アーティゾン美術館『STEPS AHEAD』のミニコーナーとして新たにコレクションに加わったドローング6点とそれ以外の作品を集め『アンリ・マティスの素描』という部屋が設けられている。
新たに加わった6点を含めたマティスの素描も興味深い。図録の解説によると、もともと「デッサンを得意としたマティスは、黒インクを用いて対象を極限まで単純化したドローイングを、生涯を通して制作した」とある。
そう、マティスのあの対象表現における省略や柔らかい線は、確かなデッサン力に裏打ちされたものだということ。表現における省略は最終的に線をも失い、色面だけの切り絵にいきつくということなのかもしれない。
マティスの孫娘ジャクリーヌ・マティス・モニエを描いたもの。この時彼女は16歳。なにか画家のいたずら書きのような趣もあるが、この単純な線描は簡単そうでちょっと違うということなんだろう。多分、愛する孫娘を前にして生じた感情を画家は一気に表現したのだろう。
この部屋には素描以外にもアーティゾンが所蔵するマティスの油彩が惜しげもなく陳列されている。マティスの絵を素描を含めてこれほど一気に観たのは、去年のポーラ美術館「モネとマティス-もうひとつの楽園」展以来かもしれない。あの企画展にも貸し出されていた作品2点を再び観ることができたのもうれしいことだ。
ポーラ美術館「モネとマティス-もうひとつの楽園」 - トムジィの日常雑記
新印象派の点描表現がフォーヴィズムに移行する過程というか、今まさにフォービズムが生まれようとしているような雰囲気がある。視覚混合を目指した点描が、次第に色彩による表現へと変化し、原色による強烈な色彩表現となっていくみたいな趣。
コリウールは地中海に面しスペインからわずか25キロという国境沿いにある町である。1905年にマティスはアンドレ・ドランとこの町を訪れ、チューブから出たそのままの色=原色による絵を多数制作した。その後もこの地をアルベール・マルケ、ファン・グリス、ラウル・デュフィ等も訪れている。いわば、この地からフォービズムは生まれたのかもしれない。
ドローイングに着色したような軽やかなタッチの作品。モデルは当時20歳の長女マルグリット。首のペンダントは子どもの時に受けた手術の跡を隠すためともいわれている。
激しい原色表現からこの作品では抑えた色調となっている。女性の肌のやや黒ずんだ部分はおそらく何度も描き直しや加筆を行ったのかもしれない。
昨年のポーラ美術館での企画展でも観ている作品。背景の装飾性、モデルは表現はさほどデフォルメされていない。
背景の紋様の装飾性、モデルのデフォルメされた表現などマティス的表現の完成形ともいえるかもしれない。「オダリスク」はオリエンタリスムの主題としてドラクロア、ルノワールらによって描かれているが、この絵にルノワールの影響を指摘する評者もいるというがどうだろう。画面の構成面とかそのへんだろうか。
『オダリスク』にルノワールの影響の跡があるとすれば、これは当然セザンヌを意識した作品ということになるか。モローに師事したマティスはセザンヌやゴッホ、ゴーギャンの影響を受けたという。この絵の空間構成は明らかにセザンヌ的な多視点による表現となっている。この作品も昨年、ポーラで観ているけれど、今回観たマティスの絵の中では一番好きかもしれない。
明るい黄色を背景にデフォルメ化された人物。やはり去年ポーラ美術館で観たひろしま美術館所蔵の『ラ・フランス』と同系統の作品。椅子と人物、ひじ掛けとモデルの腕などが一体化されているとような構図、造形である。
新しい表現、技法を獲得するために苦闘したジャクソン・ポロックは、かって「すべてピカソが先にやってしまった」と呪詛のごとく語ったという話を何かで読んだことがる。それほどピカソは様々な技法、表現を先駆的に行い、20世紀の絵画表現をリードしていたと思う。そのピカソに対峙し得る表現を提示したのがアンリ・マティスなのかなとは、ここ何年も特に根拠なく思っている。実際、ピカソとマティスはお互いにリスペクトしあい、親密な関係にあったという。
ピカソがごく初期にはロートレック的表現から出発したように、マティスも後期印象派や新印象派の影響化でキャリアを出発させたように思う。多数の点描作品を描いたのちに、原色の点というよりも面による色彩表現、さらには対象を簡略化、デフォルメかさせた。今回のアーティゾンのマティスコーナーでは、素描と油彩を通じてなんとなくマティスの表現の足跡をなんとなく感じられるような気がした。