東京富士美術館へ


 あまりの暑さに家にいるのに辟易。冷房の効いたところで涼みたいということで、東京富士美術館へ行く。ちょうど企画展が終了し、次の企画展が28日からということで常設展だけのためか、とっても空いている。ほとんど貸切状態のような感じ。こういう時の美術館は本当に幸福な場所だ。
 ここの西洋絵画のコレクションは、個人的には西洋美術館、ポーラ美術館とともにたいへん充実していると思っている。ルネッサンス期から古典主義、ロココ印象派、現代絵画まで、オールドマスター、巨匠の名品などが目白押しだ。もっと客が増えてもよさそうなのだけど、企画展がないと本当に閑古鳥状態ということがよくある。もっともこちらが行くのは大体2時過ぎと少し遅めなこともあるのかもしれない。まあさらにいえばだけど、少々立地に難がある。創価大学の広いキャンパスに隣接しているのだが、ここにはおそらく八王子からバスで来る以外にない。そういうのもあるのだろう。
 運営しているのが創価学会を母体としているので、企画展には多分割り当てられた無料券とかで学会員が多数来るのだろう。時にどうしてこういう美術に関心無さげな人たちがと思うこともあるけど、まあ気にしない。とにかく素晴らしいコレクションなのだから。この美術館のために惜しげなく名品を購入した池田会長には敬意を評したいとは思う。
 今回もまた印象派の部屋で長い時間を過ごした。まず自然主義、写実派的なこの3点。

 右からミレー、コロー、そしてブーグロー。それぞれ農民や漁師の娘を描いた作品なのだが、ミレー、コローに比べてブーグローのそれには日々の労働による疲れた雰囲気がまったく感じられない。写実性、リアリズムの部分が皆無だ。だいいち漁師の娘にしてはあまりにも美しい。筆致を残さない得意なスベスベ画面からは、ある種の異国情緒のようなものさえ感じさせる。おそらくこれは漁師の娘という着想だけがあり、それを元に美人のモデルにそういう労働着を着せてアトリエで描いたものなんだろうと思う。
 そういう意味ではミレーやコローの作品には、確かに農民の生活の厳しさ、苦労、労働の過酷さ、そこから生じる倦怠感のようなものが浮き彫りにされている。ブーグローの作品が絵葉書のようなものだとすれば、ミレー、コローのそれはまったく異質なものということになる。とはいえ絵の技量という点だけについていえば、やはりブーグローの画力は抜きん出ているとは思う。
 そしてこの部屋で一番好きな壁面がこの作品群。

 右からクールベブーダン、モネ、カイユボット。残念ながらカイユボットの格落ち感は技術、構成面からも明らかだと思う。画面中央に木をおき、ばっさりと風景を切り取るような大胆な構図には浮世絵的面白さを狙った意匠が感じられるのだが、いかんせん画力の点では大きく下回っている。まあ基本金持ちのコレクターで、絵心があったので印象派の面々に連なったという人ではある。写真や浮世絵などから構図を借用して、ちょっと一目をひくような大胆な構図などを試みていて、けっこう好きな画家ではあるが、他の三人の巨匠と並ぶと少し気の毒になるかもしれない。
 この部屋にはモネ、マネ、ルノワールの作品があり、以前学芸員の絵の解説の中でも、その三人の作品がこの美術館の目玉というようなことを話していた。しかし、自分的にはこの部屋の中でもし一点だけ自分が所有できるとしたら、多分この2点のうちの一つということになるかもしれない。

 ルノワールセザンヌルノワールのこの絵の色使い、読書する女性の後ろ姿を捉えた構図など、ルノワールの作品の中でもかなり気に入っている。セザンヌのこの絵も何か心に残る。
 ついでにいえば2枚持って行っていいよということになれば、多分ピサロのエラニーの2点かもしれない。そんなつまらないことを考えながら絵を観ているのも楽しい。