ポーラ美術館「印象派、記憶への旅」

 三連休中、絶対どこかへ連れて行けとカミさんに言われるので、先手を打って昨日のうちから明日ポーラ美術館へ行くと言ってあった。連休中は雨模様らしいが、美術館なら関係ないし、あそこなら駐車場から館内へのアクセスもいい。

 ポーラ美術館は西洋絵画、特に印象派のコレクションが充実している。感覚的には首都圏では西洋美術館、ポーラ美術館、東京富士美術館あたりが三本の指という感じがするくらいだ。なので多い年には年2~3回は通っているのだが、今年は今回が初めて。その前に来たのは去年の秋くらいだっただろうか。

 今回の企画展は「印象派、記憶への旅」。

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ポーラ美術館×ひろしま美術館 共同企画 印象派、記憶への旅 | ポーラ美術館

 ひろしま美術館も印象派を中心にフランス近代絵画のコレクションが充実していることで有名で、いつか行ってみたい美術館の一つでもある。とはいえ、さすがに広島は遠く、いまだに訪問は果たせていない。自分一人なら電車でもなんでも問題ないが、もれなく車椅子のカミさんが着いてくるとなると、さすがに広島は遠い。車でおいそれとは行けないし。まあリタイアしたらここと山形美術館は真っ先に行きたいところだ。

 今回の企画展は印象派をメインに、自然主義やリアリズムから印象派、新印象派さらにマティスピカソ等を配したフォーヴ、キュビズム、エコール・ド・パリなどが系統だてて展示している。

Ⅰ 世界のひろがり-好奇心とノスタルジー

Ⅱ 都市への視線-パノラマとポートレート

Ⅲ 風景のなかのかたち-空間と反映

Ⅳ 風景をみたす光-色彩と詩情

Ⅴ 記憶への旅-ゴッホセザンヌマティス 

  印象派の作品は原則撮影がOK。ピカソマティス、ブラック等は撮影ができない。やはりTPOの影響で著作権期間が伸びたことなどあるのかもしれない。ポーラでは以前はマティスの撮影は大丈夫だったはずなのだが。

 そういえば大塚国際美術館の陶板複製画にも、マティスは一枚もなかった。係の人に聞いてみると著作権の問題があるようですとの答えだったように覚えている。マティス著作権継承者にはうるさい方がいるのかもしれない。

 気に入った作品をいくつか。

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「ボア・ラムールの水車小屋の水浴」(ゴーギャン

 ゴーギャン38歳、ボン・タヴェンで絵を描き始めた頃の作品らしい。まだ印象派の影響が大きい。というか、私などはこの作品、作者を言われない限りゴーギャンとは答えられない。

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「サン=マメス」(シスレー

 これぞ印象派というべき、シスレーこそ印象派の王道だと思う。この絵は、島田紀夫の『セーヌで生まれた印象派の名画』に載っていて、ひろしま美術館収蔵というのも見て、いつか観てみたいと思っていた作品。こういう風に本や画集で観た作品のオリジナルに対面するのも、絵画鑑賞の神髄ところがある。

 川の水面、川辺の草木、遠くの家並み、そして広がる空、刻刻と変わる風景の光輝く一瞬を捉えた作品。この企画展で一枚持って行っていいと言われたら、間違いなくこれを選ぶ。

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「バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)」(マネ)

 黒の表現はやはりマネである。ややドヤ顔風の表情、ドレスからのぞくピンクのくつ、解説ではマネとモリゾの親密感が版面から溢れているみたいなことが書いてあったように記憶しているのだが、確かに画家とモデルの距離間がどこか近い。やっぱり恋愛関係あったのかなとか想像してしまう。しかし、このドヤ顔感、なにか会いに来てあげたわ、ちゃんと描きなさいみたいな感じがしてしまう。

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「ボン=ヌフ」(ピサロ

 これも以前、本で見て、いつか観てみたいと思っていた作品。1902年、死ぬ前年という最晩年の作品。この頃のピサロは体をこわしていて、すでに屋外での写生ができる状態ではなかったという。アパートの一室からパリの景観を俯瞰で描いた作品が残っている。印象派の長老ピサロにより、印象派表現による都市の景観図である。

 ピサロはどことなく田舎の風景を見事に描く田園画家みたいな風に思うところもあるが、都市の描写も鮮やかで素晴らしいものがある。大好きな作品だ。

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「パリ市庁舎河岸のりんご市」(スタニスラス・レピーヌ)

