ジヴェルニーの食卓

原田マハは名前を聞いたことはあったが。一つも読んだことがなかった。アンリ・ルソーをモチーフにした『楽園のカンヴァス』が話題になっていたことをちょっとだけ聞いていたくらいだったか。
調べてわかることは、美術館でキュレーターのキャリアがあり、カルチャー・ライターをしていたこと、かなり幅広いジャンルの小説を書くこと、兄が原田宗典だということくらいか。キュレーターというのは平たく理解すると学芸員か、原田マハの半端ない絵画への知識とかはそういうキャリアを背景にしているからなんだろう。
本書はマチスドガセザンヌ、モネという印象派とともに出現した巨匠たちのエピソードを彼らの周辺にいた実在あるいは創作された女性たちのモノローグをもとに描き出した短編小説だ。
一言でいえば、あるいはそういうジャンルがあると仮定すればだが名画鑑賞小説ということになる。それぞれのエピソードを楽しみつつ、それを思い出すことで絵画鑑賞がより豊かになるかもしれない、そういうお話である。少なくとも私にとっての読後感はそうだ。それまで通りいっぺんに眺めていたマチスの絵をもっと楽しめそうな気がする。マチスピカソを見比べながら、二人の交流を想像する。
あるいはドガの踊り子たちの絵画から想起される彼女たちの生活の厳しさ、そこから這い上がろうとする切実さ。ドガと踊り子との関係を回想するメアリー・カサットの独白。そしてセザンヌの不在と彼に影響を受けた若き印象派の画家たち。
表題作となった「ジヴェルニーの食卓」は白内障で創作の危機にあった高齢のモネと彼を支えた義理の娘ブランシュ・オシュデとのエピソード。たぶんこの短編が一番読み応えがあり出来もいいと思う。
この短編を読む少し前に、モネがパトロンであったエルネスト・オシュデの妻だったアリス・オシュデと再婚したという話をなにかで読んでいた。それもさんざエルネストから資金援助してもらっていたのに、エルネストが事業に失敗した後でということである。しかも事業失敗の原因が、モネを含めた印象派の画家たちへの過度のスポンサードにあったからだともいう。巨匠モネもずいぶんと非道なことをするもんだと思ったものだ。
ところがこの短編によると事情は少しばかり異なるようだ。事業に失敗した後でエルネスト・オシュデは家族をモネ一家に預けて事業建て直しに奔走する。その間、モネは自分の家族とオシュデの家族の面倒をみる。モネの妻カミーユは病気がちで、自然とオシュデの妻アリスとモネは惹かれあうようになり、幼いオシュデの娘ブランシュはモネを崇拝するという。
まだ売れていない頃のモネが二家族の生計を維持することができたのかはいささか疑問でもある。小説の中では、二家族が貧困の中でつつましくも助け合いながら暮らしていたと美談ぽく描かれているけど。
まあいい、作家の実人生のリアリズムなどある意味どうでもいいことだから。絵画を享受するこっちとしては、モネの光まばゆい情景の一瞬を描いたあのキラキラとした表現の生まれた背景とかが想起できそうなエピソードを楽しみたいだけなのだから。
そういう意味じゃとてもよく出来たお話4作の作品集である。モネをマチスセザンヌドガの絵画をより楽しく鑑賞することができるかもしれない、そういう小説だと思った。
ちなみにこの本買ったのは、箱根のポーラ美術館の売店。つくづく自分が俗っぽいと思わざるをえない。