『まっ直ぐに本を売る』を読む

 

まっ直ぐに本を売る―ラディカルな出版「直取引」の方法

まっ直ぐに本を売る―ラディカルな出版「直取引」の方法

 

  取次を通さない書店との直取引をで成功している出版社トランスビューを紹介した本である。著者の石橋毅史は出版社勤務から出版業界紙新文化」で記者に転身した出版ジャーナリスト。これまでにも出版不況の状況を取り上げた『本屋は死なない』、長く神保町の顔でもあった岩波ブックセンターの社長柴田信に取材した『口笛を吹きながら本を売る』などの著作がある。

 トランスビューについては以前からその存在は知っていた。モデルから哲学者となった今は亡き池田晶子の『14歳からの哲学』がベストセラーとなったことも耳にしていた。万を越す物量を直取引でこなすのはさぞや大変だろうなと素朴に思った記憶がある。

 以下、気になった部分を本から引用。また断片的な感想を少しだけ。

  トランスビュー法蔵館から独立した編集者と営業担当の二人によって2001年に創業した人文・社会学系の出版社である。編集代表の中嶋廣が若い営業担当工藤秀之を誘って作った二人だけの出版社だ。のちに中嶋は体調を崩し一線を退き、その後は工藤がほぼ一人で事業を続けている。

 工藤は中嶋に誘われた時に最初から直取引をイメージしていたという。一般的な出版社のように取次に合せるのではなく、「商売の方法は自分で決める」ことに拘った。

 トランスビューは、はじめから要望を明確にしていた。

 それは「あくまでもメインは書店との直取引であり、取次ルートは補完的に使う」「書店には七掛け(低下の七○パーセント)で卸すので、取次も同じ七掛けで仕入れてほしい」という二点である。取次としては、特例を除いて新規出版社に提示する条件はY社と同じ六七パーセント程度と決めているから、トランスビューの要望は受け入れられない。

 彼らは「では、やめます」と席を立つことで一歩目を踏み出したのだ。

 流通の方法は自分で決める。

 取次に合わせて妥協はしない。(P53)

 なぜ工藤は直取引にこだわったのかという問いに対して、

「書店にまっとうな利益を得てほしいからです」

 工藤秀行は、きわめて簡潔に答えた。

「取次ルートにおける書店の粗利益率は、たしかに低いと思います。何パーセントがいいかは書店によって違いもあるかもしれませんが、ウチは七掛けであれば卸せる。ではそうしよう、ということです」(P55) 

 本が大量に売れた時代であればまだしも、今のように本が売れない、本が売れない部分を補完すべき雑誌もインターネットの不況により壊滅状態という状況にあって、書店の利益率の低さは経営を圧迫する。

 少し前のビジネスモデル(多分20〜30年前になるかもしれない)に則していえば、一般的に出版社は取次に対して定価の7掛けで卸し、取次は書店にだいたい8掛けで卸す。まあ自分のような古い人間からすると取次の口銭は8分口銭といっていたのだが、判りやすくすればだいたい取次は1割。なので書店の利益は2割となる。その2割で人件費を含む経費を賄っていくのは多分難しい。

 出版は薄利多売が長く当たり前だったが、その多売がなくなってしまえば書店の経営は立ち行かなくなる。今、どんどん本屋が閉店している状況というのはだいたいこういう背景がある。本や雑誌が売れないうえに、雑誌はコンビニに、本はネット通販に客をとられる。ほとんどジリ貧の状況だ。

 今、まだビジネスとして成立している書店のほとんどは、本以外の物販やDVDレンタルや販売や喫茶スペースなど利幅の大きい併売品に依拠しているといえるだろう。ただしCDやDVDはネット配信が主流になってきているので、こちらもまた衰退産業となっているのが実情。

