モネ それからの100年

 子どもの運転はようやくペーパーの域を脱したかどうかといったところだが、それでもだいぶ慣れてきてはいる。

 今日は子どもに運転させて横浜まで足を伸ばした。子どもにはとりあえず横浜へ行くとだけ言っておいたのだが、目的はこれ。

モネ それからの100年 | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館

 久々の横浜美術館である。子どもは着いてから、絵を観るんだとあまり納得していない様子。普通に観光だと思っていたようだ。

 この企画展は、モネの影響、モネにインスパイアされた後の画家たち、特に現代アートの画家との関連をたどるというもので、名古屋市美術館横浜美術館で持ち回りしたもので春から名古屋、横浜は夏に開催されている。国内外からモネの絵を25点、モネとの関連のある現代アート作品が66点が展示される。

 モネの晩年の作品は、彼の特徴ともいうべき筆触分割による光の表現による風景画とは異なり、およそ具象から離れ、様々な色の混ざった塊のような抽象的作品が多くなっている。

 これは主に彼の目の病気、白内障によるもというのが一般的である。彼の視力はいっとき失明の危機もあったというが、手術の成功によりある程度視力を取り戻したともいわれている。とはいえ最晩年のモネはやはり相当に視力が弱っていたようで、彼の見える世界はほとんど抽象的かつ漠然としたものになっていたのではないかと思う。それがそのままキャンバスに描かれていると。

 数年前に東京都美術館のモネ展を観た時も最晩年の絵が何枚も展示されていたが、そこに描かれた彼の庭のバラ園は、ほとんど抽象画のそれだった。なんとなく重層的に色彩を重ねたポロックのドリッピング・アートみたいなだと思ったくらいだ。

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 今回の企画展もモネの最晩年のそうした絵画と抽象絵画との関連性を追ったものと理解できる。

 しかし常々思っていることなんだが、印象派の筆触分割は次第に新印象派的な色彩分割、点描へと向かう。その点描が次第に大きくなることで、光の表現から色彩の表現へと変化していく。点描が大きな色の面へと移行するにつれ、そこからフォーヴィズムが生まれる。まあ適当にそんなことを考えた。

 それに対して、この色彩をより重層的に重ね合わせたり、偶然性に依拠したドローイングやドリッピング、あるいは計算された幾何学的な文様へと変化させるところから、抽象絵画へと変質していく。素人考えでいえばそんなところだ。

 そうした現代絵画の騎手たちが先駆者として讃えたのは、もちろんピカソでありマティスであったりとするのだが、ある人々にはセザンヌであったりもするし、もちろん今回のモネであったりということなんだろう。

 しかし日本人は印象派好き、モネが大好きである。展覧会末期の日曜日ということもあり、多くの人が詰め掛けており、絵をゆっくりと観るような余裕はなかった。特に音声ガイドの弊害といっていいんだろう、ガイドがある絵の前には多くの人が立ち止まったままという状態。結局、絵を観るよりも音声ガイドを聴いているというのが実態なんではと思える。まあそんなところだ。

 モネの25点の絵には、割とおなじみのものが多かった。西洋美術館、東京富士美術館、ポーラ美術館などなどで何度も観たものが何枚もあった。それとは別に吉野石膏美術振興財団が所蔵し山形市美術館に寄託している作品が数点あったが。ここは調べるとモネ以外にも多数著名な画家の作品を所蔵しているようで、ちょっと気になるところだ。

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 展示作品の中で気に入ったものはこんなところか。人手が多くゆっくりと鑑賞するわけにもいかなかったので、割とざっくりとした印象である。

 

<サン=タドレスの断崖>

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サン=タドレスの断崖

 これは1967年の作品で、モネがブーダンバルビゾン派の影響から脱し、印象派に移行し始めた頃の作品かとも思う。ただし、空の雲の表現になんとなくブーダンの影響を感じる。いずれにしろこの絵は心がなんとなく動く。シスレーピサロに対して感じるような親近感だ。

 

<霧の中の太陽>

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霧の中の太陽

  この絵は1904年の作品、どことなくモネの代表作「印象、日の出」と同じような題材、色彩である。初期作品へのオマージュを感じさせる。驚くことに、この作品、個人蔵である。この作品を所有するというのは、もうどんだけ金持ちなんだろうと、つい下世話的に想像してしまいたくもなるのだが、なんにしろ羨ましい限りではある。

 その他、気になった作品をいくつか。

 

<Garden1 丸山直文L>

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Garden1 丸山直文

 モネへのオマージュというが、自分にはなんだかヴァロットンの「ボール」を想起させる。やや俯瞰からの子どものボール遊びを描いたあたりに近似的なものを思うのだが、これはちょっと勘違いだろうか。

 

     「無題(WC00956)」        「Simplicity(SEP80-68)」

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サム・フランシス

 サム・フランシスというと画面全体が白地一色みたいなモノトーンな作品を思うのだが、これは鮮やかな色彩を獲得している。なにかワクワクとしてくる。なんとなく瑛九の作品との関連を思わせるが、モネとの連関で語るとなると、ちと微妙かもしれない。

 その他では、常設展で森村泰昌の作品が一室を飾っていたのだが、これのインパクトがあり過ぎて、正直なところモネの企画展の印象が全部吹き飛んでしまった。

 芸術は爆発ならぬ、インパクトだなという思いとともに、美学の暗黒面に晒されてしまったような後味の悪さというか。

森村泰昌フリーダ・カーロ

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 なので最後に下村観山の「小倉山」なんかで口直しを。

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