印象派についてのメモ『続名画をみる眼』より

続 名画を見る眼 (岩波新書 青版 E-65)

続 名画を見る眼 (岩波新書 青版 E-65)

色彩分割について
太陽のきらめきをそのまま画面に捉えるには、太陽の光の色で描かなければならない。一見白色と見える太陽の光が、分析してみれば実は虹の七色を含むものであることは、すでに以前から知られていたが、当時の光学理論の発達は、その現象にいっそうの理論的裏づけを与えていた。したがって、印象派の画家たちは、何よりもまず虹の七色を使って描くということを原則とした。ということは、赤、青、黄の三原色、および、その三原色をそれぞれふたつずつ混ぜ合わせた時に生じるオレンジ、紫、緑の第一次混合色をパレットの中心として、暗い色彩を追放するということであった。その結果、印象派の画面は、従来の絵画に比べて、ひときわ明るく輝かしいものとなった。どの美術館に行っても、十九世紀のバルビゾン派クールベ、マネなどの作品の並んでいるギャラリーから印象派の部屋に来ると、急にトンネルから出たように明るい印象を受けることは、実際に経験をした人びとも少なくないことであろう。

印象派の原則
したがって、印象派の第一の原則は、原色主義である。第二の原則は、それらの混じりけのない色彩を、なるべく純粋なまま、すなわち、お互いに混ぜ合わせることなしに使うということである。従来の絵画技法では、中間色を出すためにいろいろな種類の絵具を混ぜ合わせるといのは、いわば常識であった。自然の世界は、そう都合よく出来合いの絵具の色だけをみせてはくれない。出来合いの絵具にない色を実現するためには、パレットの上でその色を作りださなければならないのである。

三原色と虹の七色
ところが、当時の光学理論にも無関心ではなかった印象派の画家たちは、絵具を混ぜ合わせると明るさが失われることに気がついた。事実、明るい輝きを持っている虹の七色の絵具を順々にパレットの上で混ぜて行くと、出来上がって来る色はだんだんと暗くなって、最後には完全な黒となる。(実際には、三原色を混ぜ合わせるだけで黒ができる)ところが、虹の七色の光を順々に混ぜ合わせると、最後には白色光になる。もともと虹の七色というのは、太陽の光を分解して生じたものであった。とすれば、絵具を混ぜ合わせることは、明るく輝く自然とは逆の方向に向かうことをを意味する。モネたちが、なるべく絵具を混ぜないで、純粋なままで使うことを考えたのも、当然と言ってよい。

筆触分割と視覚混合
しかしそれでは、中間色を表現したい時にはどうしたらよいかという問題が残る。モネたちは、その問題に対し、混ぜるべき色を別々に小さなタッチで画面に並列するという解決法を考え出した。そうすれば、小さなタッチであるから、少し離れた所から見れば、個々のタッチは見えず、全体がひとつに混ざって見える。しかし、実際にはひとつひとつの絵具は別々に置かれているから、明るさが失われることはない。絵具が混ぜ合わされるのではなくて、それぞれの絵具から発する光が、眼の中で混ぜ合わされるのである。印象派の画家たちは、これを「視覚混合」、または「網膜上の混合」と呼んだ。この「視覚混合」をもたらす描画法が「色彩分割」にほからないわけである。
P9-11