 そうした状況の中で、トランスビューの工藤が掲げた「書店にまっとうな利益」を得てもらうための7掛けという設定は実際そのとおりなのだと思う。

 そのうえでトランスビューは創業から6年後には掛け率を7掛けから6.8掛けに変更する。おそらくベストセラーとなった『14歳からの哲学』の影響もあるのかもしれない。しかし正味を自発的に下げる出版社はたぶんこれまでの出版業界からすると前代未聞なのではないかと思う。

 トランスビューは書店回り営業を行わない。創業当初は社名を認知してもらうために回っていたが、ある時期から自発的に回らなくなったという。

 なにを仕入れるか、なにを売るかを決めるのは、書店の仕事である。

出版社の役割は、これが円滑にできるよう対応することにある。トランスビューの本を仕入れ、売りたいと思ってくれた書店に、望むままの冊数を、できるだけ早く送る。売れたらまっとうな利益を得られる条件を設定しておく。

この態勢を常に準備しておくことが仕事の要諦であり、書店が自発的に「売りたい」と思っていない本を、ときには会社同士、あるいは書店員と営業担当の人間同士の情も絡ませて置いてもらうように仕向けることは、お互いのために良くない、と考えたのである。(P62)

 

 トランスビューの直取引の方法は「トランスビュー方式」という三原則として業界に認知されるようになった 

  1. すべての書店に、三割(正確には多くが三二パーセント)の利益をとってもらう。
  2. すべての書店に、要望どおりの冊数を送る。
  3. すべての書店に、受注した当日のうちに出荷する。

  これに対して著者石橋毅史はこの方法が成立するのには、書店にとって「売れる本」をつくりつづける必要があるという感想を述べる。

 そのとおりだと思う。書店に十分な利益を得てもらうとはいえ、書店営業をしない、つまり書店に本を置いてもらう努力をせず、あくまで書店の自主的仕入れを待つという販売スタイルで、直仕入れという書店にとって大きな手間暇のかかる取引を強いる(語弊があるか)のである。そうしたビジネスモデルが成立するには一にも二にも商品力のある書籍を作り続け、提供し続ける必要がある。ましてや長い歴史のある老舗出版社のような出版社のブランド力に依拠することもできないのである。

 自分自身の拙い経験、版元営業の経験からいえば、売れない本の営業ほどつらく切ないものはない。返品がフリーであるという前提のもと、試しに、駄目元で置いて欲しい、売れなければ自由に返してくれという販促活動である。その時に思ったこと、さらにいえば版元になる以前働いた書店での経験を含めていえば、出版販売の大前提は売れる本を作ってまくことに尽きるのである。売れる本であれば書店はいくらでも取る。トランスビューではないが、書店訪問などしないでも御用聞きに徹していても、書店は自主的に仕入れてくれるのである。

 ただしこの本が売れるというのは、ただひたすらベストセラー本を作り続けるということではないとは思う。本にはそれぞれ商品特性があり、極めてクローズドな読者を対象としていて、その限られた購買層にとってはとても有益な情報が満載された本というものが明らかに存在するのだ。

 端的にいえば専門書である。定価5000円で2000部作った本はその刷り部数からして売れる本とはいえない。しかしその2000部が確実にその本を必要とする読者に購入され、さらに500部重版して売り切れたとしたら、その本は多分売れた本といえるのである。

 それはまた同様に初刷り700部、定価10000円の本であってもそれが1000部はけたとすればよく売れた本なのである。

 古くから地域で営業している書店で目利きのある店員がいるところであれば、そういう本の情報に接した場合、うちではこの本は1冊か2冊は確実に売れる。○○さんと○○さんに声をかければ、どちらかは買うみたいなことが想定できるかもしれない。それが地域の書店なのではないかとも思ったりもする。

 とはいえそうした幸福な商売ばかりがあるのではない。出版業はたいていの場合、博打と出版社の資金繰りが全てである。この本はひょっとしたら売れるかもしれない、化けるかもしれない、そんな無謀な思惑や、とりあえず締め日までに3点取次にぶちこめれば、翌日3割は現金化できて息がつげるみたいな自転車操業的な理由で、多分売れないとわかっている本を作り続ける、そんなことをここ数十年業界は続けてきたのではないか。