 スタニスラス・レピーヌ、まったく知らない画家である。印象派の風景画家でコローとオランダの風景画家ヨンキントに影響を受けたという。確かに木の表現などはコローだし、オランダ風景画の写実主義を踏襲している。

 レピーヌは当時でもあまり人気がなく、極貧の中で亡くなったという。またアンリ・ファンタン=ラトゥールと友人関係にあり、ラトゥールが生活費など援助していたという風に説明されている。

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「セーヌ河の朝」(モネ)

 これはモネの傑作だと思う。多分これはひろしま美術館の目玉的収蔵作品ではないかと取り合えず勝手に思っている。水面の風景と樹木、空の対称性、理想的な比率による版面構成。色使いなどパーフェクトな印象を与える。

 この朦朧とした雰囲気にモネの眼病との関係はわからないけれど、この作品を描いた翌年にモネはロンドンを訪れ、霧に煙る風景を同じように朦朧とした雰囲気で描きだしている。

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「睡蓮の池」「睡蓮」(モネ)

 多分、モネの睡蓮の中で一番好きなのがこの2点。樹木、たいこ橋、色鮮やかな水面の睡蓮、これは自分的にはモネの最高傑作のひとつだと思っている。そしてもう一枚、これも西洋美術館の大作と色調は似ているが、抽象表現よりも正統な印象派の手法に従っているように思う。

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「水浴する女たち」(ピサロ

 これがピサロと思える。1896年の作品で、新印象主義の点描表現等から印象派に回帰してからの作品。どことなく暗い色調にゴーギャン以後の潮流を思ったりもする。まあこのへんは勝手な感想。

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「ブルーのハーモニー」(ボナール)

 これは企画展ではなく、ポーラ美術館のコレクションとして展示してあったのだが、元々好きな作品。この作品を観るとドガのこの作品との関連をいつも想像してしまう。

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「浴槽の女」(ドガ

 この作品もひろしま美術館の収蔵品なので、出来れば今回の企画展に展示して欲しかったと思う。妻マルトの入浴する姿を頻繁に描いたボナールは絶対、ドガのこの作品を見ていたんじゃないかと勝手に思っている。

 作品同士、画家同士の関連性を展示方法によって描き出す。今回の企画展にはそういう演出が沢山あったと思う。一方の面にロートレックの作品を3点展示、それに対面する壁面にいかにもロートレックに影響を受けたことがわかる若いピカソの作品を展示する。こういう画家どうしのの関連性、影響がわかる作品展示になっていたと思う。

  そしてマティスである。マティスの作品はポーラ、ひろしま両方で5点くらいあったと思うのだが、すべて印象に残っている。ポロックがかって「すべてピカソがやってしまった」と悔し気につぶやいたとかないとか、ある意味近現代の芸術はすべてピカソに収斂されるようなそんなことを思ったことがある。

 実際、何を観ても、結局ピカソを観てしまうとすべてピカソが持って行ってしまう、みたいな感じになる。それほどピカソの印象は強く自分の心に残る。そのピカソに唯一対峙しているのが、自分的にはアンリ・マティスだ。まあ結局のところ個人的な趣味の吐露みたいなところではあるけど、マティスの一瞬さらっと描いたような描線、簡略化された表現-実はあの表現は何度も描き直した、画家の苦闘の果てだということが、今回の企画展でも作品の制作過程を映した写真とともに解説してある。

 しかしそうした制作時の苦闘とそれを感じさせないソフィスティケートされたあの簡略した装飾表現には、マティスの天才的な凄みが隠されているようにも思う。

 マティスの凄みがそのまま画面に描かれている作品、抽象性を省略をはぶいた作品が1点、今回の企画展にある。どこがどう凄いのか自分でも言語化できないのだが、マティスの天才的な凄みを感じさせる作品。

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「横たわる裸婦」(マティス

 そして作品の制作過程を映した写真とともに展示してあったのがこの作品。

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ラ・フランス」(マティス

 女性のドレスの形態がラ・フランス=洋ナシなのかと思ったのだが、そうではないらしい赤、青、白はフランス国旗を表している。意味合い的には「これぞフランス」みたいなことらしい。1939年、ドイツ占領下に描かれたこの作品には、椅子に座る女性にフランスよ立て!みたいな意味が込められているのだとか。

 う~む、小さい声でつぶやくけど、洋ナシじゃないのか・・・・。