以前、岩波ホールで上映していたのが、観れず仕舞いだった映画だが、TSUTAYAでDVDが出ていたので観ることができた。
現代は「若きカール・マルクス」だった。才能ある哲学者にして社会変革に燃えるジャーナリストでもあった若きマルクスが同じく社会変革を考えていたブルジョア工場主の子息フリードリヒ・エンゲルスと出会い、行動を共にし、『共産党宣言』を世に出すところまでを描いた映画である。
いわばマルクス、エンゲルスの青春を描いた作品ということになる。主義や運動を全面に出すことはなく、マルクスとエンゲルス、そして二人の家族との関わりといった部分にスポットをあてている。とはいえある部分、基礎知識がないと入っていけない部分もあるのかなとは思った。
マルクス、エンゲルスの周辺人物としてはバクーニン、プルードン、ヴァイトリング等も登場する。特にプルードンは当時の社会主義運動の指導的存在、スターとして描かれている。
ちょっと面白かったのは、プルードンとマルクス、エンゲルスがクールベのアトリエで会うシーンが描かれていた。プルードンとクールベは親交があり、クールベはプルードンをモデルにした絵を描いていて、それがウィキペディアでも見ることができる。
映画については生活苦、当局による弾圧からパリ、イギリス、ブリュッセルと逃亡生活を送るマルクス、彼を支えるエンゲルスがついに『共産党宣言』を完成させ、後の共産主義者同盟となる正義者同盟でこれを綱領として説明するところで終わる。若き知性が最初の大仕事を成し遂げ、これから世の中が変わることを暗示させるような、そういうエンディングだ。
しかし、その後のマルクス、エンゲルスの、特にマルクスの困窮を極める学究生活、運動の破綻を、さらにいえば後の社会主義の興隆と20世紀末の破綻的顛末を知る我々には、この映画のラストは苦いものとして受け止められる。しかもエンディングで流れるのはディランの「ジャスト・ライク・ア・ローリングストーン」だ。これにはやられたという思いがする。この映画のラストにはもうこの曲しかないだろうという終わり方だ。ある種冗長と甘さを漂わせるこの映画は、ラストのディランによって締まったような気がする。
「どんな気分だい」とディランが問う。「いい気分じゃないね」と答えざるを得ない。社会主義は破綻し、資本主義はグローバルに好き勝手し放題である。それが21世紀の諸相だ。もう一度、19世紀のマルクス、エンゲルスの社会変革への情熱、そこから始めるしかないのかもしれない、そんなことを後味悪く考えなければならない。そういう映画なんだろうなと思う。
一緒に観ていた女子大生の娘は観終わった後、開口一番「でも共産主義でダメだったんでしょ」と言った。