さらに上野トーハク周遊

 トーハク平成館でデュシャンを観て、その向かい側でやっていた特別展「京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」もついでに観ることにする。

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 仏像は正直、まだ全然良さがわからない。もっと鑑賞できるだけの知識を仕入れないといけないと思いつつも、この年では他に覚えることが多くてとても手が回らないのが実際のところ。西洋絵画だってまだまだ勉強途中である。17世紀以前のところ、ある意味では本筋のところまでいっていない。

 さらにいえば日本絵画も近代をうろうろしている段階で、江戸からそれ以前はまったくダメである。50代半ばから少しずつかじり始めたところだから、これはしょうがないところだ。まあ芸術、美学の範疇は、なんとなくそこに美しさ、美、面白みを感じていければいいのではないかと、そんな風に居直っていくしかない。

 思えば、もう少しこういう趣味を持つべきだったんだろうと悔いることもある。十代、二十代からもっと美術館巡りとかしていれば、もっと世界が広がったんだろうなと思う。自分にはある意味教養的世界が皆無だったと。

 まあいいか。仏像も観ている分にはけっこう楽しい。作者、作風、時代性、様々な知識を総動員して鑑賞できれば、世界は広がるのだろうが、今の自分はなんとなく感じる荘厳さとか、表情の面白みとかそういうところだけではある。

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 ふと思ったのは、仏像の顔がみな東アジア風、中国、朝鮮、日本的な感じなのである。だけど考えてみるとブッダにしろその弟子たちにしろ、みなインド人である。実はもっと彫りの深く、さらにいえば色黒だったのではないか。

 まあ仏像が盛んに作られたのは多分勝手な推測的にいえば、ほとんどが中国に渡来して以降なのかもしれない。なので顔立ちが中国=モンゴル風なのかもしれない。それではもっとバタ臭い仏像というのは世の中に存在するのだろうか。

 最後にトーハク本館にもちょっとだけ寄った。すると本とかではお目にかかったことがある下村観山の「白狐」を観ることができた。前から観てみたいと思っていた絵だったので、ちょっとだけ感動した。

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