だったのだ。

 そしてエンドロールとともに山下達郎の「光と君へのレクイエム」が流れる。これはもう予定調和みたいなものだ。

 それなりに良い映画だったとは思う。きちんと観た。でも2時間8分の映画よりも、ラストの2曲、ビーチ・ボーイズの「Wouldn’t It Be Nice」と達郎の「光と君へのレクイエム」の方が実は感動的だったりもする。これは別に映画をdisっているのではない。えてして音楽と映像やテキストとの相関ではよくあることだ。何万字で語ろうが、美しい映像を流しても、わずか2分程度の楽曲がすべてを語り尽くしてしまう。それが音楽の魔力でもあるのだ。

 山下達郎はこの映画のための書下ろしとして「光と君へのレクイエム」を作った。愛する者を失った喪失感、惜別の情、そして再生。この映画と原作のもつテーマ性を十分に理解し、それを体現し、ひょっとしたら凡庸な原作を超える普遍性を意識したのかもしれない。そこに2011年を契機とするものがあるかどうか。2013年という年の日本は、大いなる喪失とそこからの再生というテーマをそれぞれが抱えていたような気がする。


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