 さらにこの業界では取引は個々、老舗出版社の優遇、取次との取引条件は憲法と同様不磨大典みたいな形で既得権益かしている部分がある。

 考えてもみよう、よく老舗出版社や専門書出版社、医書出版などにある買い切り高正味という取引条件である。買い切りで高正味というのは、書店にとってどういうことになるか。1冊1000円の本を10冊仕入れて全部売れれば書店の利益はだいたい2000円くらいとなる(取次正味8掛けとして)。しかし2冊売れ残ってそれが返品できないとなれば、利益は(2000円-1600円)400円となる。3冊売れ残れば利益は完全に吹き飛ぶ。在庫した売れ残り品がいずれ売れればいいのだが、往往にして販売残はそのまま不良在庫となることが多い。

 それでも定価が高ければまだ利幅が多くなる。例えば1000円が10000円であれば、2冊残っても4000円の利益は出る、1000円でも10000円でも販売にかけるコストは一緒だとすれば、定価は高ければ高いほど良いということになる。書店、取次から出版社への要望として必ずあがるのが定価を上げて欲しいということなのだが、それは多分こういうことに起因している。

 同様に今や出版社も様々な物流経費の上昇が利益を食いつぶしているのが現状だ。トラックなどの輸送費、個々の配送にかかる宅配便等の上昇。定価をあげない限りは成立しないという状況がそこかしこに現れている。

 なのに出版社はなかなか定価を上げることに踏み切れない。なぜかといえば、定価を上げればただでさえ読者離れが進む状況で、もっと本が売れなくなるのではないかという危機感があるからだ。でもそれは多分薄利多売によるベストセラー幻想の残滓ではないかと密かに思ったりもしている。

 本は売れない。ここ十数年、出版不況といわれ続け、今では出版敗戦とまで叫ばれている。確かに出版物は以前のように情報商品として多売される商品ではなくなってきていることは確かだ。そうはいっても読者家、読書人は少数ながら確実に存在している。出版物はもう不特定多数に享受される商品ではないかもしれないが、ある種の知的嗜好品としては多分ずっと存在し続けるのだ。

 そうであれば、それであればこそ、出版社は特定の少数な購買層に向けて商品を提供し、それを書店がリレーしていくというビジネスは成立すると信じたいと思う。そのためにはまず少数向けという前提のもと、本の価格を上げる、そのうえでメーカー(版元)、流通としての取次、書店が確実に利益を確保できるような仕組みを作っていくということじゃないかと思う。頑なに取次には7掛け、書店直は8掛け程度やればいいという出版社は、自ら読者に直接販売していけばいいのではないかと思う。多分、高騰する宅配運賃を吸収するためには、今より定価を上げなくてはやっていけなくなると思う。

 話がだいぶ逸れた。『まっ直ぐに本を売る』について最後に思うこと。ここ1~2年の輸送費の高騰、端的にはドライバーの労働集中問題から一気に噴出した宅配便運賃の値上げは、直販出版社に直撃しているのではないかと思っている。だからこそトランスビューは同じような直出版の取引代行という取次的な形での商売も始めたのだろう。一社で物流経費を賄うのは難しい、だとすれば何社か集まって経費を分散させるしかない。

 最近思っていることではあるが、出版社の自社配送の維持の難しさと、物流倉庫を経由したうえでの共同配送の模索みたいな部分と通じる部分ではないかと思っている。

 まもなくこの業界でのキャリアを終えようとする自分にとっては、直取引でビジネスを成立させているトランスビューにはぜひ生き残っていってもらいたいと思っている。自分のキャリアの終焉と同時にこの業界のビジネスもまた終焉を迎えるのでないかという、ある種の諦観と絶望。その中で生き残り策を講じている小出版社の取り組みはわずかであれ、希望でもあると思う。