新年を迎えて

 31日一泊だけだったが妻の実家の長野に行きそこで新年を向かえ元日のうちに帰宅した。ここ何年かはだいたい一泊だけで帰るか、そのまま旅行に出るようにしている。妻の兄弟たちや妻の母親も一様に年をとったなと感じる。まあそれはこちらも同じことなのだが。長野は向かったときにはまったく雪がなかったが大晦日から元旦にかけての深夜に雪が降り、起きたときには一面雪景色だった。
 帰宅してからはずっと家にいることになる。新年を自宅で迎えるのはここ四〜五年で初めてのことかもしれない。だいたいが淡路へ行き大塚国際美術館の陶板複製画を観るというパターンになっていたから。まあ家にいれば家事、おさんどんをしなければならない。旅行に出れば上げ膳据え膳だ。家事から逃れるというのが一番の理由だとは思う。
 今回、家で正月を過ごすのは、娘が受験生でほぼほぼ第四コーナーに差し掛かっているということもある。今日から予備校の冬季講習があり朝から出かけていった。もともと吹奏楽部で9月まで活動していたこともあり、受験勉強を始めたのが遅い。そのうえ集中して勉強するのが苦手。ようは勉強が好きじゃない子なのであまり期待はしていないのだが、それでもどこかに引っかかればいいかなとは思っている。
 大学生活など社会に出るまでのモラトリアムでしかない。本当の勝負は仕事をしてからだ。まだ若いのでやり直しはいくらでもきくと思いたいし、実際その通りだと思うのだが、今のご時勢だと最初に道を踏み外すとなかなかやり直しができない。厳しい世の中になったものだとも思っている。
 会社で人の募集とかするとなると、いろいろな人がくる。40代で若い頃からずっとバイトや派遣で仕事をしてきた人などザラにいる。正社員でキャリアアップしていくなど至難の技になっているような気もしている。そういう意味ではいい大学に出て、そのままいい企業に入らないと人生終わってしまうような階層社会が出来上がっているという気もしている。正社員にならないでも生きていけるのは親に一定の収入がある場合で、親の収入、蓄えに期待できないものはそのまま貧困層で固定化される。
 そういう状況がわかっているから子どもにも口うるさく言ってはきたのだが、しょせん子どもである。親から厳しく言われれば反発するだけだ。いずれ苦労するかもしれないがそれもまた本人の人生なのかもしれない。まあ親としては子どもに負担となるようなものだけは背負わせないようにと心がけるくらいか。
 年頭に思うことなどなにもないのだが今年は特別かもしれない。6月に60になる。まさか自分がこんな風に60を迎えるとは。野暮な言い方だが想定外としかいいようがないな。
 60である。かって昭和の時代には55歳定年の時代もあったし、60歳定年はここ50年くらい続いている。あるい意味引退の時期、人生の終末期なのである。自分が子ども頃、あるいは20代の頃、60歳の人はどう見えたか。まずなにより大人であり、それにもまして老人というくくりであった。今、自分は若い人々からどう思われているのだろう。
 身近な自分と同世代の人についても、けっこうな確立で孫がいるようになっている。祖父、グランドファーザー、おじいちゃんである。そういう実感があるかというと、まったくといってない。ようは自覚がないのだ。精神的には三十代からほとんど進歩、成長していないような気がもする。まあ仕事に関してはそれなりのキャリアというか経験で様々なことをこなすことは出来る。これは老人の特権かもしれないのだが。
 60歳とはいえ今後の身の振り方とかを考える余裕も多分ないと思う。子どもは普通にいってもあと4〜5年は手がかかる。大学に行くとなればその学費やらなにやらを考えれば。妻の病気は一生である。ずっと介護を続けていかなくてはならない。今できることが次第に難しくなってくるということもどこかで織り込み済みにしておかなくてはならない。いつまで勤め続けられるか、それもどこかで考えおかなくてはいけない。今仕事はある。収入的には去年あたりがピークだろうが、これからは低下するだろう。うまく65まで現職にいられればとも思うが多分難しいだろう。体が動くうちは生涯現役というか、とにかく働いて日銭を稼ぎ続けなくてはいけない。出るのはため息だけか。
 そういう年に到達してしまったということが悲しいところではあるのだが、とりあえず2016年の年頭に思うこと。