都内で会議があり、5時過ぎには終了。久々なので絵を観ることにする。
金曜日なので、多くの美術館が8時とか9時までやっている。神保町から行ける場所となると、上野か竹橋、大手町近辺ということになる。まあこれまでにも渋谷や六本木にも足を運んだことがある。今回の選択肢としては、まだ観ていないものであh、上野であれば上野の森美術館のゴッホ展、西洋美術館のハプスブルク展あたり。もう一度行きたいものといえば東美のコートールド、三菱一号館美術館の吉野石膏コレクションあたりか。竹橋の近代美術館もしばらく行っていないのと、企画展の「窓展」にはマティスのいい作品が展示中と聞く。
いっとき思案した結果、東美のコートールドが15日の日曜で開催終了となるのでこちらにした。やっぱりマネの「フォリー=ベルジェールのバー」はもう一度観ておきたいと思った。
コートールド展については前回いろいろと書いた。
補遺の補遺みたいな形だが思いついたことをいくつか。
まず、金曜日ということもあってか、東美はかなり混んでいた。まあ人気のある印象派中心の企画展であることもあるし、なんといっても終了まであと2日ということも大きいのではないか。なので館内は入場制限こそしていないが、かなりの人でごった返しており、ゆっくりと絵を観るという雰囲気ではない。まあいつもの土日の昼間に比べればましだが、それに近い部分もある。目玉でもある「フォリー=ベルジェールのバー」は閉館間際でも人が何重にも重なっていた。
並んでゆっくり動きながらの鑑賞は自分の趣味ではないので、やや遠目からの鑑賞に終始し、閉館の少し前にもう一度下から順繰りにゆっくり観るといういつものパターンで後半は少しだけ楽しめた。
美しい絵である。ピサロにしては珍しく灰色がかったブルーが全体のトーンとなっている。どことなく静的で詩情に溢れる画面でありジョルジュ・スーラを彷彿とさせるところがある。ピサロは若いスーラやシニャックの影響を受けて点描技法を試みることになるのだが、それはこの作品を描いた1883年から2年をしてということらしい。
とはいえこの絵の色調はやはりスーラと思う部分がある。かってな想像だけどこの頃にはピサロはスーラの絵に接する機会があり、その影響を強く受けていたのではないかと、そんなことを思う。
セザンヌはエクス=アン=プロヴァンスにあるこのサント=ヴィクトワール山の風景を模した作品を多数描いている。様々な角度、構図によるもので画業のキャリアによって、形象は次第に写実から抽象度を増していく。近代絵画の父と称されるセザンヌらしく、それはじょじょに形態性や素材の表現となり、キュビズムを導き出すものとなっていく。
サント=ヴィクトワール山の表現にもそういう変化がみてとれたりする。確か西洋美術館で開かれた「北斎とジャポニスム」展の大トリはセザンヌのサント=ヴィクトワール山を描いた作品三点が並列展示されていた。この時は北斎の富士との比較の中での展示だったが、1890年代から1900年初頭にわたる3点の作品には、セザンヌの表現の変化が見て取れた。年代順にフィリップスコレクション、ブリジストン美術館、デトロイト美術館となっていたが、フィリップスコレクションのそれが今回の松のある絵とほぼ同時期で同じ松に囲まれた構図となっていた。