義母の見舞に行く

 妻の母親が入院して手術することになるという。3度の火傷を負ったというのだ。二週間くらい前だろうか、車で事故を起こしたという話を聞いていたので、てっきりそっちの影響かというとどうも違うらしい。なんでも薬罐だか鍋をだかをひっくり返したというのだ。

 さらにいろいろと妻を介して断片的に聞いて行くと、火傷を負ったのは11月の始めのことで、交通事故はその後だというのだ。なんとも合点がいきにくいのだが、最初火傷については町医者にかかり、そこで薬をもらっていたのだが、ちっとも治らない。そのうちに町医者はどうも悪化しているようなので、自分のところでは対応できない。紹介状を書くので、総合病院に行って欲しいということになる。

 総合病院に行ってみると、3度の火傷で皮膚だけでなく筋肉組織までかなり損傷しているので、皮膚と筋肉の移植手術が必要だということなり緊急入院することになるというのだ。

 義母は独身の長男と二人暮らしで確か83くらいになるという。長男、義理の兄は自分よりいくつか年下なのだが、そろそろ老老介護になりつつある。いろいろと大変なことになりそうだ、

 今回は、朝8時半から麻酔医による手術の説明があるということだった。長野に住んでいる次男夫婦が説明を受けるのだが、妻も一応説明を聞きたいということで朝6時起きで出発した。

 それでも8時半をだいぶ回った時間に着いたので、説明は後半部分だけ聞いた。その後、次男夫婦といくつか事務的な話をした。次男夫婦はその後所用があるということで、それからはずっと義母の見舞をしていた。

 入院して二日目くらいだったので、着替えやらなんやらを買ってきたりした。妻はまあ車椅子なのでだいたいのところ母親の話し相手になっていた。自分は、汚れ物を洗濯したりとかまあ一応細々としたことに動いた。妻が入院したのはもう10年以上前のことだが、その時の経験があるからか、病院での過ごし方、諸々の作業はある意味手慣れたものだ。

 さらにいえば、ずっと昔、かれこれ30年近く前は、自分の祖母の面倒を一時期みていたこともある。何度か転倒して両足の大腿骨を順繰りに骨折した。寒くなると寝たきりにもなった。それこそ下の世話までけっこうやらされたというか、やったものだ。

 さすがに二度目の骨折入院の時は福祉事務所に泣きついて、なんとか半年後には特養に入れる段取りをしたところ、急に空きができたということで、病院から特養に直行した。家に帰れることを切望していた祖母には随分と恨まれたが、正直いって30前後の独り者としては、介護生活は難しかったと思う。もちろんその時は兄も同居していたが、極楽とんぼの兄はほとんど機能していなかった。

 その兄も5年と少し前に生活が破綻していたところを一応救ってあげた。定年と同時に体を壊し、入院費用もままならない上に、住んでいるアパートはゴミ屋敷と化し、さらにはお約束の借金まで抱えていた。

 兄の生活を立て直すために、横浜から埼玉に引っ越しさせた。古い中古団地の一室を終の住処にするために購入して与えた。その後も自転車事故で片目を失明したりと世話をかけさせてくれる。2年前には低血糖で倒れているの見つけ救急車を呼んだこともあった。人工透析を受けていたのだが、透析日に病院にこないので見に行って欲しいと職場に電話がかかってきて行ってみたところ、台所で倒れているのを見つけた。

 その後、介護保険の申請をさせて要支援だったが、サービスが受けられるようになった。週に1回ヘルパーに来てもらっている。

 話は脱線だが、望んでそうなった訳ではないが、看護だの、介護だのに妙に詳しくなってしまったのには、そういう経験がある。

 義母についていえば、正直にいえば長男との同居生活も次第に難しくなっていくのではないかと考えている。今回は火傷だが、いずれは転倒による骨折といったことも起きるかもしれない。長男は当然日中仕事に出ているから、面倒をみる人がいない。そういうことを考えると、早めに施設なりという選択肢を考える必要にあるのかもしれない。まあ田舎のことで、様々な大人の事情もあるだろう。遠くにいる我々はある意味見守る以外にはないのかもしれない。

 妻のことを考えると、出来るだけ顔を見せに行かせたいとは思うのだが。