クラナーハ展にいく

 今日は都内で打ち合わせ二本と会議一本。5時半過ぎにすべて終わったので、前から行きたかった上野国立西洋美術館で開催されているクラナーハ展に行くことにした。
クラーナハ展―500年後の誘惑|過去の展覧会|国立西洋美術館
クラーナハ展―500年後の誘惑|TBSテレビ
 しかし画家の表記は時代で変わることが多いなと思う。ちょっと前まで「ルーカス・クラナハ」だったのが「ルカス・クラーナハ」である。どうでもいいことではあるが。
  
 五百年、16世紀の時代にあってこの妖しげな女性たちの姿。酷薄な冷たい笑顔を浮かべた痩せ型、胴長の肢体。ルネサンス期の豊満豊穣ともいえる女性像とは異なる薄い、小さな乳房と同じく小さな乳首。クラーナハの趣味趣向と独特な表現かと思いきや、当時彼はたいへんな売れっ子画家であり、絵を所望した王侯貴族や裕福な商人達もこの少し貧相な肢体の女性像を愛でていたということだ。
 クラーナハは売れっ子の画家で、スピードと大量生産で需要に対してきちんと供給できるシステムを作っていたという。彼の工房には多くの画家職人がおり、同じような絵が大量に作画された。クラーナハの絵というのはクラーナハの工房によって製作された一群のものをさすということらしい。
 しかし多量に製作されたクラーナハ工房の作品は、特に女性を描いたそれは絵画愛好家から愛され続けた。さらに数百年の後でもピカソを筆頭に多くの画家に影響を与えてもいるという。確かに一種独特の個性、魅力に溢れた作品たち。あえていえばだが、クラーナハの絵は崇高な芸術性よりも世俗的エロティシズムに満ち溢れている。大衆画というカテゴリーは15〜16世紀にあってはまだなかったかもしれないが、大衆的、世俗的エロティシズムの欲求に答えるようなものを持っていたのではないかとさえ感じる。そう、これはその時代にあってはある種のポルノであったのかもしれないと。
 今回の企画展の目玉でもある「ホロフェルネスの首を持つユディト」のように非情な薄笑いを浮かべるユディトの手前に呆けたまま斬首されたホロフェルネスの生首が描かれる。観るものの前には生首の断面があざとく目に入ってくる。美貌と残酷さ、エロティックな美ととともに残酷なシーンという観る側の好奇の刺激する構図である。猟奇とエロティシズム、これは時代を超越したポルノ性も有した作品ではないかと、勝手に考えている。

 有名な作品「ヴィーナス」これは大変魅力的なヌードなのだが、思ったよりも小ぶりな小品であることに驚く。もっと大きな作品かと思っていた。しかしこの小品のヌード画は持ち主によって密かに愛でられてきたのかもしれないとそんな想像さえしてしまう。妖しいエロティシズムと愛好家の秘匿性。

 そして最後にもっとも気に入った作品。もっとも美しく、妖しい魅力に釘付けにされそうになるのは「正義の寓意(ユスティティア)」だ。あえて暴言を吐けば、クラーナハはポルノかつロリだな。ただし五百年の歳月はそれらをある種歴史の変転を経て芸術的な何かに昇華させていると思えないわけでもない。