東美の「ムンク展」に続いてトーハクの「マルセル・デュシャンと日本美術」を観る。上野だとこういうはしご、連荘鑑賞ができるのが楽しい。まあ根が貧乏人なので、観れる時に詰め込んで観るという風になる。余裕とかとは無縁である。
マルセル・デュシャンと日本美術 | 東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展
正直、デュシャンはまったくわからないのだが、若き日のデュシャン、キュビズムの若き天才と嘱望されていた頃の作品は、なんというか判りやすい。ピカソというよりはキリコ、ダリ的というか。
そして絵画から離れ、新たな芸術表現の試みを始める。そう誰もがデュシャンといえば思い浮かべるレディメイドな作品群。デュシャン=便器とでもいうべき「泉」。
さらに自分のような凡人には意味不明な「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも」。
なんていうのだろう、「これは芸術だ」とか「これは面白い」と言ったら、そうなってしまうみたいな、そういう世界なのかもしれない。この手の作品を鑑賞できるほど修行をするのにあとどれだけかかることだろうか。