『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』狂想曲

朝からニュースショーで大盛り上がり。やれ深夜書店がカウントダウンして販売しただのなんの。
村上春樹だし、ある意味ベストセラー間違いなしなんだろうが、たかだか新刊書籍の発売でこのイベントはどうよ、みたいな思いもないでもない。もうほとんどハリー・ポッター以上の盛り上がりではないかとさえいる。この際、春樹本人か文春の社長にかぶり物でもして書店でパフォーマンスでもしてもいたいとさえ。
かくも苦虫かみつぶすように皮肉っぽい思いばかりかというと、実はそうでもない。まあ根っからの村上春樹のファンであるし、たぶん新刊書が出るたびに買い、読んでいる。カート・ヴォネガットが逝ってからというもの、作家で本が出るたびにそうしているのはたぶん村上春樹だけだろう(矢作俊彦はときどきサボるようになった)。
もともと『風の歌に聴け』『1973年のピンボール』からのファンでもある。最初に読んだのはたぶん後者のほうで、それから『風〜』にいったのだと思うが、読後感はなんていうのだろう、やっと自分たちの時代の作家が、物語が出たみたいな感覚があったのを覚えている。
そうだな、当時でいえば大江健三郎もバリバリだったし、井上ひさしもいた。安部公房も存命だったし、もちろん若手の旗手で村上龍だっていた。でも、なんか違うんだよなって感覚だ。どの人たちもみんな日本の作家っていう感じがした。
高校生くらいの頃にいちおう教養として漱石とかも少しは読んでいたし、受験勉強の一環として私小説の類はたいてい読んだ。藤村だの花袋だのも読んだ。もちろん芥川も横光、川端、太宰なんかも。さらにいえば私小説や近代日本文学に対する評論とかも背伸びして聞きかじった、読みかじったよ。小田切だの平野だのなんのと。
そのうえで当時の子どもだった自分の結論でいえば、大江も村上龍もみんな日本近代文学の延長上にいるみたいな感じだった。それに対して外国文学はというと、なんか違うなという印象だった。当時、20代の前半の頃だと、たぶん読んでいたのはヘミングウェイドストエフスキーセリーヌなどなど、あんまり脈絡なく読んだな。サリンジャーとかもその頃かも。たぶんヴォネガットも同じ頃にはまったんだと思う。
そういうところに出てきたんだよ村上春樹は。彼の小説には世界文学と同じ道筋みたいなものがあったように思う。もっとも最初の二作に限っていえば、明らかにヴォネガットの影響を感じられたし、読む側ももろにかぶれていた頃だから、「おっ、ヴォネガットみたい」てな感じだったか。
それから『羊』やら『ワンダーランド』やらで『ねじまき鳥』である。この人はある種、全体小説を書こうとしている。切り口にしろモチーフにしろ、材料にしろまったく異なるけど、なんとなくドストエフスキーみたいなものを感じたりもしたんだな。
別にここで村上歴のもろもろ回想するのが本意じゃない。ただ単に脱線しているだけだ。ただかなり早い時期、おそらく『ノルウェー』の頃に村上春樹がインタビューの中で自分の読者として想定しているのは10万人くらいみたいなことを話していた。若手作家にしては10万のという数字自体がけっこう大胆ではあるのだが、『ノルウェー』がミリオン到達した頃だったから、それはそれで納得できた。実際、この頃の彼の新作の初刷りはそのくらいから始めたということもなんとなく聞いていた。そう今回の『多崎つくる』のように初刷り50万なんていうのは、なかなかあり得ない数字ではあると思う。
当時、すでに新作は必ず買う、読む人だったし、当時は書店にいたから、それこそ店頭に出る前に必ず自分用を先に確保するような感じだった。だから自分はある意味、村上春樹が想定するコアな10万人の一人だろうみたいな自負もあった。
そういう思いは今も変わらない。今回の『多崎つくる』も近刊予告が出るとすぐにアマゾンに予約を入れた。なので朝からのこのニュースにはちょっとソワソワする部分もあるにはあった。
たまたま午後には都内に出て会議があるので、2時少し前に会社を出たのだが、ちょっと忘れ物もあったので自宅に立ち寄った。するとちゃんとポストに入っていたのよねアマゾンの小包ダンボールが。それで大急ぎで部屋に戻り開封した。出てきた、出てきた、朝から何度もテレビで目にした白い表紙が。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2013/04/12
  • メディア: ハードカバー
それですぐに本棚にある適当な本につけたままになっていた紀伊国屋のブックカバーを引っぺがして『多崎』にかけてみた。ちなみに私のカバーのかけ方は、栄松堂や旭屋の方式。カバーを本にあわせてのどから数センチのところで上下(天地)にあわせて切り込みを入れて見返しの上下にかぶせるようにするのね。このほうが本にぴったりする。昔は、これをレジで一瞬にやってくれるのがけっこう感動的だったんだよな。途中でハサミとかつかって切れ込みいれる場合もあるんだが、本当に瞬時につけちゃうんだ。まあ今ではこのつけ方はあまりやられている本屋さんはないとは思うけど。
ええと、これも脱線の話だ。それで『多崎』を電車の中で読みながら都内へ向かったわけなのだが。とりあえずこの長くておよそ意味不明のタイトルが実はまんまそういう意味のお話のタイトルであるということがすぐにわかった。電車の中でTwitterしたのはこんなこと。

どうやら名前に色が入っていない(赤松とか白根とか黒田とか青山とか)、多崎つくる君という男の子の物語のようだ

会議は6時過ぎに終了。友人と久々に会うことにしていたのだが、時間が少しだけ空いていたので三省堂に顔を出す。ここもテレビとかでも紹介されていたけど一大イベント会場みたいだった。実際どうよこの陳列。



7時過ぎに友人と別所で会ったのだが、お互い開口一番が「買った」。
で、当然のごとく友人も持っていた。職場出てすぐに本屋飛び込んで買ったらしい。さすが我が友である。