子どもの入学式にでる

子どもの入学式、妻を連れてなのでやや早目に子どもと三人で家を出る。駐車場の確保とかを考えていたのでおおよそ1時間近く早く着くように支度をする。
幸いにも障害者用スペースが空いていたので誘導してもらいスムーズに駐車できた。ある意味こんなに余裕をもってこうした式典とかに臨むのは初めてかもしれない。いつもはアタフタとぎりぎりの時間にやってきてドタバタするのが普通だったから。
式典が行われるホールがえらく立派。緞帳付のホールはコンサートとかやらせても十分なほど。ざっと見でフルハウス1500名くらい入るかなと勝手に目算する。まずはうちの子どもを含め新入生が670名弱いる。となると3学年で2000名くらいか。あまり下調べとかすることもなく、塾の教師にいわれるままに受験した学校なのだが、そこそこにマンモス校なのだなと実感する。
とはいえ高校の事情なぞなにも知らないので、この人数は意外と普通なのかもしれない。公立にしろ私立にしろということでだ。逆に私立であればこの程度の人数は確保しないと経営的に安定しないだろうなどとも思う。勝手な目算続きで、やれ670×入学金だの、670×年間授業料などをつい頭の中で計算したりする。
式典が始まる前に妻を何度かトイレに連れて行ったのだが、きちんと身障者用トイレも完備されているし、当然のごとくエレベーターもある。このへんは公立の小中学校とは雲泥の差とでもいうべきか。これまでも小中学校での式典やら文化祭とかに妻を連れて行ったけれど、様々な段差、階段、和式トイレなどなど、学校こそアンチ・バリアフリーの巣窟みたいな感想を持ったものだ。それを思うとやっぱり私立は違うものよと思ったりもした。
さてと入学式についてはというと、まあこれは普通というか、オーソドックスな式次第ではある。厳しい校則、礼儀や躾を厳しく教え込むことでそこそこ有名な学校らしく、最初にお辞儀の仕方を何度も新入生に教えたりもする。こういうのを見ると親はなるほどなるほどみたいな感覚になるわけだな。そして子どもたちはというと、真面目にお辞儀に取り組みつつ、内心では「ナイコレ」みたいな思いを抱いて心の中で舌打ちしているのかもしれないな。15〜16じゃわからないよな、こういうのはとも思う。でもね、世の中はね、そういう形式ばった挨拶とかそういう部分で人間が評価されるものなんだな、えてしてね。だから早目にそういう形式的な部分での様々なルールとか態様を体で覚えこんでおいたほうが、たぶん役に立つことのほうが多いということなんだ。
形式的な礼儀作法とかは大人になってから身に着けても、立て付けが悪いというかどうにも収まりが悪くて、様にならないことのほうが多い。そういうのが小さいときに身についていると、所作が自然なんだな。だから15〜16でそういうことを強制されるのはもう遅過ぎるのかもしれない。とはいえ家庭でなかなかそういう躾、教育ができない、できなかったのだからある意味致し方ない。だからこそ普通よりは少しだけ余分に金を払って、こういう学校に入ったのである。せいぜいプラス思考で将来のためと思って吸収できるものは吸収したほうがいいと、そういう風に思うわけだ、親はね。
入学式は昼少し前に終わり、娘は無事に高校生になった。中学の三年間もあっという間ではあったのだが、きっと高校の三年間はもっと加速することになるのだろうな。すぐにまた受験だの、大学だのということになる。そして就職だの、結婚だのと、駆け足人生が続くんだ(by The Eagles)。
入学式後は家族三人でファミレスで昼食。その後、坂戸駅で子どもの定期券を購入。坂戸駅は某大学の入学式帰りなのか大学生の集団が列を成している。そこに並ぶこと30分強、ようやく定期券を購入。窓口は一つしかないのだから、そりゃ込む訳である。出来れば入学式シーズンくらい臨時窓口の一つや二つ開設してもよさそうにも思うのだが、こういうところが鉄道会社のサービス面の低さが表出しちゃうところなんだよな。しょせん独占だからこういうところはしかたないのかもなどと思いつつ、なぜ定期一枚買うのにかくも並び、待たねばならないのかと術祖の思いを込めてブツブツ熊となる。
この日はそのまま帰宅。普通なら学校行事で午前中をつぶしてもたいてい午後は仕事に出るのだが、本日については帰宅する。なぜか、仕事のモチベーションがダダ下がりなのか。いえいえ、帰ってからのミッションが待っているのである。それはというと翌日の健康診断、体力測定のために体操着に名札をつけなくてはならないのである。
体操着とジャージ、けっこうな値段の代物、それも地域一番店のはずの百貨店で購入なのに、ネームを縫い付けるサービスとかないのである。だもんで父母は(たいていがお母さんだと思うけど)、縫い付けしなくてはならない。体操着二着とジャージへのネームの縫い付け。頭が重いっす、家事系仕事のなかでは裁縫が一番苦手。記憶をたどると確か小学生の頃に家庭科で1をとったことがある。運針だっけ、あれで真っ直ぐに縫えない人なんですよ私は。そういう人間に縫い物させちゃいけない。
でも、これまでもいろいろやってきている。やれ子どもの制服のボタンがとれただの、スカートのホックがとれかかっただの。そのたびにお父さんは夜なべしてお裁縫に勤しんできたのである。でもあかんな裁縫は、ちっとも上達しないもの。しかも老眼進んでいるから、針に糸通すという初手から難儀なことこのうえない。
そうはいってもやり始めれば小1時間で出来るのではあるのだが、なかなか着手できないのである。まず帰宅後は寝不足がたたってかほとんどダウン。1〜2時間寝ていたか。次にしたことは妻が昔衝動買いした安いミシンを引っ張り出し挑戦してみたのだが、これがもうあかん訳。とにかく針に糸が通らない。何度やっても駄目。そもそも上糸、下糸だのホビンだのというのが、すでに概念として構築されないのである。ソシュール的にいえばホビンのシニフィアンに対するシニフィエが想起されないということ、なんのこっちゃね。
結局小1時間悪戦苦闘して、このミシンは使い物にならないくらいの粗悪品であるという烙印を押して終了。それからいそいそと手縫いを始める。最初からこれでいきゃいいのに。しかしいくつになっても真っ直ぐに縫えない私なのである。見栄え最悪でなんとか三着にネーム縫い付ける。
しかし子どもの成長とともにちっとも楽にならないわが身を思い知らされる日々が続いている。進学した高校には学食がなく、当然のごとく給食もない。それが何を意味するかというと、ようはこれからへたすると三年間、子どもの弁当を作り続けなくてはいけない自分がいるわけ。どうよ、これ。
そんなこといい加減、子どもも大きいのだから自分でやらせればいいだろう。そう、それが正論なんだが、なかなかそういう訳にもいかない。だってそういう風に育てなかったんだから。もう仕方がないと思う。全部自分がまいた種みたいなもの。そういう現実を前にして、私がしたことといったら、とりあえず毎日の弁当用に弁当箱と水筒を何種類か用意したことくらいか。まあ、体が動く限りは頑張りたいとは思っている。しかし、つくづく思うよ。子育てって、チキン・レースなんだなって。
いつかとりあえず楽な日々が来るのかな。とりあえず引退して、好きな本読んで、好きな音楽を聴いて、たまには妻の車椅子を押して小旅行に行くような、そういう些細な幸福に浸ることが出来るのか。
子どもの入学式の一日の最後に思ったのは、まだまだ続く生きることの困難さへの再確認みたいなことだった。