ディランにノーベル賞

ロックを芸術に高めた ボブ・ディラン氏ノーベル賞: 日本経済新聞
ポピュラーソングの作者がノーベル文学賞に輝いた例は過去にない。ボブ・ディランさんの受賞は、イェイツやエリオット、パスといった詩人たちの作品と同様に、フォークやロックの歌詞も文学的な価値を持つと評価されたことを意味する。音楽界全体にとって画期的な出来事といえる。
 ディランさんは「歌詞は音楽以上に大事。歌詞がなければ音楽は存在し得ない」と若き日の記者会見で公言し、ギンズバーグら先端的な詩人と交遊するなど、もともと詩人としての志向が強かった。
 公民権運動やベトナム反戦など、若者の政治意識の高まりを反映した反権力のメッセージソングで頭角を現した。「どれだけ多くの人が死んだら、多くの人が死にすぎていることに気づくのか。答えは風に吹かれている」と歌った「風に吹かれて」は、その代表曲となった。
 やがて政治的なメッセージ性を薄め、音楽的にはフォークにロックを融合させながら、象徴や隠喩を多用した難解で複雑な歌詞を追究していく。音楽史上の意義は、そうした文学的な歌詞をロック音楽に乗せることが可能なのだと実践してみせたことにあるだろう。
 曲が長くなろうが、字余りになろうが、自分の言いたいことや文学性を優先させて歌い、印象的な曲に仕上げた。ビートルズジョン・レノン吉田拓郎さんをはじめ影響を受けた自作自演の歌手は数知れない。ロックに言葉を与え、ロックを芸術のひとつに高めた。その功績を含めての文学賞といっていいだろう。(編集委員 吉田俊宏)

 長生きはするものである。ボブ・ディランノーベル文学賞受賞だという。ということで村上春樹は今年も残念なことになってしまった。これも前に書いたかもしれないが、多分幾つかの出版社では重版をキャンセルしたかもしれないし、受賞帯を巻いた商品はまた倉庫か製本所で帯取りの不毛な作業をしているかもしれない。受賞発表と同時に取次に万単位で入れるはずだったのに残念なことだ。と、これはまったくの想像の話なので多分現実的ではないと思う。いやそう思いたい。
 しかしディランの歌詞、パフォーマンスが文学的であるのかどうかというと、まあ多くの方がそうであるように大変微妙ではある。まあ50年もの間世界のフォーク&ロックのフロントで活躍してきた偉大なミュージシャンであるのだから、文学かどうかは別にしても世界的規模の賞に値する存在ではあるのだとは思う。
 という訳でしばらくの間はIpodのプレイリストにディランを作成してディラン漬けの日々でも送ってみようかとも思う。とはいえ自分の持っているディランは60年代から70年代半ばまで。特に90年代以降は皆無なので懐かしい日々を回顧するようなそういう聴き方になると思う。