モネ展

 午前中役員会がある。その後打ち合わせを2〜3終わらせて、会社に戻っても4時近くになるというので、自主的に業務を勝手に終了させ上野に足を運んだ。
 東京都美術館でやっているマルモッタン美術館所蔵「モネ展」を観るためである。
 このモネ展はえらく人気があるということで、土日は相当人が出ていると報道やらすでに行った友人、知人からも聞いていて、行くならウィークディとは思っていた。なのでまあちょうどいいかと思ったのだが、正直モネを甘くみていましたね。ウィークディの午後でもけっこうな人が出ています。チケット買うには列に並ばなければならないほど。

 展示は最初にルノワールによるモネとカミーユ肖像画。その後にはモネによる珍しい家族の肖像画が続く。次にはモネが10代の描いていたというカリカチュア(風刺画)が続く。さらに30代から40代の頃のオーソドックスな風景画。そして次には60代以降の睡蓮の連作、さらには最晩年のほとんど抽象画のようなジベルニーの庭の様々な絵が。これはもうほとんど原形をとどめないようなやや暗い色彩の塗り重ねである。この晩年の抽象画はマルモッタンの売りでもあるらしいのだが。
と、一応一通り観てからいつものように気に入った絵を中心にもう一度観ようと思ってちょっと気づいてた。「あれ、『印象−日の出』をどこで見逃した」
 そう、この展覧会の一番の目玉である「印象−日の出」である。あれそ見逃すか、おかしいなと思いつつ最初からもう一度回ってみるのだが、どうもそれらしいものがない。他の絵とは区別するように丸々一室使って飾ってある目玉扱いの絵は「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」である。もちろんこの絵は心を動かすような見事な傑作さとは思う。

 青を基調にした色遣いは鉄道という近代的なテーマを通して都市の息遣いみたいなもの筆写しているようにさえ感じた。しかし「印象−日の出」が如何に。
 もう一度入口に戻って回ろうと思いふと見るとやや小ぶりの白い紙が一枚壁に貼られている。そこには、「印象−日の出」は9月19日から10月18日までの期間限定出品とある。さらに「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」が10月20日から12月13日までの期間限定出品となっている。「印象−日の出」はなんと日曜日が最後だったわけだ。う〜む、やるな東京都美術館。こういう切り売りありかとやや呆れて思った。実際、自分のように「印象−日の出」を観るつもりで訪れて、ないないと探しているようなオノボリさんがどのくらいいるのかはわからんが、出来ればもう少し大きく告知してくれてもいいのではないかと思った。
 なので貼られているポスターを見るとまず二種類あるわけ。日の出とヨーロッパ駅の2種類。


 よく見ると丸で囲んだ中にちゃんと10月18日までの特別出展、10月20日からの特別出展とありますね、ちゃんと。小さく。「ちょっと詐欺っぽくね」という言葉を飲み込みましたわ。まあモネだし、で今日は「ヨーロッパ橋」の初日なわけです。だから火曜日でも混んでいるのね。
結局のところ、こういうのは予備知識含めてきちんとチェックしてない自分が悪いわけで、東美はたぶんまったく悪くはないのだろう。9月19日から12月23日までの長丁場を「日の出」一枚で引っ張るよりも、名画傑作を期間区切って展示するほうが多分貸出料を同額でお得感が出るという判断もあるのだろう。しかし「印象−日の出」は21年ぶりの来日とか。ひょっとすると自分の残り少ない人生からすると二度と観ることができないかもと思うと、少々淋しい思いもしないでもない。
 このモネ展は東美の後、福岡市立美術館で12月22日〜2月21日まで、3月1日〜5月8日まで京都市美術館、6月4日〜8月21日まで新潟県立美術館と巡回するらしい、はたして「印象−日の出」の出展があるのかどうかもわからないわけで。わざわざ行ってみてなかったらりするとすごく悲しい気分になるだろうし。
 でもって最後に最晩年のモネの傑作といわれる「バラの小道」。

 晩年のモネのこの抽象画風の絵は、ジャクソン・ポロック等に評価されたというが。まさにカラフルなポロックのドリッピングである。当時、モネは白内障を病み、視力も低下していたともいう。多分にそのへんの影響が大だとは思う。誰か絵の大好きな眼科医とかがこの頃のモネの絵と白内障の影響を医学的見地から分析、考察してくれたら、ちょっと読みたいなと思ったりもする。まあ正直、このへんのモネは自分の好きなモネではないとも思った。なんていうのだろう、抽象画家のような作画の意図みたいなものも幹事らせないし、同時に彼ら抽象画家の偶然性みたいなものも少ない。そこには視力の衰えた老大家がわずかに感じる光を残さずキャンパスに再現しようとする、なにか真面目な必死さみたいな、そういう凄味のあらわれみたいなものを感じてしまう。
 モネは最後まで実直な人だったんだろうなとそんな思いを感じましたです。そう思うと、なぜか印象派の画家はだいたいにおいて、勤勉実直な画家が多いような気もしてならない。