カイユボット展

ブリヂストン美術館「カイユボット展──都市の印象派」におけるデジタル鑑賞システム:トピックス|美術館・アート情報 artscape
都内での会議が比較的早くに終わったので行ってみた。前からずっと気になっていた展覧会だったし、金曜日は8時までやっていることも事前にチェック済みだった。
ギュスターブ・カイユボットへの事前知識はほとんど皆無に等しかったかも。少し聞きかじった知識では、印象派の画家であり、主にパリの都会的風俗、風景を描いたという。写真のような構図を得意としていたこと、画家としてよりも同時期の印象派の画家たちのパトロンでありコレクターとしてのほうが有名であったこと。没後彼のコレクションは国家に寄贈され、それが印象派のコレクションとして価値あるものになっていることなどなど。
そして最も著名な絵画の一つがこの「ヨーロッパ橋」だ。

モネの絵で有名なサン=ラザール駅にかかる陸橋上のスケッチだが、橋桁の格子は大きく誇張されている。なんていうのだろう超遠近法とでもいうべきだろうか。
さらにこの「パリの通り、雨」。このへんが都市の風景を描写した画家といわれる所以なんだろう。これもまたやや誇張された遠近法が用いられている。

カイユボットの作風をこうした都会派、写真的構図ばかりと思いきや、いきなり田園派的な風景画もけっこうある。


ピサロ、あるいはモネの影響が顕著な作品だ。ある意味この人はオリジナル性がどうのというよりも、同時代の印象派の画家たちの作風を真似た、あるいは彼らへのオマージュをキャンバスに展開していったかのようにも思えてくる。
もともと裕福な家に生まれ巨額の財産を相続し、印象派の画家たちのよき理解者、パトロンであり続けた。自ら絵を描き、ボート好きが興じてその設計にまでしてしまう。金があるから働くこともなく、ただただ趣味に没頭し、画家たちの良き理解者であり続けた。
でもただの趣味人ではないと思うし、その絵についてもただの金持ちのボンボンの習い事レベルではないし、様々な画風を取り入れているが、ただのコピーでもない。きちんとその技法の意図するところを理解して表現されている。オリジナリティについていえば、都市風景における誇張された遠近法が唯一かもしれないが、風景画、静物画にも面白味があふれていると思う。
45才と早世しているが、なかなかに魅力的な人生を送った人だとも思う。今回も図録を購入したのだが、その年賦にはなぜかモネやピサロへの金銭的支援がこれでもかと記されている。特にモネへのサポートは尋常ではなく、1876年から1881年の5年間に30回にわたり合計で1万フラン以上の金を貸している。おそらくモネからの執拗な金の無心にすべて応じたということなのだろう。
昨日書いたモネとそのスポンサーで破産したエルネスト・オシュデの一家が一緒に暮らし始めたのは1878年のことである。ということは画家の一家と破産したパトロン一家の共同生活を支えていたのは、なんのことはないもう一人のモネの良き理解者でありパトロンであったカイユボットだったということだ。そして1892年にモネはアリス・オシュデと結婚するのだが、その立会い人を努めたのもカイユボットである。
カイユボットは19世紀末のパリを駆け足で生きた。人の心を動かす絵画を少なからず描いた。それだけで十分な人生だったかもしれないが、もう一つ彼の生涯を輝かせるものがあるとしら、それは彼の存在がなかったとしたら、ひょっとして我々はモネの素晴らしき作品の数々に出会うことができなかったかもしれないということだ。モネが86年という長き人生を全うして、あの素晴らしき光にきらめく世界の一瞬の様相をとらえた絵画を描き続けることができたのは、まちがいなくカイユボットという才気あふれる金持ちの存在があったからということなんだろう。
カイユボットの作品はこのサイトが詳しい。
Gustave Caillebotte - The Complete Works - gustavcaillebotte.org